2004/04/25(日)「デッドコースター ファイナル・デスティネーション2」

 サブタイトルはビデオ発売時に付けられたもの。劇場公開時にはなぜ付けなかったのだろう。前作の登場人物も出てくる歴とした続編。今回はハイウェイ事故で生き残った者たちに容赦なく死が襲いかかる。僕は前作より面白かった(DVDで見たせいもある)。死神が定めた死の筋書きをどう変えるかが焦点で、まとめ方は前作よりもうまい。もちろん、変える前にほとんどの者は死んでしまう。

 監督は「マトリックス リローデッド」でカーチェイスシーンを担当したデヴィッド・リチャード・エリス。冒頭にあるハイウェイ事故の場面はよくできているけれど、編集はやはり「リローデッド」の方がうまい。

2004/04/14(水)「デブラ・ウィンガーを探して」

 女優のロザンナ・アークェットがハリウッドの主に40代の女優34人にインタビューした。家庭と仕事の両立に関する話が多いが、ジェーン・フォンダが演技について語る場面が圧巻だった。49本の出演作品のうち「8回か10回しか体験していない」と前置きしたうえで、フォンダは映画の核となるシーンを撮影する際の重圧とうまくいった場合の達成感について話す。

 49本のうち8回しかなかったけれど、照明の輪の中に入り、立ち位置に立つ。すべての回路が開かれる。すると、それは起こるの。飛行機が離陸するように私は飛び立って、役になり切る。まるでダンスよ。共演者の男優や女優と踊るダンス。カメラも照明も踊る。素晴らしい融合なの。

 自分の演技もカメラも共演者も愛しいわ。感情が豊かに満ちて、それはどんなセックスより素晴らしいわ。この世で最高のものよ。

 名女優でなければ、言えないことだと思う。

 ウーピー・ゴールドバーグが年を取って自分の体型が崩れることを話すインタビューには爆笑。テリー・ガーが老けているのに驚いたが、これは病気のためもあるのだろう。役を得るためにいかにセックスを要求されるかについて言及する女優もおり、女優たちの素顔が見られて大変面白かった。

2004/04/14(水)「イン・ザ・カット」

 パンフレットによると、in the cutとは「ギャンブラーが、他人のカードを盗み見るときに使う言葉。意味は隙き間、隠れ場所。語源は女性の性器。転じて、人から危害を加えられない、安全な場所のこと」だそうだ。

 ジェーン・カンピオンがメグ・ライアン主演で撮ったサスペンス。といっても、カンピオンはこういう題材には向いていないようで、ミステリとしてはほとんど機能しない。では何の映画かというと、タイトルのような映画なわけである。ライアンは自慰にふけるシーンや全裸のラブシーンまで披露し、世間と深くは交流しない“安全な場所”にいた女の変化と女の性を熱演しているけれど、サスペンスの部分がおざなりなので映画全体としても盛り上がってこない。よく言えばアンニュイな、悪く言えば、かったるい雰囲気に終始し、意味がありそうでない映画になっている。殺人犯かもしれない男に惹かれていく女の孤独や不安、揺れ動く気持ちをもっと綿密に描く必要があっただろう。殺人犯かもしれない異性を愛するという題材なら「シー・オブ・ラブ」(1989年、ハロルド・ベッカー監督、アル・パチーノ、エレン・バーキン主演)の方がミステリとしても官能的な描写でもよほどよくできていたと思う。

 ニューヨークの大学講師フラニー(メグ・ライアン)は街のスラングや詩の断片を集めるのが趣味で、他人とは適度な距離を保っている。腹違いの妹ポーリーン(ジェニファー・ジェイソン・リー)は対照的に感情的で結婚願望が強い。スラングを教えてもらうために生徒のコーネリアス(シャーリーフ・パグ)と街のバーに入ったフラニーはトイレに続く通路でBlowjobの場面に出くわす。男の顔は暗がりで見えなかったが、手首には刺青があった。数日後、刑事マロイ(マーク・ラファロ)が殺人事件の聞き込み調査でフラニーのアパートを訪れる。殺された女はバーの通路でBlowjobしていた女。喉を切り裂かれ、バラバラに切断されて発見された。フラニーはマロイの手首に刺青があるのを見つける。セックスに積極的なマロイはフラニーに興味を示し、2人は危うい関係になる。そしてまたも女の惨殺死体が発見される。

 フラニーが“安全な場所”に閉じこもるのはスケート場で会って30分で婚約した自分の両親がやがて離婚したことがトラウマになっているためらしい。他人から傷つけられたくないわけである。そういう女の現状と変化がメグ・ライアンの演技では描き切れていない。ラブコメの女王だったメグ・ライアンも42歳。相変わらずきれいだが、今さら濃厚なラブシーンを見せられても困る。しかもその熱演がほとんど映画の出来に貢献していないのがもっと困る。風貌だけはなんだかジェーン・フォンダを思わせたが、メグ・ライアン、あまり演技力はないと今さらながら思わざるを得ない。カンピオンの演出は、細部は良くても、全体をまとめる部分で凡庸さが目に付いた。

 マーク・ラファロは口ひげがあって、若い頃のバート・レイノルズを思わせた。「ミスティック・リバー」では真面目な警官だったケヴィン・ベーコンがライアンにつきまとう変態的な男を演じて、実にぴったりと思えてしまう。

2004/04/04(日)「サラマンダー」

 火を吐く竜が大量に繁殖して人類滅亡の危機に陥る話。設定は悪くないが、スケールが小さい。大量の竜と戦う場面を期待したら、1匹との戦いが数回あるだけ。竜の造型は良いのに、VFXにそんなにお金がかけられなかったのか?

 竜のオスは1匹だけで、あとは全部メスというのはリアリティを欠く(というか、都合のいい設定)。なぜサラマンダーが復活したのかの説明もほとんどない(獲物が繁殖するまで眠っていた、というだけではどうもね)。「生き残りたいなら、空だけ見てろ」というのはうまいキャッチコピーと思ったが、内容はB級だった。

 主演はクリスチャン・ベール、マシュー・マコノヒー。監督は「Xファイル」のロブ・ボウマン。

2004/04/02(金)「恋愛適齢期」

 ダイアン・キートンが出てきた時に、これはダイアン・キートンではなくてダイアン・キートンによく似ているどこかのおばあちゃんがキートンを演じているに違いないと思ったが、キートンその人だった。IMDBによると1946年1月5日生まれだから58歳だが、70歳と言われても通る。アカデミーの授賞式ではもっと若く見えたから、これは役作りのためにわざと老けのメイクアップをしているのだろう(あるいは素顔をさらしているのだろう)と同情的に考えておく。監督のナンシー・メイヤーズは54歳。パンフレットではキートンより美人に見える。

 そのナンシー・メイヤーズの自伝的な要素のある作品だそうだ。といっても年齢が近くて子持ち、バツイチ、脚本家というところが共通しているだけのようだ。63歳の男と50代半ばの女の恋を描くコメディで、笑える場面は多いし、主演の2人も好演しているが、どうも冗長さを感じる。もっとすっきりした話にまとめられるはずなのである。この内容で2時間8分もかける意味が見あたらない。

 30歳以下の女性しか相手にしないプレイボーイのハリー(ジャック・ニコルソン)が、ガールフレンドのマリン(アマンダ・ピート)と別荘に行き、そこでマリンの母親で脚本家のエリカ(ダイアン・キートン)と出会う。最初はお互いに嫌悪感を持つが、ハリーが心臓発作で倒れ、別荘で静養することになったことから、2人の関係は急速に変化を見せる。人生経験豊富な熟年同士の恋愛だから話は早いのである。しかもハリーを診察した医師(キアヌ・リーブス)がエリカに好意を持ち、三角関係的な様相になっていく。

 このキアヌ・リーブスを出した意味があまりない。本格的な三角関係になるわけではなく、男とは無縁と思っていた熟年女性が突然、両手に花的状況になるだけである。2人の間で揺れ動くわけでもなく、一方がダメになったからもう一方へと流れるだけ。ニコルソンの視点で進行しながら、核心は女性の立場で物語が組み上がっている。やはり女性監督だからだろう。それならば、最初からキートンの視点で描けば良かったのにと思う。ビリングのトップはニコルソンだし、キートンを本格的に主演にすると、興行的に難しい面もあるだろうから仕方のない選択ではあるのだろうが。

 ニコルソンの描き方がカリカチュアライズされているのに対してキートンの描き方には女性の本音が見える。「たとえうまくいかなくても、人は恋をするものなの。傷ついても、それが生きるということ」というセリフはなかなか若い女性には言えないだろうし、言っても説得力はない。ニコルソンとキートンのベッドインのシーンや眼鏡を巡るエピソードなどはおかしいと同時に真実みがあり、メイヤーズの体験的なものがあるのかもしれない。

 ジャック・ニコルソンは年齢的に「アバウト・シュミット」の延長のような役柄。相変わらず、うまいとは思うが、こういうコメディばかりに出ていていいものかどうか。