2006/03/15(水)「エミリー・ローズ」
京極堂の力がいるな、と思う。憑物を落とすには京極堂が一番である。日本の狐憑きと同じように西欧の悪魔憑きも精神的な病の一つだろう。昔の人は病名が分からなかったので、狐憑きとか悪魔憑きとか言ったにすぎないのだと思う。この映画は旧西ドイツで1970年代にあった実際の事件をモデルにしている。神父から悪魔祓い(エクソシズム)を受けた女子大生が衰弱死する。その神父が罪に問われ、裁判でまともに悪魔憑きを論じるというのがもう、言うべき言葉をなくす。悪魔がいるとかいないとかの議論は日本人(というか非キリスト教徒)には関係ない世界の話のように思う。精神病の薬をやめさせたことで症状が悪化したという検察側の主張の方にいちいち納得させられるのだが、それでは映画として面白くないと思ったのか、神父の弁護士(ローラ・リニー)の身辺にも奇怪な現象が起きる。これが極めて控えめな怪異なので、ホラーにはなっていない。ホラーなら徹底的にホラー、裁判劇なら裁判劇に徹した方が良かったのではないか。この映画の結論はどっちつかずで面白みに欠けるのだ。映画自体は丁寧な作りだし、弁護士役のローラ・リニーも颯爽としていていいのだけれど、地味な印象は拭えず、平凡な出来に終わっている。題材へのアプローチの仕方が凡庸なのである。
奨学金を受けて大学に行くことになったエミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)はある晩、午前3時に焦げ臭いにおいで目が覚める。エミリーは激しい痙攣と幻覚に襲われる。その症状は次第に悪化し、クラスメートの目が黒く溶けたり、通行人の顔が恐ろしい形相に変わったりする。入院しても症状はひどくなるばかり。自宅で静養することになったエミリーと家族はムーア神父(トム・ウィルキンソン)に悪魔祓いを依頼する。しかし、それは失敗。エミリーは変わり果てた姿で死んでしまう。自然死ではなかったことから、ムーア神父は逮捕され、その弁護を女性弁護士のエリン・ブルナー(ローラ・リニー)が担当することになる。
エリンが弁護を引き受けたのは名声と事務所の肩書きが欲しかったからだ。たとえ有罪であっても無罪を勝ち取る戦略なので、最初は神父に証言させないつもりだったが、「この裁判には闇の力が働いている」という神父の言葉通りにエリンの周囲にも奇怪な出来事が起こるようになり、エリンは考えを改め、神父に証言させることにする。そこからエミリーの悪魔祓いの実際が明らかになっていく。
証言によって事件のさまざまな様相が明らかになる構成について監督のスコット・デリクソンは黒沢明「羅生門」の影響と語っている。それならば、「羅生門」で死んだキャラクターを霊媒が呼び出して証言させたようにエミリー自身の証言も欲しかったところではある。エミリーに証言させるつもりが実は悪魔を呼び出してしまって、とかいう展開にすると、大きくホラーの方に傾くことになっただろう。そういう破天荒な展開を脚本に盛り込めなかったのは想像力の限界ということか。あるいは監督が本気で悪魔が存在するかどうかを議論したかったのか。いずれにしても、もう少しスーパーナチュラルな要素を増やした方が映画は面白くなったと思う。
ちなみにエミリーが霧の中を歩くシーンも同じく黒沢の「蜘蛛巣城」を参考にしたそうだ。映像の作りについては不備なところは見あたらないが、際だってうまいわけでもない。裁判の判事役で久しぶりのメアリー・ベス・ハートが出ていた。