2013/09/15(日)「逆転裁判」

 三池崇史監督でゲームが原作。主人公の神尾型とか名前とか漫画のよう。なるほど(成歩堂龍一=成宮寛貴)とか、まよい(綾里真宵=桐谷美玲)、やはり(矢張政志=中尾明慶)とか。桐谷美玲が意外に良い。タイトル通りの逆転があるのは当たり前だが、ミステリファンの目から見ると、ゲームと漫画が原作なのでリアルになりようがないが、真犯人捜しの作りはもはや古い。いや、映画の手法自体は新しいんですけどね。

2013/09/12(木)ノートパソコンにUbuntu

 起動しない知人のパソコンからデータを救出するために久しぶりにKNOPPIXとUbuntuのインストールDVDを作成した。ライブDVDとして使って、HDDにアクセスしようと思ったのだ。結局、I/Oエラーが出て救出はできなかったのだが、久しぶりにUbuntuさわったら、自分のパソコンにインストールしてみたくなった。この1年、ほとんど電源を入れていないノートパソコン(2007年製のVAIO VGN FE92S)に入れることにした。これ、OSがVistaで動作の遅さにいらいらし、その上、キーが2個反応しないのだ。

 ところが、DVDドライブがうまく動かない。インストールDVDを入れて起動してもWindowsが起動してしまう。USBメモリーにUbuntu入れて起動してみても、ダメ。BIOSの設定を変えてもダメ。仮想ドライブソフトをアンインストールしたら、DVDドライブは10回に1回ぐらいは動作するようになった。何回も起動と電源オフを繰り返し、完全にWindowsが死んだところでようやくDVDが動作。なんとかインストールできた。インストールプロセス自体は簡単なんだが、そこにたどり着く前に疲れた。

 数年ぶりに使ってみたUbuntuは非常に良い。あんなに遅かったパソコンがするする動く。無線LANの設定も簡単。これならあと数年は使えそうだ。キーボードさえ、ちゃんと使えれば。もちろん、USB接続のキーボードを使えば、いいんだけど、あまりスマートじゃない。キーボードを修理したいところ。今さら有償修理をする気はないし、OSを変えたのでSONYのサポートも受けられないので、とりあえず、分解して内部を清掃してみようと思っている。

 デスクトップパソコンなら何でもない問題なのに、ノートパソコンの場合、キーボードが壊れると、自分ではどうしようもない。そしてキーボードが壊れる頻度はけっこう多い。僕も別のノートパソコンにコーヒーをこぼしてキーが反応しなくなったことがある。それならば、ノートパソコンではなくてタブレットを買った方がいいのではないかと思う。

 Ubuntuはスマートフォンとタブレット用のOS(Ubuntu Touch)を開発中だそうだ。Nexus7とNexus10用の開発者用バージョンが既に公開されている。これにはすごく関心がある。正式リリースされたら、あまり使っていないNexus10にインストールしようかと思っている。そうすれば、Nexus10がノートパソコン代わりに使える。

 Windowsのタブレットもいろいろ出ているが、はっきり言って興味があるのは価格と性能のバランスが絶妙のSurface Proぐらい。これの新バージョンが23日に発表されるようだ。Surface Proの発売が日本では大幅に遅れたが、新型は早々に発売してほしいものだ。

2013/08/16(金)「遊星からの物体X ファーストコンタクト」

 VFXのレベルが29年前のジョン・カーペンター版と同レベル。この間の進歩はなかったのかと少し情けなくもなるが、カーペンター版の前日談なので「整合性を取るため」という理屈は通る。ただ、誰がエイリアンなのか分からないという疑心暗鬼の展開まで同じにすることはなかった。全然別の展開を考えても良かったのではないか。ヒロイン役のメアリー・エリザベス・ウィンステッドのみ光る。

 原題がカーペンター版と同じ「The Thing」なのはまぎらわしい。続編を作る意図もあったらしい。

2013/08/11(日)「さよなら渓谷」

 モスクワ国際映画祭審査員特別賞受賞。真木よう子が凄い。真木よう子はどの映画でも目立つが、この映画では真意が分かりにくく、振幅の大きなキャラクターに実在感を与えている。映画が見応えのある作品に仕上がったのは真木よう子の力によるところが大きいと思える。

 映画を観た後に吉田修一の原作を読んだ。230ページ余り。すぐに読める。映画は忠実に作られていて、ラストまで同じだが、中盤にある主人公の男女(大西信満、真木よう子)の道行きとも思えるあてのない旅を原作以上に詳しく描いている。男女の素性が何なのかということよりも、なぜこの男女は一緒に暮らしているのかが重要なポイントなので、これは納得できる力点の置き方だと思う。

 原作の解説で柳町光男が「サイコ」を引き合いに出している。脇道から始まって本筋になだれ込む作りの類似性を指してのことだ。こういう作りだからこの映画、一切の予備知識なしで見た方がいい。中盤に明かされるネタを平気で書いている紹介などは野蛮な行為と言うほかない。と思ったら、吉田修一自身がパンフレットのインタビューでネタばらしをしていた。その先にあるものがポイントだからだろうが、何も知らずに見るのに越したことはない。

 原作は実際にあった2つの事件がモデル。現時点では既にどちらも記憶から風化した事件なので、あくまで吉田修一の小説のきっかけになっただけと位置づけて良いだろう。実際にあった事件をモデルにしながら、原作と映画が描くのは実際にはありそうにない男女の関係に説得力を持たせるところにある。そしてそれはうまくいっている。この男女の関係はまだ途上なのだが、映画は事件を取材する週刊誌記者(大森南朋)と妻(鶴田真由)の壊れかかった関係に修復をほのめかせることで、主演の男女の行く末に同じ思いを託しているようだ。

 弱々しさと強気と憎しみと愛を織り交ぜた真木よう子とそれを静かに受け止める大西信満の演技がこの映画の見どころだ。同じ吉田修一原作の「悪人」の主人公2人の切実さに僕は惹かれたが、この映画の男女も切実な関係にある。

2013/08/10(土)「パシフィック・リム」

 太平洋の海底の次元の裂け目から現れた怪獣(KAIJU)と巨大ロボット(イェーガー)が戦うSFアクション。「トランスフォーマー」の時も「リアル・スティール」の時も思ったのだが、アメリカ製のCGのロボットにはクシャッとすぐに壊れそうなもろさを感じる。質感が華奢で重量感に欠けるのだ。この映画のロボットも例外ではなく、実際にすぐに壊れるし、頼りないことこの上ない。何よりもこのストーリー、キャストでは映画が盛り上がらない。CGに予算がかかるのでキャストはB級にせざるを得なかったのだろう。ギレルモ・デル・トロ作品ではおなじみのロン・パールマン(「ヘルボーイ」)のみ怪獣に負けない存在感があった。というわけで、いくら製作費をかけていても、B級の感じが抜けきらない映画だ。

 一番の問題はストーリーで、いったん、怪獣にやられたのなら、ロボットはパイロットだけでなく、機能的にもパワーアップしてほしいところだ。実はマッドサイエンティストが秘密兵器や強力な装甲を作っていて…みたいな展開がほしい。クライマックスは最強の怪獣とパワーアップしたロボットとの対決になるべきなのだ。ロボットの操縦士として一度は失格した菊地凛子が復活する展開にも説得力が足りない。兄を殺された主人公(チャーリー・ハナム)にしても、怪獣への憎しみが足りない。ドラマの構築が弱いと思う。「ガメラ3 邪神覚醒」の前田愛のような在り方を見習うべきだ。主人公のエモーションが脆弱なので、ドラマを引っ張る力に欠けるのだ。

 怪獣の造型にもイマイチ感が漂う。アメリカ製の怪獣はどうしてあんなに爬虫類を少しアレンジしただけのどれもこれも似たような感じになるのか。パンフレットによれば、この映画には10種類以上の怪獣が登場するが、どれも同じように見える。大量生産型のクローン怪獣なので、個性に乏しくなるのだろう。これが日本の怪獣映画とは異なるところで、ゴジラやキングギドラやモスラやラドンのように怪獣自体に強烈なキャラを設定しないと、怪獣映画としての魅力は高まっていかない。脚本はデル・トロとトラビス・ビーチャム(「タイタンの戦い」)。もう少しSFの分かる脚本家を参加させた方が良かっただろう。CGの技術は一流なのに、これでは惜しい。

 菊地凛子は頑張っているが、この役柄なら、あと10歳ぐらい若い女優の方が良い。ほとんどセリフなし、赤い靴を持って「ママ…」と泣きながら逃げ惑う芦田愛菜はハリウッドでも注目を集めそうだ。