2006/01/03(火)「ZOO」

 乙一の短編集の中から5編を5人の監督(金田龍、安達正軌、水崎淳平、小宮雅哲、安藤尋)がオムニバスで映画化。「カザリとヨーコ」「SEVEN ROOMS」「SO-far ソ・ファー」「陽だまりの詩」(アニメ)まで見て、なかなかバラエティに富んでいて面白いと思ったが、最後の「ZOO」がよく分からない。積ん読状態(「カザリとヨーコ」のみ読んでいた)だった原作を読んだら、ああこういう話かと納得できた。映画の方はフェリーニ「悪魔の首飾り」のような雰囲気だが、話が分かりにくいのでは仕方がない。

 「SEVEN ROOMS」には須賀健太(「三丁目の夕日」)、「SO-far ソ・ファー」には神木隆之介(「妖怪大戦争」)が出ていて、どちらもうまい。「陽だまりの詩」はロボットが出てくる破滅SFで、こういう話は好きである。

2006/01/02(月)「容疑者Xの献身」

 「このミス」と週刊文春で1位になった東野圭吾のミステリ。僕はこの小説を読んで、まずトリックが先にあって、それに沿った容疑者を設定したのだろうと思った。このトリックを成立させるためには容疑者のキャラクターが、トリックを行うのに不自然に思わせないものであることが必要だからだ。ここまでやるキャラクターに説得力を持たせることが要求されるのだ。しかし、東野圭吾は「このミス」のインタビューで、「少なくともトリックが先ということは絶対にありません」と語っている。「最初に作るのはキャラクターや世界観ですね。今回で言えば、まず湯川を長編で使うという前提と、さらにその強敵を設定する、ということが大きかったですね」

 容疑者側が天才なら探偵側も天才。本格ミステリにぴったりの構図である。こうした設定の下、東野圭吾は容疑者、というか事件の隠蔽に尽力する高校教師に筆を割く。思いを寄せる女が発作的に犯した殺人を隠蔽するために天才的な高校の数学教師・石神が協力する。事件を捜査する刑事・草薙の友人で天才的な物理学者の湯川学はその石神と大学時代に親しかった。石神が怪しいとにらんだ湯川は推理を働かせる。

 よくできた本格ミステリで1位にも異論はないが、ぜいたくを言えば、もっと石神のキャラクターを掘り下げた方が良かったと思う。キャラクターよりもまだトリックの方が浮いて見えるのだ。社会に認められなかった天才数学者の悲哀をもっと掘り下げれば、小説としての完成度をさらに高めることができたのではないかと思う。これの倍ぐらいの長さになってもかまわないから、そうした部分を詳細に描いた方が良かった。一気に読まされてある程度満足したにもかかわらず、そんな思いが残った。