2003/09/15(月)「閉ざされた森」

 「ダイ・ハード」のジョン・マクティアナン監督のミステリ。パンフレットでミステリ作家の有栖川有栖と貫井徳郎が「『翻弄される快感』に満ちた映画だ」「ここまで見事にだまされた経験はここ数年では憶えがない」と誉めているが、多分にリップサービスではないか。プロット自体は良くできているけれど、中盤、兵士の証言によって真相が“藪の中”に入っていくくだりが今ひとつ面白くなく、真相が明らかになっても「ああ、そうですか」という感じにしかならないのだ。「そうだったのか!」とハタと膝を打つようなシーンはないし、これはミステリのためのミステリ。伏線は細かく張ってあり、いわゆる本格ものに近い感触はあるが、物足りない思いが残る。

 脚本は「Darkness Falls」(日本未公開)に続く2作目のジェームズ・ヴァンダービルトのオリジナルらしい。ハリケーンの中、パナマの米軍基地から訓練に出たレンジャー隊のウエスト軍曹(サミュエル・L・ジャクソン)以下7人がジャングルの中で行方不明になる。救出に向かったヘリの目の前で隊員同士の銃撃戦があり、1人は死亡。救助された2人のうちケンドルは重傷を負い、ダンバーはジャングルで何が起こったか完全黙秘を続けている。捜査に当たったジュリー・オズボーン大尉(コニー・ニールセン)の手には負えないと判断したスタイルズ大佐(ティム・デイリー)は元レンジャー隊員で麻薬取締局捜査官のトム・ハーディ(ジョン・トラボルタ)に捜査を依頼する。ハーディには捜査に絡む収賄容疑がかかっており、ジュリーには信用できないのだが、黙秘を続けていたダンバーから見事に供述を引き出す。しかし、続いて供述したケンドルはダンバーとはまったく別の話を真相として語る。

 証言者によって話が二転三転するというパターン。事件の背景として同性愛や麻薬や上官への憎しみなどが出てくるが、どれもこれも通り一遍の描写で物語に深くかかわってはこない。真相が明らかになってみると、それは仕方がないかなという気もする。ゲームのような話なのである。頭の中だけで組み立てた話、パズルを組み合わせることだけに心を砕いた話であり、物足りない思いはそこから来ている。「羅生門」のようにヒューマニズムを出せとは言わないけれど、パズラーにプラスαとなるものが欲しいのだ。行方不明の7人の描き分けも今ひとつである。観客に罠を仕掛けるのなら、もう少しうまく仕掛けて欲しい。ヴァンダービルトの脚本はその意味で若書きの感じが拭いきれない。マクティアナンの演出も、どうもミステリの基本をわきまえたものとは言えない。

 終盤、タマネギの皮をむくように新たな真相が顔を出す展開は小説で読むと楽しいのだろうが、映画では目まぐるしいだけ。映画の場合、謎だけで引っ張っていくのはなかなか難しいのだなという思いを強くした。

 ジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンはいつものように好演といって良い。コニー・ニールセンは「ミッション・トゥ・マーズ」「グラディエーター」ではもう少し魅力的だったような気がする。

2003/09/12(金)「ムーンライト・マイル」

 心に傷を持つ若い2人の切ないラブストーリーと見てもいいし、娘を失った中年夫婦が失意のどん底から再生する物語と見てもいい。重たいセリフが散りばめられながら、独りよがりにならずに娯楽映画として仕上げることを忘れなかったブラッド・シルバーリングの脚本・演出はとても充実している。キャラクターの彫りの深さは賞賛に値する。ダスティン・ホフマンとスーザン・サランドンがうまいのは当然にしても、主演のジェイク・ギレンホールとメジャー映画デビューとなった女優エレン・ポンペオも非常に魅力的である。脚本と俳優の演技が高いレベルでマッチしており、一部に甘い部分があるにしてもアメリカ映画の良い伝統が息づく良質の作品と思う。

 ストーリーはシルバーリング監督の体験に基づく。1989年、シルバーリングの恋人だった新人女優のレベッカ・シェーファーはストーカーによって銃で殺されたのだ。映画は1973年のマサチューセッツ州のある町を舞台にしており、ベン・フロス(ダスティン・ホフマン)とジョージョー(スーザン・サランドン)の一人娘ダイアンがコーヒーショップで流れ弾に当たって死ぬという設定である。

 ダイアンの婚約者だったジョー(ジェイク・ギレンホール)は葬儀後、ベンの精神分析医から失意の2人を励ますためにしばらく一緒に暮らすよう頼まれる。ジョーにはある秘密があって気が進まないのだが、ベンもジョージョーも哀しみをまぎらすためにジョーを必要としていた。ジョーはベンの不動産の仕事を手伝うようになる。ある日、結婚式の招待状を回収するために町の郵便局に行ったジョーは局で働くバーティー(エレン・ポンペオ)と出会う。偶然にもバーティーはベンが地上げを計画する商店街で「キャルの店」という酒場を手伝っていた。

 中盤、ジョーがバーティーに秘密を打ち明けるシーンが胸を打つ(アメリカの予告編はこの秘密を伏せているのに日本の予告編は平然とネタを割っている。これはいかがなものか)。バーティーは自分を偽って生きていくジョーの弱さをなじるが、お互いに苦悩を抱える2人は急速に接近していく。ベンとジョージョーの夫婦関係も陰影に富んだもので、悲しんでいるばかりではなく、他人から安易な同情を受けることも拒否している。親子の関係、夫婦関係、恋人同士の関係を深い視点で描いてあり、シルバーリング監督、題材を長年温めてきただけのことはある。ダイアンを撃った犯人の裁判で自分の本当の思いを訴えるジョーの姿は何だかジェームズ・スチュワートを彷彿させた。

 ホフマンとサランドンに比べて、同じオスカー女優でも弁護士役のホリー・ハンターはやや演技のし甲斐がない役柄で損をしている。エレン・ポンペオはこの映画の後、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」と「デアデビル」にも出ているそうだが、どの役だったのかまるで印象がない。ボストン出身で年齢は不詳だが、今後に注目したい。

2003/08/29(金)「シティ・オブ・ゴッド」

 最初に連想したのはマーティン・スコセッシであり、ガイ・リッチーだった。ギャングという題材、時間軸と視点を自在に操るタッチ。フェルナンド・メイレレス監督は重たく深刻な題材を解体し、再構成して絶妙の映画に仕上げた。このうまさには恐れ入る。

 後に凶悪なギャングに成長するリトル・ダイスの人を撃ち殺すのが楽しくて仕方がないといった表情や、「(撃たれたいのは)どちらか選べ。手か足か」とガキ軍団の幼い2人が迫られて泣き叫ぶ場面などはショッキングなのだが、全体として軽快にテンポよく進む作りにはもう絶賛を惜しまない。モーテル襲撃事件の真相のミステリ的な描き方であるとか、「二枚目マネ」が死に至る原因となった意外な人間関係であるとか、そういう部分をサラリと描いているのがまた憎い。

 逆に言えば、そうした技術的な圧倒的なうまさが題材の深刻さを隠すベクトルともなっていて、これは社会派のテーマを持つ映画でありながら、恐ろしく出来の良いエンタテインメントとして機能することになる。人の命の軽さが点景として多数描かれること、銃やドラッグの本質的な怖さを感じにくいことなどに、かすかな違和感もある。

 つまりテーマよりも技術の方が目立つ映画なのであり、あまりにも面白いので、そういう微妙なケチの付け方をしたくなる作品なのである。音楽の使い方を含めて心地よい映像になったのはメイレレスがCM監督出身であることと無関係ではないだろう。あらゆる技術を駆使して商品(題材)を一流のパッケージにくるんで見せているわけだ。

 いずれにしても、今年のmust seeの1本であることは確か。IMDBでは8.6の高ポイントで、オールタイムの84位になっている。

2003/08/25(月)「ジェイソンX」

 地下の研究所でジェイソンとともに冷凍された女性研究者が450年後に発見される。宇宙船に運び込まれ、蘇生措置を受けるが、冷凍が解けたジェイソンも復活してしまう。宇宙船内で例によって惨殺劇が繰り広げられることになる。

 IMDBの評価を見ると、4.9。最低の評価だが、ビデオで見る分にはまずまずの出来と思う。「エイリアン」のシチュエーションの借用は承知の上で、B級SFホラーに徹している。VFXもそれなりの水準。終盤、アンドロイドによってバラバラにされたジェイソンが蘇生装置で金属の外殻を身につけ、よりパワーアップするというのが面白い。

 この秋公開予定の新作「フレディ VS ジェイソン」はアメリカではヒットしているらしい。それにしても、ショーン・S・カニンガムの第1作「13日の金曜日」が作られたのはもう20年以上前。未だにシリーズが作られ続けるというのは新たなキャラクターを作るのが難しくなっていることの裏返しか。

2003/08/21(木)「HERO 英雄」

 「初恋のきた道」のチャン・イーモウ監督が手がけたアクション映画。戦乱の続く紀元前200年の中国を舞台に秦王を狙う刺客とそれを倒したと秦王に名乗り出た男の物語である。ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン、チャン・ツィイー、ドニー・イェンとスターをそろえ、VFXも本格的な超大作。ジェット・リーとドニー・イェンの対決とか、雨のように降りそそぐ矢とか見ごたえのあるシーンが多い。特筆すべきはワダ・エミの担当した衣装で、赤、青、白と物語に応じて使い分け、物語に強いアクセントを与えている。画面の色彩設計ではこのほか、チャン・ツィイーとマギー・チャンの決闘シーンで、黄色のポプラの森が一瞬にして赤に染まるシーンなど見事なものである。

 しかし、残念ながらドラマがやや起伏に欠ける。いくら剣の達人ばかりとはいっても、登場人物たちのエモーションがあまり表面に出てこないのである(感情を最も表出させているのは剣の達人ではないチャン・ツィイーだ)。見事なアクションの必然性を生む芯の部分が弱かったと言うべきか。格調高い出来であるだけに惜しい。

 後に始皇帝となる秦王(チェン・ダオミン)のもとに無名と名乗る男(ジェット・リー)がやってくる。無名は秦王を狙う刺客の長空(ドニー・イェン)、残剣(トニー・レオン)、飛雪(マギー・チャン)を倒したと話す。どうやって倒したのかと問う秦王に無名はそのエピソードを語り始める。長空は凄絶な戦いの末に仕留めた。恋人同士の残剣と飛雪は嫉妬心を利用して仲違いさせ、倒した。無名はその功績で秦王に10歩そばまで近づくことを許される。しかし、秦王は無名の話におかしな部分を感じる。3年前、3000人の兵をものともしなかった残剣と飛雪は嫉妬に狂うような人物ではなかったはずだ。指摘を受けた無名は真相を語り始める。

 一つの物語を3通りに分けて語る手法は黒沢明「羅生門」を彷彿させる。矢のシーンも「蜘蛛巣城」のようだ。チャン・イーモウ、どこかで黒沢を意識したのかもしれない。ただ、黒沢とイーモウを分けるのはアクションのダイナミズムだろう。秦軍の多数の兵が趙の国を攻めるシーンは、無数の矢が放たれるだけで合戦場面がないのが惜しい。ジェット・リーとドニー・イェンの対決はその殺陣のあまりの速さに驚くが、あとの場面は宙を飛んだり、水の上を走ったり、「グリーン・デスティニー」同様、超人的な要素があり、地に足のついたものにならないのである。激しさとは異なる流麗なアクション。これはこれで悪くはないのだが、登場人物たちの感情とこうしたアクションとは密接な結びつきにならないのだ。これは同じジェット・リー主演の「キス・オブ・ザ・ドラゴン」の激しさと比べると良く分かる。

 長空のエピソードだけが独立したものになったのも残念。残剣と飛雪だけでなく、長空も絡めて3人の刺客を有機的につなぐ構成が欲しかったところだ。視覚的には十分満足しながら、エモーショナルな部分で不満が残った。