2010/03/22(月)「ハート・ロッカー」
イラク戦争の爆発物処理班を描いたサスペンス。アカデミー作品、監督、脚本賞など6部門を制した。それだけではなく、ロサンゼルス、ニューヨーク、ボストンと全米の批評家協会が作品賞を与えた。アメリカ国内では高い評価を受けている。では、これが傑作かと言うと、映画の技術に限れば、という条件が付くことになる。爆弾処理という狭い範囲を完璧に作っただけで描かなかったものの方に重要なものがあるのだ。
キネ旬の特集記事によれば、イラク戦争の映画はことごとくアメリカの観客に受け入れられなかったが、この映画だけは受け入れられたそうだ。それも当然の内容と思う。戦争の意味に目をつぶり、米軍内の、それも爆発物処理だけを描いて何の意味があるのかと思う。これならば、アメリカ侵略主義への批判を内包した「アバター」の方がまだ志は高い。定点観測をすることで、全体の問題を浮き彫りにする手法はあるのだけれど、この映画の場合それもない。批判精神に欠けた、ただのエンタテインメントに近い映画であり、ある意味、イラク戦争肯定映画的な内容と言っていい。だから米国民ではない我々としては見ていて不満がむくむくと頭をもたげてくるのである。
キャスリン・ビグローにとってはメルトダウンの危機に瀕したソ連の原子力潜水艦乗組員を描いた「K-19」から7年ぶりの監督作品。狭い範囲を描く手法は「K-19」と同じなのだが、アメリカがイラクで行ってきたことを思えば、この手法では物足りなくなる。ふと思い浮かべたのはマイケル・チミノ「ディア・ハンター」で、あれもベトナムの民族解放戦線をまともに描いていなかった。あの映画の場合、米国内でも批判が噴出したのだが、今回、それがないのはイラク戦争がベトナム戦争よりまだ短い期間だからか。あるいは慎重に批判を封じるような作りになっているからか。描かなかったことに対する批判はできても、少なくともこの映画に描かれたことに重大な間違いはないのだろう。
2004年夏、イラクのバグダッド郊外が舞台。主人公はブラボー中隊に配属されたウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)。これまでに873個の爆弾を処理してきたベテランだ。映画は冒頭、防護服を着た爆弾処理兵が爆風に巻き込まれて死ぬ場面を見せる。防護服を着ていたからといって、安全ではないのだ。中隊は次々に爆発物を処理し、その緊張感と危険が十分に描き出されていく。中盤、800メートル離れた敵の狙撃手との行き詰まる攻防のシーン(見ていて「山猫は眠らない」を思い出した)などにビグローの演出は冴え渡る。女性監督なのに男っぽい演出に長けた監督である。この人、恋愛映画など軟弱な映画は撮ったことはなく、いつも題材は男っぽい。そしていつもエンタテインメントだ。シーンを的確に撮ることは得意だが、社会派的な題材の処理には慣れていないのだと思う。
「戦争は麻薬と似ている。一度味わうとクセになる」という冒頭の字幕に呼応する行動を主人公は取る。問題はどこが麻薬と似ているかを十分には描いてくれなかったことだ。死と隣り合わせの戦場に麻薬に似た快楽を覚える変わった兵士も中にはいるかもしれない。しかし、大部分にとっては恐怖以外の何ものでもないだろう。それを麻薬と言い切る内容は映画では描かれなかった。どこか歪な印象を受けるのはこうした映画の作り自体に無理があるからではないか。
2010/03/08(月)「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」
テレビシリーズは一切見ていない。見ていなくても分かる作りになっていて、そこには好感を持った。テレビシリーズの最終回を映画でやるというのは最初からテレビの視聴者だけを相手にした映画になりがちだけれど、それを避けたのは賢明だった。
なぜテレビを見ていなくても分かるのかと言えば、映画で描かれる決勝戦(ファイナルステージ)は独立したゲームだからだ。ゲームの参加者11人が3色のリンゴを投票するだけの「エデンの園」と呼ばれるこのゲームは、単純だがよく考えてあって、ツイストの連続。ゲームが1回終わるたびに意外な結果が現れ、登場人物がその種明かしをするという構成になっている。脚本は20稿に及んだそうだ。穴を防ぎ、つじつまを合わせるために脚本家の2人(黒岩勉、岡田道尚)は相当考えたに違いない。
この脚本の練り方は評価に値する。ただし、、どうも見ていて小粒だなという印象になってくる。ゲームのような犯人捜しだけの本格ミステリは欧米ではとっくに廃れ、もっと現実に近づいたミステリがほとんどだ。ツイストにツイストを重ね、高い評価を受けているのはジェフリー・ディーヴァーぐらいか。この映画の場合、ゲームそのものが主体なので、そうした批判は当たらないし、騙し合いのゲームの中で人を信じるというテーマも備えているのだけれども、やっぱり物足りない思いは見ていて消しようがない。ゲームの中の心理戦に過ぎず、小さなところでごちゃごちゃやってる印象になってしまうのである。見ていてこういう練った脚本の在り方をゲームの外に持ち出して欲しいと思えてくる。実社会を舞台にしたゲームになれば、金子修介「デスノート」のように面白い映画になっていたかもしれないなと思う。
セミファイナルでゲームを降りた神崎直(戸田恵理香)にファイナルステージの招待状が来る。1人が棄権したために直に出番が回ってきたのだ。直は天才詐欺師・秋山(松田翔太)の足手まといになりたくなかったが、今回のゲームは人を信じることが要求されると聞き、秋山を助けるためにゲームに参加することになる。参加者は11人。ゲーム「エデンの園」は金、銀、赤の3色のリンゴを投票し、最も数が多かった色のリンゴに投票した者には1億円が支払われる。全員が赤を選べば、全員が1億円を受け取ることになり、敗者はいなくなるが、ゲームに勝って賞金50億円を目指す参加者たちは1回目から裏切りに裏切りを重ねていく。
舞台の孤島をもっと話に絡めて欲しいとか、悪役側をもう少し描けよ、とかいろいろ不満はある。しかし参加者11人にそれぞれスポットを当てながらもキャラクターがやや類型的になり、厚みを欠いていることが水準作ではあるけれどもそれ以上の作品にはならなかった一番の理由ではないかと思う。
監督は映画初演出の松山博明。戸田恵理香はバカ正直な主人公にぴったり。松田翔太も雰囲気が良い。映画に登場するゲームの進行役ケルビムは「SAW」のジグソウに影響を受けているのは明らかだろう。映画全体の作りも影響を受けていると思う。