2003/05/12(月)「X-MEN2」

 3年前の第1作はクライマックスの戦いでX-メンたちがあまりに弱いのでがっかりした。マグニートー(イアン・マッケラン)に対して手も足も出やしない。ウルヴァリンもジーン・グレイもストームもサイクロップスもああ、こんなものかと思った。いくら最強のミュータントであるマグニートーが相手でもこれでは不満が残る。今回は違う。X-メンたちの戦い方はパワーアップしており、話の展開にも説得力がある。怪物的な容貌のミュータントはすべて悪役という幼稚な設定も変えてあり、善と悪の対立は複雑な様相を見せる。予算がアップした分、VFXにも見応えがあり、監督のブライアン・シンガー、見事に捲土重来を果たした。

 ホワイトハウスにテレポート能力を持つミュータントが侵入し、大統領の命を狙ったのが発端。一時期静まっていたミュータント登録法の復活を望む声が高まる。それを推し進めたのが大富豪のストライカー(ブライアン・コックス)で、ストライカーはプロフェッサーXことエグゼビア教授(パトリック・スチュワート)らを狙い、X-メンは窮地に陥る。ストーム(ハル・ベリー)とジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)が大統領を狙ったミュータント、ナイトクロウラー(アラン・カミング)を探しているうちにエグゼビア教授のミュータント学園は急襲され、ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)とローグ(アンナ・パキン)、そのボーイフレンドのアイスマンことボビー(ショーン・アシュモア)、火のミュータント、パイロ(ジョン・アラダイス)たちは辛くも逃げ出す。一方、エグゼビア教授はサイクロップス(ジェームズ・マーズデン)とともに収監されているマグニートーに会いに行き、そこでストライカーに捕らわれる。ミスティーク(レベッカ・ローミン=ステイモス)に救出されたマグニートーは、敵対関係にあるウルヴァリンたちと協力、ミュータント絶滅を図るストライカーに戦いを挑んでいく。

 物語はウルヴァリンの体に埋め込まれた超合金アダマンチウムの秘密を絡めて展開していく。アダマンチウムを埋め込んだのはストライカーらしい。しかし、なぜ何のためにという謎をはらみつつ、クライマックスに突入していく。前作ではマグニートー対X-メンの戦いがメインになったためにそれぞれの力を発揮しようがなかったが、今回はストライカーの要塞に対してX-メンたちはアタックをかける。ウルヴァリンの超合金とジーン・グレイのテレキネシスとストームの天候を左右する力が、そしてナイトクロウラーのテレポーテーション、ミスティークの変身能力が十分に発揮されるのだ。超能力を使う場面をそれぞれに用意したストーリーはよく考えてあると思う。

 若い世代のボビーとパイロも含めてミュータントが前作より多くなったのにキャラクターを明確に描き分け、ドラマを盛り上げたブライアン・シンガーの演出は賞賛に値するだろう。「ユージュアル・サスペクツ」以来の優れた出来であり、アクションとVFXとドラマをうまく融合させた作品に仕上がった。2時間16分を長く感じない。

 ウルヴァリンとサイクロップスの間で揺れ動くジーン・グレイがクライマックスにたどる運命はまさにドラマティック。マグニートーとミスティークがやっぱりそういうこと考えていたのかと思わされるラストの展開も見て、第3作が俄然楽しみになってきた。

2003/05/06(火)「アトランティスのこころ」

 スティーブン・キングの原作を「シャイン」のスコット・ヒックス監督が映画化。というのは正確ではなくて、上下2巻の原作の上巻部分だけを映画化してある。小説「アトランティスのこころ」は中編と短編の組み合わせだから、こういう映画化も可能なのだが、あまり誉められた姿勢ではないだろう。加えて脚本のウィリアム・ゴールドマンは原作の表面的な部分をなぞっただけで、映画の印象は極めて平板なものになってしまった。ポイントがないのである。

 大人になった主人公ボビー・ガーフィールド(デヴィッド・モース)がかつての親友の死を知り、故郷に帰り、少年時代を回想するという構成。「スタンド・バイ・ミー」のようなこの構成がもう安易というほかない。主人公は2階に越してきた初老の男テッド・ブローティガン(アンソニー・ホプキンス)と親しくなる。テッドには不思議な能力があって、ある組織から狙われているらしい。原作ではこのテッドが「ダーク・タワー」シリーズと重なるのだが、映画ではSFにするのを嫌ったためか、別の設定にしてある。それはいいのだが、それならば主人公と母親(ホープ・デイヴィス)との確執をもっと描き込む必要があっただろう。クライマックス、主人公が母親と口論するシーンはなかなかよく、どうせ原作を離れるのなら、映画はここを中心に母親を見限る子どもの話として映画化しても良かったのではないか。

 子役3人にあまり魅力がないのも致命的。うまくいかない時は様々な要素が重なってうまくいかないものなのである。

2003/05/04(日)「ザ・グリード」

 スティーブン・ソマーズが「ハムナプトラ」の前に撮った作品で、98年の公開時、一部SFファンの間では話題になったが、僕は見のがしていた。B級映画と思ってみたら、意外に面白いという映画。いや、今となってはソマーズのその後の作品を見ているのでこれぐらいは当たり前と思える。出演者はトリート・ウィリアムズとファムケ・ヤンセンを除けば(入れても)、ほとんどB級なのだが、怪物造型はロブ・ボーティン、音楽はジェリー・ゴールドスミスなのだからA級も入っているのである。

 最初の30分ほどはなにをグダグダやってるんだと思えるぐらいにまだるっこしい。しかし深海の怪物が豪華客船の乗客3000人をあっという間に食べ尽くしてしまって(その描写はない)からは、なかなか凝った話を見せてくれる。全編に漂うユーモアがソマーズらしいところ。怪物に食べられて半分消化されてしまった人間の描写などは「ハムナプトラ」のミイラにそっくりだった。「アナコンダ」のジョン・ボイトよりも消化の具合が進んでいるのが笑える。

2003/04/26(土)「ゴースト・オブ・マーズ」

 「火星のゾンビ」あるいは「エスケープ・フロム・マーズ」というタイトルでも良さそうな映画である。IMDBを見ると、10点満点で4.7点という最低の評価。僕はまずまず面白かった。火星が舞台でもSFではなく、ゾンビ化した人間たちからどう逃げるかを中心にしたサスペンス・アクションである。「要塞警察」や「ニューヨーク1997」などジョン・カーペンターの過去の作品に通じるものがあり、まあカーペンターらしいなと思える出来だ。火星の生物にもっとSFXを使い、SF的な展開が加わると、一般受けするような映画になったと思う。

 テラフォーミングが80%進んだ火星には60万人以上の人間が移住しているという設定。凶悪犯を護送するため、警察の一行がある炭坑町に向かう。街には人影がない。屋内に入ると、多数の人間が首を切断されて惨殺されていた。逃げてきた女性科学者の話によると、地下の洞窟から赤い風のような生物が出てきて、人間に乗り移り、人間がゾンビ化したのだという。ゾンビを殺すと、その生物はまた別の人間に寄生する。建物に立てこもった警官と凶悪犯たちは、大量のゾンビ軍団を相手に必死の逃亡を試みる。

 うーん、この話だと、別に火星が舞台でなくてもよいような気がする。主演のナターシャ・ヘンストリッジ(「スピーシーズ」)は悪くはないが、同じような役柄の「バイオハザード」ミラ・ジョヴォヴィッチほどの魅力はない。ほかにアイス・キューブ、パム・グリアー(ほとんどゲスト的な扱い)、ジェイソン・ステイサム(「スナッチ」)など。役者に金を使っていないのは予算が少なかったためか。

 特典映像に映っているカーペンターを見て、年取ったなという思いを強くした。

2003/04/25(金)「シカゴ」

 故ボブ・フォッシーのミュージカルの映画化でアカデミー作品賞受賞作。ミュージカル初挑戦のレニー・ゼルウィガーと過去に経験のあるキャサリン・ゼタ=ジョーンズがセクシーで華麗な歌と踊りを見せてくれる。ゼルウィガーが無難にこなしました、というレベルなのに対して、ゼタ=ジョーンズは意外にうまいので驚いた。ただもう少し体を絞った方が良かったと思う(ゼルウィガーは「ブリジット・ジョーンズの日記」とは打って変わってスリム)。無難にこなしたのは監督のロブ・マーシャルについても言え、舞台を映画に置き換える際の際だったアイデア、演出はあまり見えない代わりに、これはまずいと思える部分も一切ない。エンタテインメントとしては十分に満足できる仕上がりである。

 冒頭、舞台で「オール・ザット・ジャズ」を歌い上げるヴェルマ・ケリー(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)のシーンがいい。これで画面に引き込まれる感じ。現実のミュージカル的場面は実はここだけで、あとは空想ということになっている。これはロブ・マーシャルのアイデアというが、映画のキャラクターが急に歌ったり踊ったりする不自然さを嫌ったのだろうか。舞台で踊るヴェルマを見つめるのがショウビズ界に憧れるロキシー・ハート(レニー・ゼルウィガー)。ロキシーはマネジャーを紹介するという口車に乗って家具のセールスマンと不倫関係を続けていたが、それが嘘と知らされ、発作的に男を銃で殺してしまう。一方、ヴェルマも妹と夫が関係しているのを知って殺害。2人は同じ女性刑務所に入れられる。ヴェルマは看守長のママ・モートン(クイーン・ラティファ)を買収し、辣腕弁護士ビリー・フリン(リチャード・ギア)を雇い、マスコミを使って新聞の一面を飾るスター的存在になる。スキャンダルを逆手に取るわけだ。ロキシーはそれを見習い、夫のエイモス(ジョン・C・ライリー)に頼んで、ビリーを雇う。ロキシーとヴェルマの関係は逆転。しかし、新しもの好きなマスコミは新たなスキャンダルがあると、ロキシーに見向きもしなくなってしまう。

 刑務所と言えば、似非ミュージカル「ダンサー・イン・ザ・ダーク」にも登場したが、ここで繰り広げられる歌と踊りは当然のことながらずっと洗練されている。ダイナミックでセクシー。踊りは元々セクシーなものだし、ボブ・フォッシーの映画でもセクシーな踊りが多かったが、この映画もその伝統を受け継いでいる。やや不健康で猥雑な感じがいい。ミュージカル場面を空想にしたことで、映画は歌と踊りを見せるための作品に特化したようだ。感情が高まって歌になり、歌が高じて踊りになるという原則はだからここにはなく、ダンスと主人公たちの感情とが今ひとつしっくりこないのはそのためでもあるようだ。ミュージカル場面を見せるためのドラマという感じ。そうはいってもこの歌とダンスにあふれた構成は楽しく、やはりアメリカはショウビズの本場だなという思いを強くする。

 監督デビューのロブ・マーシャルは舞台とは違った振付を取り入れたそうだ。そこがオリジナリティーと言えばそうなのだが、ホントの実力は2作目を見ないとよく分からない。バズ・ラーマンと並んでミュージカルに精通した監督が出てきたことは喜ぶべきか。

 リチャード・ギアは最初に登場する場面の歌と踊りはおずおずといった感じだが、その後のタップダンスはぴったり決まっていた。欲を言えば、10年前にミュージカルに出ていた方が良かったのではないかと思う。ジョン・C・ライリーも「俺はセロファン~」とダメ男の悲哀を込めて歌う場面があり、意外なうまさを見せる。「チャーリーズ・エンジェル」のルーシー・リュウがカメオ出演していた。