2002/12/15(日)「ゴジラ×メカゴジラ」
手塚昌明監督の前作「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」(2000年)とは正反対にVFX部分が良いのにドラマがまったくダメである。釈由美子扮する主人公の家城茜は1999年のゴジラ襲来の際、メーサー砲の操縦を誤り、仲間の自衛隊員が乗った車を崖下に転落させてしまう。車の乗員はゴジラに踏みつぶされて死亡。茜は資料課に転属させられる。この設定ならば、「私はゴジラを許さない」的展開になるはずなのだが、それをやってしまっては「ゴジラ×メガギラス」の田中美里の役柄と同じになってしまう。
手塚昌明はそれを避けようとして、茜をだれからも希望されずに生まれた天涯孤独な人間として、社会のすべてと戦ってきたキャラクターに仕立てた。それはいいのだが、こうした設定は茜の口から説明されるだけで、描写としては一切ない。これが弱い。釈由美子は「修羅雪姫」を引きずったようなキャラクターを懸命に演じているのに、手塚昌明の演出とストーリーはそれを十分に生かしていないのである。1時間28分の上映時間は併映の「とっとこハム太郎」に圧迫されたためでもあるだろうが、主人公の心情を十分に描かないと、説得力を欠き、薄っぺらな映画になってしまう。通り一遍の描き方が惜しい。宅間伸親子のエピソードなどばっさり削り、ヒロインを十分に描いてくれたなら、傑作になる可能性もあったと思う。
機龍(メカゴジラ)の設定はテレビの巨大ロボットものを踏襲したものになっている。メカゴジラは昭和29年に芹沢博士のオキシジェン・デストロイヤーで殺されたゴジラの骨からDNAを抽出して生体ロボットとして作られた。このため、ゴジラとの最初の戦いでゴジラの咆哮を聞いたことでメカゴジラは操縦不能になり、暴走してしまう。それを修復した2度目の戦い。最初は遠隔操作で操るが、ゴジラの攻撃にダメージを受けて操縦系が故障し、ヒロインはメカゴジラのメンテナンスルームに乗り込んで直接操縦することになる。ここでメカゴジラとヒロインの心情がシンクロする場面はエヴァンゲリオン的な描写なのだが、これまたドラマティックなポイントにはなっていない。ここを効果的な描写にするためにもヒロインをもっと緻密に描く必要があった。そしてここをポイントにすれば、SF的にも評価できる映画になったのではないかと思う。
メカゴジラが発射するミサイルの楕円を描く軌道の描写などVFXは満足できるレベルにある(特殊技術担当は「ガメラ3」や「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」にも参加した菊地雄一)。最近のゴジラ映画の中では屈指といっても良いVFXなのに、ドラマ部分の弱さで平凡な作品になってしまった。いろいろと制約の多いことは分かるが、手塚昌明にはもう一度、自分の作りたいゴジラに挑戦してほしいと思う。