2004/02/08(日)「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」
滅びの山に指輪を捨てに行くフロドとサムから冥王サウロンの目をそらすため、アラゴルン率いる軍隊がモルドールの黒門に攻撃を仕掛ける。このクライマックスには胸が震えた。「我々は破滅するかもしれない。しかし、それは今日ではない」。アラゴルンのセリフが力強く響く。
指輪を葬り去らなければ、この世界に未来はない。到底かなわない数のオークの軍にアラゴルンやガンダルフやレゴラスやギムリたちは死を覚悟して最後の戦いを仕掛けるのだ。滅びの山でのフロドとサムの大変な苦難を同時に描くこのクライマックスは映画の完成度がどうこういうレベルを超えてひたすら感動的である。それはこの奇跡的なトリロジーに全精力を傾けたピーター・ジャクソンの思いが伝わってくるからだろう。第1部からこの第3部まで9時間を超える長い映画のどの場面でもジャクソンは手を抜かなかった。物語のうねりとスケールの大きなVFXの見事な融合。トリロジーの完結編としてまったく期待を裏切らない。志の高い立派な作品と言うほかない。
映画はちょっと遡ってスメアゴルが指輪を手にするエピソードで幕を開ける。川の底で指輪を拾った友人を殺してスメアゴルは指輪を横取りし、次第に指輪の魔力に取り憑かれ、容貌を醜くしていく。指輪の邪悪な力を端的に表現した場面で、これはクライマックスのフロドの姿と重なるものである。フロドとサムをモルドールへ案内するスメアゴルは前作「二つの塔」での善と悪の葛藤を経て指輪を取り返すことしか頭になくなっている。
巧妙に嘘をついて2人を仲違いさせ、フロドを大蜘蛛シェロブのいる洞窟へ連れて行く。一方、アラゴルンたちはサルマンの砦アイゼンガルドでメリーとピピンに再会。サウロンの軍隊がゴンドールへの進撃を計画していることを知り、セオデンの軍隊とともにゴンドールへ向かう。しかし、サウロンの軍勢に立ち向かうには兵士の数が足りない。裂け谷のエルフ、エルロンドから祖先イシルドゥアの剣を受け取ったアラゴルンはさまよう死者たちを味方にするため、レゴラス、ギムリとともに死者の谷に赴く。ゴンドールの都市ミナス・ティリスでは既に戦いが始まっていた。サウロンの大軍勢にはトロルと空飛ぶ怪物に乗るナズグルたちも加わっており、ガンダルフ率いるゴンドールの軍は次第に追い詰められていく。
ミナス・ティリスの戦いは前作「二つの塔」の角笛城の戦いのスケールを数倍に拡大したもので、見応え十分である。そうしたスペクタクルなシーンも完璧に描かれるけれども、この映画で重要なのはスペクタクル以上に物語を語ることに重点を置いていることだ。フロドとサムに加えて同じホビットのメリーとピピンも今回、大活躍する。“小さき者が世界を救う”というテーマを人の苦悩とともにジャクソンは徹底的に描き出す。VFXも俳優の演技もハワード・ショアの素晴らしすぎる音楽も美術も衣装もセットもすべて物語を語ることにのみ目的を置き、決して必要以上に出過ぎず、絶妙のバランスが取られている。ジャクソンのコントロールは完璧なのである。
ピーター・ジャクソンはこの3部作の製作に7年の歳月をかけた。パンフレットの扉にこう書いている。
しかし、困難にぶつかればぶつかるほど、自分にこう問いかけたものです。
「この作品を作ることの他に、やることがあるのか?」と。
答えはいつも「NO」でした。
長大な原作と格闘するジャクソンの姿はそのまま登場人物たちの困難と重なってくる。映画から受ける分厚い感動はジャクソンの苦闘があってこそのものなのである。
アカデミー賞には11部門にノミネートされた。全部取ってもおかしくない。
2004/02/05(木)「女はみんな生きている」
監督のコリーヌ・セローは男と女の間にある深い断絶を娼婦ノエミの終盤のセリフに凝縮して見せる。男をみんな一緒くたにして語るこのセリフには異論もあるし、そうかそれなら君たちは男なしで今後やっていくんだなと思えてしまうが、それほどセローの意識は厳しいのだろう。後半のノエミの長い回想は技術的にはうまくないと思えるのだが、男をすべて敵視するようになる説得力はある。
2004/02/05(木)「青春の殺人者」
実話を基に中上健次が書いた小説「蛇淫」を映画化した長谷川和彦監督のデビュー作。1976年度のキネ旬ベストテン1位。
前半の両親殺しのシーンが凄まじい。父親(内田良平)を殺した息子(水谷豊)を最初はかばっていた母親(市原悦子)がちょっとした感情の行き違いから息子を殺して自分も死のうとし、それを防ぐために息子は結局、母親をも刺し殺してしまう。エディプス・コンプレックス的描写を含めたこの長い2人芝居のシーンが凄すぎるために、死体を処理する後半の展開が普通の青春映画のように思えてくる。
原田美枝子の無花果とヤツデのエピソードとか、母親が連れ込んだ男との関係をセリフでしゃべるあたりに深いものがある。デビュー作らしい瑕瑾はあるものの、面白いですねえ。原田美枝子は「半落ち」の今の演技を見ると、上手に年を取ったなという感じがする。
2004/02/02(月)「太陽を盗んだ男」
25年ぶりに見る。いやテレビ放映時には見ているが、完全版じゃないでしょ。
公開当時、井上尭之の音楽にしびれてサントラを買った。池上季実子は記憶よりもきれいで、セリフのしゃべり方がいかにも70年代風。などなど懐かしさに浸りながら見ることになったが、面白さは変わらない。
今、こういう映画を作ると、テロ対国家という視点になるかもしれない。長谷川和彦監督は全共闘世代だから、テロリスト(しかし、思想的背景はない)の側に立って映画を組み立てている。70年代を引きずりつつ、エンタテインメントにした手腕は今も新しいと思う。
助監督に相米慎二、製作進行に黒沢清がクレジットされている。キネ旬2位。当時買っていた「ロードショー」では読者の投票で1位になった(故大黒東洋士が「1位になるほどの作品か」と噛みついた)。ちなみにこの時のキネ旬1位は「復讐するは我にあり」。
DVDは「コンポーネント・デジタル・ニューマスター使用の究極の高画質を実現したプレミアム版」とされているが、画質はそれほどでもなく、音が割れる場面もあった。
2004/02/01(日)「愛してる、愛してない...」
「アメリ」のオドレイ・トトゥ主演。これ、何も言ってはいけない映画なのではないか。「ハンサムな心臓外科医に一途(いちず)な思いを寄せる画学生の奮闘を描いた恋愛映画」というのは毎日インタラクティブの紹介文で、前半(40分程度)はその通りに進行するが、後半はガラリと様相を変える。過去にも同じような映画はあったかもしれないけれど、このアイデアは秀逸。アイデアだけでなく、長い種明かしのような後半の展開も納得。観客は2本の違う映画を見ることになる。その後に来るサイコなエピソードも常套的だが、面白い。
監督・脚本は26歳のレティシア・コロンバニ。もう少し粘りがほしいところはあるが、よくまとまっていて長編映画デビュー作としては上々の部類だろう。何気ない好意と思いこみと誤解とサイコが入り混じった映画。ハリウッドでリメイクする話もあるらしい。