2002/04/21(日)「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」
しんのすけ一家が戦国時代(天正2年=1574年)にタイムスリップする。そこには前夜、なぜか夢で見た美しい女そっくりの廉姫(れんひめ)がいた。春日城に住む廉姫は幼なじみで家臣の又兵衛に恋心を抱いており、又兵衛の方も同じ思いでいるが、身分差の厳格な時代、姫と家臣ではお互いに本心を打ち明けようがない。家の裏庭の穴からタイムスリップしたしんのすけは又兵衛の家に世話になり、いつものように騒動を巻き起こしていく。廉姫は大蔵井家に政略結婚させられるはずだったが、しんのすけから未来の話を聞いた殿様が心変わりし、政略結婚を断る。大蔵井は激怒し、いい口実とばかりに大軍を率いて、春日城に攻めてくる。
この合戦シーンはもちろん子ども向けであるから残虐シーンはないが、合戦の在り方がリアルに描かれており、一つの見どころになっている。
原恵一監督は「今回あえて野原一家を中心に物語を展開させないで、時代劇の面白さを追求しようと決めて、時代劇でしかできない、現代劇でやったら照れちゃうような真っ直ぐな気持ちとか、潔さ、覚悟みたいなものを登場人物たちに入れ込んだんです」と語っている。又兵衛や廉姫は確かに良いキャラクターだし、2人の許されない恋の描写も悪くはないが、それならば、「クレヨンしんちゃん」の枠組みでやる必要はなかったのではないか、という根本的問題とぶつかってしまう。「オトナ帝国の逆襲」ほどの出来にならなかったのは、一家がメインの話ではないからと思う。
ラスト近くのエピソードは下手をすると、「ペイ・フォワード」のように観客を泣かせるためだけの、あざといシーンになるはずだったが、しんのすけのタイムスリップの意味と絡めて説明されるので、まあ許容範囲だろう。SF的設定で欲しいのは、タイムスリップの理屈で、裏庭で掘った穴からできたというだけではちょっと物足りない。何かもう一つ超自然的な設定(簡単なものでいい)が欲しかった。
「オトナ帝国」によって、大人も今回の作品には期待していた。原監督はそれに応えようとして、本格的な時代劇と悲恋を絡めたのかもしれない。今回も水準は高いが、こういう話になってくると、作画の雰囲気とあまり合わなくなってしまう。ストーリーはまるでベルバラ調ですからね。来年は家族中心の話に返って、捲土重来を果たして欲しいと思う。
2002/04/20(土)「光の旅人」
地球から1000光年離れたK-PAX星から来た異星人だと名乗る男を巡るファンタジー。家族の絆という寓意がはっきりしすぎているのが少し興ざめで、物語はさしたる意外性もなく進行していく。イアン・ソフトリーの演出は丁寧だし、決して悪い映画ではないのだが、もうひとつぐらいアイデアを絡めると良かったかもしれない。新鮮みがあまりないのである。
精神病院を舞台にした映画というと、「まぼろしの市街戦」(1967年、フィリップ・ド・ブロカ)や「カッコーの巣の上で」(1975年、ミロシュ・フォアマン)などを思い出すが、この映画にもそれらと同じような味わいがある。精神科医のマーク・パウエル(ジェフ・ブリッジス)のもとに1人の患者が転送されてくる。その患者、プロート(ケヴィン・スペイシー)は駅に忽然と現れ、警察に保護された。自分は宇宙人だと名乗り、妄想患者かと思われたが、プロートは理路整然と話し、故郷の星についても正確な知識がある。マークの義弟で天文学者のスティーブ(ブライアン・ハウイ)が用意した質問表に正確に答えたばかりでなく、K-PAX星は実在しており、まだその存在は学会でも発表されていなかったことが分かる。精神病院の患者たちはプロートを本物のK-PAX星人と思うようになる。マークは催眠療法でプロートの過去を探り、ついにその正体を突き止めたと思ったが…。
原作は科学者でもあるジーン・ブルーワーの処女作という。脚本は「マイ・フレンド・メモリー」のチャールズ・リーヴィット。ほぼ忠実な脚本化らしいが、マークの前の妻との間に生まれた息子との関係や今の家族の関係が物語に絡んでくるところなど、もう少し描写を割くべきだったのではないか。
ケヴィン・スペイシーは相変わらずセリフ回しの微妙な変化に感心させられる。この人のうまさというのは主に口跡の良いセリフにあると思う。精神科医役のジェフ・ブリッジスも好演しており、この2人の演技が映画を支えている。エンディング・テーマの「Safe and Sound」(シェリル・クロウ)も良かった。なお、エンディングの後にもう一つシーンがあるので、クレジットが流れ始めたからといって、席を立たない方がいい。
2002/04/07(日)「モンスターズ・インク」
面白くないわけではないのだが、このアイデアなら1時間程度、せいぜい70分が限度ではないか。展開が読めるし、中盤がダレる。アカデミーの長編アニメーション賞で「シュレック」に負けたのも納得。同じピクサーのCGアニメでも、「トイ・ストーリー」シリーズの監督ジョン・ラセターと、この映画のピーター・ドクター、デヴィッド・シルバーマンでは演出の力に大きな差がある。これは同じスタジオ・ジブリの作品であっても、宮崎駿とそのほかの監督作品では出来が違うのと同じことです。
それにしてもこの作品、明らかにドラえもんの「どこでもドア」のアイデアを頂いてますね。ピクサーのスタッフは日本のアニメもよく見ているのだろう。
ちなみに本編が始まる前に上映された短編「フォー・ザ・バーズ」はアカデミーの短編アニメーションを受賞した。鳥たちのちょっとしたスケッチだが、ギャグが冴えていました。
2002/04/06(土)「ビューティフル・マインド」
2時間16分、無駄な部分はほとんどない。途中にある脚本の仕掛けは分かってしまったが、それが分かった後に来る夫婦愛の場面がとてもよろしい。ロン・ハワードは1940年代、50年代、おまけして60年代中盤ぐらいまでのハリウッド映画が持っていた美点をとても大切にしているようだ。あの、大学の食堂で他の学者たちが主人公のジョン・ナッシュにペンを差し出す場面は泣けた。ドラマトゥルギーの基本として、最初の方の場面に呼応する、こういう場面はあってしかるべきなのだが、それでも泣けた。自分の精神分裂症に引け目を感じて、控えめに生きる主人公の姿とそれがついに報われる、とても素敵なラストシーン。描写の端々に過去のハリウッド映画の良い部分が散見され、豊かで力強い映画になっている。
ジョン・ナッシュは実在の人物だが、その人生の大筋だけを借りて自由に脚本化したアキバ・ゴールズマンの手腕にまず拍手。映画には現実と違う描写が多いらしいけれど、少なくともその本質はつかんで放さず、ジョン・ナッシュの苦悩と栄光が見事に映画として語り直されている。エッセンスだけを凝縮して、エンタテインメントに仕立て上げたゴールズマンは優れた脚本家である。
そして、精神分裂病のジョン・ナッシュを演じるラッセル・クロウの演技は賞賛に値する。どこかダスティン・ホフマンの演技を思わせるが、ラッセル・クロウがこんなに微妙な演技が出来る俳優とは思わなかった。主人公を支え続ける妻を演じるジェニファー・コネリーも大いに魅力的だ。コネリーはホントに報われたなという感じがする。「レクイエム・フォー・ドリーム」も良かったけれど、こういう正統的な映画での好演はこれからのキャリアにもプラスになるだろう。
ロン・ハワードのフィルモグラフィーを見ると、1本も明確な失敗作がないのに驚く。ただし、すべてが水準以上であるにもかかわらず、決定的な1本というのがない監督だった。「スプラッシュ」「コクーン」「バック・ドラフト」「アポロ13」とジャンルは多岐に渡っているけれど、共通しているのはエンタテインメントとしてどれも良くできていること。「ビューティフル・マインド」が退屈で感動の押し売りをするような伝記映画にならなかったのはハワードのこのエンタテインメント志向があったからなのだろう。
2002/03/26(火)「ミスター・ルーキー」
「フィールド・オブ・ドリームス」の主人公は妻子がいるにもかかわらず、自分の夢のためにトウモトコシ畑をつぶしてしまったが、この映画の主人公は妻子のために会社を辞められず、覆面をして阪神タイガースのストッパーになる。夢を実現したいなら、妻子がどうこう言うなよと言いたいところだが、両者が夢に向かっていく男の話であることは共通しており、どうせキワモノだろうと、高をくくって見に行ったら、意外に良い出来なので驚かされた。キネ旬4月上旬号の「REVIEW 2002」では星3つを付けて誉めているのは西脇英夫のみ。あのと3人は2つ以下。いろいろと傷があるのは承知しているけれど、志を買って僕も★★★である。
「あたしは歌手になるのが夢だった。でも今はカラオケで歌って、うまいねって、いわれるのがオチ。あなたは自分の夢を実現したのに、なぜそれをあきらめるのよ!」。中盤、妻の鶴田真由が阪神の一軍登録を抹消された夫にまくしたてる場面がいい。主人公の長嶋一茂は高校時代、夏の甲子園予選の決勝で肩を傷めたままマウンドに上がり、そこで力尽きた。野球選手になる夢をあきらめ、ビール会社に就職して十数年。草野球のマウンドに立っていた時にトレーナーの男(國村隼)に出会い、治療を受け、トレーニングを重ねて3カ月で肩を治す。かつての豪速球を取り戻した主人公は阪神の監督の目にかなって、会社員の傍ら覆面ピッチャーとして活躍するのである。もちろん会社にも妻子にも内緒で。
監督の井坂聡は東大時代、野球部に所属していたそうだ。あの「Focus」撮影後にこの脚本を書き、5年後に映画化にこぎつけた。「フィールド・オブ・ドリームス」はもちろん意識しただろうが、それ以上にバリー・レビンソン「ナチュラル」の影響もあるように思える。若い時、ふとした事故で野球人生を棒に振った男が30代になって「奇跡のルーキー」として甦るという話は、この映画のストーリーと似ている。「ナチュラル」が不思議な雰囲気に彩られていたように、主人公の肩を治すトレーナーにもう少し神秘的な雰囲気があれば言うことはなかった。
ところどころにテレビドラマ的描写はあるし、主人公の会社の上司・竹中直人のいつものアクの強い演技や監督を演じる橋爪功のセクハラまがいの描写は余計。テレビ局のリポーターさとう珠緒の役があまり生かされないとか、会社内部の描写がややおざなりなどの多くの細かい傷はあるにせよ、中盤以降の展開には深く共感できる。優勝をかけた試合で最後の打者となるのが高校時代からの因縁の選手(駒田徳広うまい)で、それを打ち取るのが主人公の超人的な力ではない点もいい。こういう処理を見ると、野球経験のある人が書いた脚本だなと思わせる。
長嶋一茂はこれまた意外にも好演。映画では久しぶりの鶴田真由(「梟の城」に出てたけど)も良い。クライマックス、ピンチヒッターにあの選手が出てくるのも阪神ファンなら、うれしくなるだろう。