2011/06/07(火)「わたしを離さないで」
カズオ・イシグロの傑作をマーク・ロマネク監督が映画化。原作にほぼ忠実な展開で、上映時間が短く感じられた(上映時間は1時間45分)。その意味では過不足ない映画化と言えるだろう。ただし、原作にあった透明な悲しみは映画ではうまく表現できていないように思う。いや、映画もいい線まで行っているのだが、あと一歩及ばなかった。序盤の不穏な雰囲気の中にもある幸福な描写にもっと力を入れた方が良かっただろう。
同じストーリーを追っても小説と映画がまったく同じにならないのはあたり前のことだけれど、映画化の際にこぼれ落ちてしまうものがどうしても出てくるのは少し残念だ。たとえば、主人公たちは過酷で悲しい運命になぜ逆らわないのかという疑問が映画には出てきてしまう。原作ではまったく感じなかったこの疑問は突き詰めていけば、マイケル・ベイの某映画のような展開になっていくだろう。キーラ・ナイトレイが3度目の手術で息絶える場面は主人公たちの置かれた境遇の残酷さを実際に見せる場面になっていても、原作とは相容れない描写でしかない。
透明な悲しみを体現しているのは少しも泣きわめかず、絶えず穏やかな微笑みを浮かべている印象がある主人公のキャリー・マリガンで、普通に考えれば、ナイトレイの方がずっと美人なのだが、マリガンはその幅のある演技で映画を支えている。
2011/06/07(火)「レポゼッション・メン」
エリック・ガルシアの原作「レポメン」の映画化。近未来を舞台に人工臓器の費用の支払いを滞納している人間から臓器を回収するレポメンたちを描く。レポメンはテーザー銃で相手を気絶させ、腹を切り裂いて臓器を取り出す。生きている人間から臓器を取れば、当然死んでしまう。レポメンの仕事は殺し屋みたいなものだ。主人公のレミー(ジュード・ロウ)は優秀なレポメンだったが、ある日、回収の途中で重傷を負い、人工心臓を移植される。それ以来、レミーは回収の仕事ができなくなってしまう。やがてレミーにもレポメンたちが迫ってくる。
未来都市の夜景が「ブレードランナー」の安手のコピーみたいなのはご愛敬。所々にブラックなユーモアがある。終盤の展開はまったく予想していなかったので、ほーと感心した。原作にあるのだろうが、こういうのは観客サービスとして非常に良いと思う。脚色には原作者も加わっている。監督はミゲル・サポチニク。出演はほかにフォレスト・ウィテカー、リーヴ・シュライバー、アリシー・ブラガ。2010年のアメリカ映画。
2011/06/07(火)「パリ20区、僕たちのクラス」
パリの20区にある中学校のあるクラスを描き、カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した。アフリカ系やアジア系などさまざまな移民の子供がいるクラスは社会の縮図のようなもので、そこで起きるさまざまな問題も社会を反映している。解決する問題もあれば、解決しない問題もあるのが普通のドラマとは違うところ。
フランソワ・ベゴドーの「教室へ」をローラン・カンテ監督が映画化。ベゴドー自身が主演している。驚くのはベゴドーをはじめ出てくる生徒たちも演技経験がいっさいないこと。それなのに、いやそれだからこそ、リアルな教室の雰囲気を再現できたのだろう。カンヌ映画祭の審査委員長だったショーン・ペンが「演技、脚本、挑発、寛大さすべてが魔法だ」と評したのはそこから来ているのかもしれない。
2011/06/07(火)「ソラニン」
2011/05/29(日)「冷たい熱帯魚」
埼玉の愛犬家連続殺人事件をモチーフにした園子温監督作品。愛犬家連続殺人? ああ、犯人が逮捕前からテレビでよく流されていたあの事件か、と思ったが、内容は全然覚えていない。1995年に発覚した事件で阪神大震災とオウム真理教事件のために目立った報道がされなかったかららしい。中身はとんでもない事件である。
犯人は毒物で殺した後、遺体を切断し、骨と肉にさばいて骨は焼却、肉は数センチ四方に切り刻んだ上で川に捨てる。なぜ、肉と骨を切り離すかと言えば、肉は焼くと臭いが発生するからだそうだ。僕は刃物で刺されたり、切断されたりする場面を見るのは苦手なのだが、この映画の場合、切り刻むのは遺体だし、手慣れた作業として描かれるので不快感はあまりなかった。
熱帯魚店を経営する村田(でんでん)は主人公の社本(吹越満)の前で最初の殺人を犯した後、「これまでに58人やってる」と豪語する。映画で描かれる殺人(3人)は実際の事件(立件されたのは4人の殺人)をほぼなぞった展開だ。映画は事件に巻き込まれる社本の視点で描かれる。この社本も実際の事件で共犯者となった男がモデル。園子温の関心は気弱な男だった主人公の変化にあるようだが、ここはやはり犯人像に迫って欲しいところだ。事件の経過は分かるが、なぜこういう人物ができあがったのかの部分が詳細ではないのでもどかしい思いが残る。映画は共犯者が書いた著書を元にしているようだ。こういう映画には追加取材が不可欠なのだが、やっていないのだろう。だからジャーナリスティックな視点が皆無の映画になってしまっている。
でんでんは実際の犯人とよくにた風貌のためのキャスティングだろう。やや一本調子の演技なのが惜しい。その妻役黒沢あすかと主人公の妻役神楽坂恵が色っぽくて良い。こういう映画だと、エロスとタナトスを持ち出しての批評があるだろうが、当たり前すぎて面白くないな。