2005/04/01(金)「アビエイター」
「僕は飛行家(アビエイター)、ハワード・ヒューズだ」。新型機のテスト飛行で住宅地に墜落し、大けがを負いながらも脱出したヒューズ(レオナルド・ディカプリオ)が助けに来た男に名乗る。タイトル通り、映画は飛行家としてのヒューズの側面を強調した作りになっている。終盤、海外路線の独占を巡るパンナムとTWAの対立でヒューズが公聴会に呼ばれるシーンが全編のハイライト。パンナムの代理人としか見えない上院議員のオーウェン・ブリュースター(アラン・アルダ)の追及にヒューズが颯爽と切り返す場面はジェームズ・スチュアート「スミス都へ行く」の昔からハリウッド映画が得意とするところである。ただし、ここでヒューズが論拠とするのは民主主義でも自由でもなく、「そっちも悪いことやってるんだから、お互い様じゃないか」という論理。ヒューズの飛行機(航空ビジネス)にかける情熱は伝わるものの、気分的に必ずしも晴れ晴れとしないのはそのためだ。直前まで精神的に追いつめられていたヒューズが公聴会で急に立ち直って鮮やかな弁舌を繰り返すのも説得力を欠く。
映画はヒューズが400万ドルを投じた「地獄の天使」やジェーン・ラッセルの胸の露出具合が問題となった「ならず者」の映画製作を描きつつ、キャサリン・ヘップバーン(ケイト・ブランシェット)との愛を描き、やがてTWAを手に入れたヒューズがパンナムと対立する様子を描いていく。ヒューズの病的な潔癖性や精神的におかしくなっていく描写を挟んではいるが、こうしたエピソードを並べただけの脚本は決してうまくない。本筋は映画製作の方ではないのだから、前半を簡略化して後半のパンナムとTWAの対立の部分をもっと詳しく描いた方が良かったのではないか。2時間49分もかける必要があったかどうか疑問なのである。大作であり、力作ではあるけれど、マーティン・スコセッシ演出に切れ味の鋭い部分は見あたらない。そういうところがアカデミー賞に11部門もノミネートされながら、主要部門には食い込めなかった原因だと思う。
大作だから仕方がないのだが、ヒューズの人間性も十分に描いたとは言えない。病的な潔癖性、自分以外を汚いと感じる意識は差別意識が高じたもののように思える。その原点が冒頭に描かれるのだけれど、これだけでは不十分だろう。精神分析的視点が脚本から欠落している。だからヒューズに起こった出来事をなぞっただけの映画に終わるのである。生まれつきの富豪の男がどういう考えを持っていたのかもっと知りたくなる。
レオナルド・ディカプリオは相変わらずの童顔と幼い声がマイナスで迫力に欠けるが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」よりも違和感はなかった。後半、ひげを生やしたあたりから少し年齢的に苦しくなるにしても、ヒューズの若いころからの20年間に時代を絞ったことが功を奏している。アカデミー助演女優賞を受賞したケイト・ブランシェットはいつものようにうまい。助演男優賞にノミネートされながら受賞は逸したけれど、アラン・アルダの憎々しい上院議員やヒューズを補佐するジョン・C・ライリーもこの映画を支えていると思う。