2012/12/13(木)「007 スカイフォール」

 映画の最後の方で、ある人物がシリーズでおなじみのキャラクターであることが分かってニヤリとさせられる。「ダークナイト ライジング」の時は最後に明らかになるあの人物に関して、開巻間もなく分かったが、これは分からなかった。というか、まず想像の範囲外にある。ああ、そう言えば、最近出ていなかったよな、この人、という感じ。007シリーズファンへの目配せなのだろう。

 IMDbで調べてみると、このキャラクター、ボンド役がダニエル・クレイグに代わった「カジノ・ロワイヤル」以降、出ていなかった。この人物も含めて「スカイフォール」はいろいろな意味でシリーズをリブートさせる役割を持つ映画だ。評価の高い映画だが、僕はそれほどとは思わなかった。ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)がアストンマーチンDB5(おお、懐かしい)に乗り換えたところで、ボンドのテーマが鳴り響き、後半への期待が高まるのだが、当てが外れた。クライマックスのスケールが小さいのだ。サム・メンデス監督だけに映画の出来は悪くはないのだが、後半は007でなくても成立する話だと思う。

 

2012/12/10(月)SSD換装

2年前に買ったデスクトップパソコンのハードディスクをSSDに変えた。やはりSSDの効果は絶大でソフトウェアの起動がかなり速くなった。

買ったのはSamsung SSD840オールインワンキット500GB。Cドライブの使用量は140GB程度だったので、250GBのSSDでも良かったのだが、とりあえず余裕を持たせた方が良いだろう。

SSDを付属のUSBケーブルで接続し、CD-ROMからSamsung SSD Magicianをインストール。起動してSite Linkのタブをクリックすると、Softwareダウンロードのリンクがある。ところが、このページにあるノートンゴースト用のシリアルナンバーがどこにもない。これではディスクの複製機能が使えない。これでしばらく悩んだ。サポートページを見てみたら、新しいページがリンクされていた。SSD840シリーズからはディスクの複製にノートンゴーストではなく、Samsung Data Migration Softwareを使うらしい。これ、はまる人がけっこういるのではないか。なぜ古いリンクのままにしておくのか、理解不能だ。説明書ぐらい入れておいてはどうか、日本サムスン。

ディスクの複製には2、3時間はかかる(途中で外出したので正確な所要時間は分からない)。あとは交換するだけ。ここでまた問題発生。付属キットの固定用金具の背面にねじ穴がないのだ(側面にはある)。いや、あるのだが、4個あるねじ穴はSSDの固定に使っていて、ほかにない。SSDと金具をパソコン内部のねじ穴に一緒に固定すればいいのだが、面倒なのでやめておいた。Cドライブは一番下にあるし、SSDは振動もしないので、固定しなくても構わないと言えば、かまわないのだった。それにこれはDELLのパソコンの方にも問題がある。先日、USB3.0の拡張ボードを設置した時にも内部が狭くて作業がしにくかった。どうもDELLのパソコン、拡張性には難がある。

CrystalDiskMarkで計測してみると、シーケンシャルリードは今までのHDDの2.5倍程度、4Kのリードに関しては21倍も速くなった。Windowsのエクスペリエンスインデックスでもディスク転送速度のスコアが5.9から7.8に上がった。これほど効果があるならノートパソコンの方も交換したいのだが、分解にかなりの手間がかかるようで尻込みしている。HDDが壊れてどうしようもなくなったら、交換しよう。

2012/12/02(日)「桐島、部活やめるってよ」

 金曜日、金曜日、金曜日、金曜日と繰り返される序盤で、映画は一つの事象を視点を変えて描いていく。その事象とはバレーボール部キャプテンの桐島が部活を辞めたという噂。桐島は県選抜にも選ばれるほどの実力を持ち、瞬く間に噂は校内を駆け巡る。この過程で描かれるのは多くの登場人物の視線だ。視線の行方によって登場人物の思いが分かり、その置かれた境遇も分かってくる。

 これほど多くの視線で構成された映画も珍しいだろう。登場人物が見つめる先は例外なく異性であり、思いを素直に伝えられないから切なさが募る。なぜ思いが伝えられないのか。それは拒絶されることの恐れもあるだろうが、住む世界が違う(と認識している)からだ。同じ教室にいながら、世界は違う。映画は学校における上下関係を描きだし、そこで蠢く生徒たちの姿を浮き彫りにする。だからこの映画はリアルな青春映画になり得ている。映画にはモノローグもなく、説明的なセリフもない。視線と描写だけでこうした状況を明らかにしていく。吉田大八監督、久々の会心作となったのではないか。

 Wikipediaによれば、学校の階層構造(スクールカースト)でオタク系は下の方に位置する。オタクの集まりである映画部の面々は他の生徒の嘲笑の対象で、下位にいる者の常として鬱屈をかかえている。ゾンビ映画を撮影しようとした校舎の屋上に吹奏楽部の部長がいた場面で、映画部の面々は「吹部だから大丈夫だ」と話し、移動してくれるように頼む。たぶん、相手が運動部だったら何も言わずに諦めて帰ったのだろう。スクールカーストの根幹をなすのは十代特有の価値観で、美男美女や恋愛経験の豊富な者、文化部よりも運動部が上位に来る。大人になれば、差別の根幹は経済力にほぼ集約されるので単純だ(単純だから良いわけではない)。

 と、ここまで書いたところで、朝井リョウの原作を読んだ。そして驚いた。これほど原作を徹底的に解体しながら、原作のエッセンスをまったく失っていない映画は極めてまれだ。映画には原作のセリフと同じものはほとんどない。人間関係やエピソードも変更し、付け加えられたものが多い。

 原作は菊池宏樹(元野球部)、小泉風助(バレー部)、沢島亜矢(吹奏楽部)、前田涼也(映画部)、宮部実果(ソフトボール部=映画ではバドミントン部)、そして再び菊池宏樹の物語が描かれて終わる(文庫ではこれに東原かすみの14歳のころのエピソードが加わる)。メインとなるのは前田と菊池のエピソード。両者は同じクラスにいながら、話したこともないが、終盤のある出来事で一瞬、交錯する。そして菊池は前田の姿からある啓示を受け、サボっていた野球部の練習に参加してみようかという気になる。原作者はここが物語の核だという。映画はここもうまくアレンジし、前田(神木隆之介)の「この世界で生きていかなければならないんだ」というセリフ(撮影中の「生徒会オブ・ザ・デッド」のセリフ)を取り入れている。見事な映画化と言うほかない。脚本(吉田大八、喜安浩平)が素晴らしすぎる。

 付け加えておけば、朝井リョウはかなり映画を見ているようで、前田涼也のパートには「ジョゼと虎と魚たち」や「リリイ・シュシュのすべて」など邦画の青春映画のタイトルがたくさん出てくる。映画部が撮っているのも青春映画だ。映画ではこれが「鉄男」や「遊星からの物体X」などSFに変わっている。SFの方がオタクにふさわしいという判断があったのだろう。いずれにしても自分の原作から邦画の青春映画のトップクラスの作品が生まれたことは原作者冥利に尽きるに違いない。

2012/11/26(月)「魔法少女まどか☆マギカ 前・後編」

 「ハッ、君は本当に神になるつもりかい?」

 「神さまでもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる、変えてみせる。これが私の祈り、私の願い。さあ、叶えてよっ」。

 悪魔はひそかに忍び寄る。決して悪魔の姿をしたままで近寄ってはこない。猫に似たキュゥべえという謎の生物は少女たちに契約を持ちかける。「君の願いを一つだけ叶えてあげる。その代わり、魔女と戦わなくてはいけないよ」と。魔女は人に絶望をもたらす存在で、人の死や不幸や災厄にはすべて魔女がかかわっている。前編の序盤を見ながら、「異界からの侵略者と戦う少女戦士たちの話」と思ってしまったのだが、その後はこちらの想像をはるかに上回る展開だった。

 日本のアニメーションで「魔法使いサリー」あたりから始まり、綿々と作られてきた魔法少女という枠組みを逆手にとって、作者たちは緻密にそしてダイナミックに物語を構築している。キュゥべえのショッキングなセリフで締めくくられる前編は情報量が多く、上映時間も2時間10分と長いため見終わるとグッタリするが、話はとても面白く、引き込まれる。元がテレビアニメなので、各回のクライマックスを次々に見せられる感じがあるのだ。引き込まれて集中しすぎたたために起こる疲労感なのである。後編は物語のネタ晴らしと解決だ。絶望的で逃げ場のない状況に閉じ込められた少女たちを救う手立てはあるのか。作者たちはあらゆる可能性を否定してみせ、主人公のまどかは最後にこれしかないという解決策にたどり着く。

 希望、願い、祈り。幸せを願う人の気持ちを否定するような世界は間違っている。希望を絶望に変えてはいけない。この作品のメッセージはそれに尽きる。魔女の結界の抽象的な描写など技術的に賞賛すべき点は多々あるが、何よりもシンプルで当たり前のメッセージを訴えるからこそ、この作品はとても力強く人の心を動かすのだ。

 元のテレビアニメ全12話は2011年1月から東日本大震災による休止期間を経て4月まで放送された。深夜枠だったので、子ども向けではない。震災の時期に祈りというメッセージほど似合うものはないが、震災に合わせたわけではもちろんなく、元から備えていたものである。

 究極のセカイ系アニメであり、過去の数々のジャパニメーションの傑作群の上に築かれた記念碑的な作品と言える。希望を信じる人、信じたい人は急いで劇場に駆けつけなければならない。

2012/11/18(日)「機龍警察 自爆条項」

 1作目はパトレイバーの設定を借りた警察小説という趣だったが、今回は冒険小説のテイストを取り入れている。それもそのはず、作者の月村了衛はジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンの小説が好きなのだという。今回メインとなるのはライザ・ラードナー。元IRFのテロリストで現在は警視庁特捜部に雇われた突入班の傭兵。機龍兵(ドラグーン)のパイロットで警部の肩書きを持っている。現在の事件と併せてそのライザの過去が描かれる。これがもうジャック・ヒギンズの世界だ。

 軽いジャブのような1作目から作者は大きく進化している。このタイトル、設定だと、ミステリファンは手に取りにくいが、少なくとも冒険小説ファンなら満足するだろう。虚無的なライザの魅力が光る。「このミス」9位で、「SFが読みたい」では11位。これはSFではないから仕方がない。作者の本領は冒険小説にある。