2015/12/23(水)「クリード チャンプを継ぐ男」

 高給の仕事を辞めて、ロサンゼルスからロッキー・バルボア(シルベスター・スタローン)のいるフィラデルフィアに引っ越した主人公アドニス(マイケル・B・ジョーダン)は同じアパートの階下に住むビアンカ(テッサ・トンプソン)と知り合う。ビアンカは進行性の難聴だが、歌手を目指している。なぜ、歌手になりたいのかとアドニスに聞かれたビアンカはこう言う。

 「生きてるって実感できる」

 高給であっても、人生に満足が得られるわけではない。アドニスにとっても、生きていることを実感することがボクシングに打ち込む理由なのだろう、と途中までは思っていた。しかし、そうではなかった。映画はクライマックスで本当の理由を明らかにする。

 チャンピオンとの試合、最終ラウンドに入る前のセコンドでアドニスはロッキーにあるセリフを言うのだ。この一言ですべてが氷解した。そういうことだったのか……。映画はここまで主人公の本当の動機を周到に隠している。いや、あちこちにそれを仄めかすセリフはあるのだが、この一言は決定的に重い。主人公の動機は他人には極めて分かりにくいものになっているのだ。これを聞き逃したり、聞いてもその意味が分からなかったりする人がいるようで、この傑作に低評価を付けている人はたいていこれに当てはまっているのだろう。

 アドニスは「ロッキー4 炎の友情」で死んだアポロ・クリード(カール・ウィザース)と愛人の間に生まれた。生まれた時には既にアポロは死んでおり、母親も出産の際に死んだ。施設に預けられたアドニスは毎日、けんかばかりしている。そこにアポロの妻がやって来て、アドニスを引き取る。その時に初めてアドニスは自分がアポロ・クリードの息子であることを知る。

 はっきり言って、演出も演技もそれほど際立ったものではなく、ラスト近くまでは普通の名作スピンオフというイメージで眺めていた。というか「ロッキー」第1作のリメイクに近いと思っていた。ボクシング映画のパターンというのはそんなに多くはなく、ハングリーな若者がハードワークを続けて夢を掴むまでを描くのが王道だ。脚本・主演のシルベスター・スタローンとともにアメリカン・ドリームを体現したと言われた「ロッキー」がまさにこのパターンだった。アメリカン・ドリームというのは要するに社会的な成功を収めて大金を手にすることだ。既に高給を手にしているアドニスがアメリカン・ドリームを求める必要は少しもない。それではアドニスはなぜボクシングに打ち込み、チャンピオンを目指すのか。

 監督・脚本のライアン・クーグラーはこの「ロッキー」新章を作るにあたって、説得力のある理由を相当に考えたに違いない。普通に作れば、「ロッキー」の焼き直しと言われるのがオチだからだ。熟慮の末、クーグラーは設定も含めてこれしかないという理由にたどり着いた。言われてみれば、なんだそんなことかと思えるもの、しかし本人にとっては自分の人生をかけても良いぐらいのとてつもなく重いもの。この映画の主人公の動機はそういうものになっている。

 最後に主人公の動機が明らかになり、そこまでの行動にすべて納得がいく映画として、僕はロナルド・ニーム「オデッサ・ファイル」を思い出した。ただし、この手は1回しか使えない。続編の要望があるかもしれないが、作るのはやめた方が良いと思う。

2015/12/08(火)「スター・ウォーズ フォースの覚醒」

 ディズニー配給になったため、オープニングに20世紀フォックスのファンファーレはない。その代わりにシンデレラ城が出てきたらどうしようかと思ったが、それはなかった。ルーカスフィルムのタイトルが出た後にいつものように物語の経緯が字幕で画面の奥に流れていく。そこで説明される内容がまず驚きで、そういうことになっていたのかと思う。海外の映画評サイトに第1作「エピソード4 新たなる希望」のリメイクという感想を書いている人がいたが、それに「エピソード5 帝国の逆襲」を加えた感じの物語である。

 J・J・エイブラムス監督の映画としては抜群に面白かった「スター・トレック 」(2009年、amazonプライムビデオ)には及ばず、「スター・ウォーズ」シリーズの中では「帝国の逆襲」「新たなる希望」の次、「エピソード3 シスの復讐」と同じぐらいの出来だと思う。「エピソード1 ファントム・メナス」の時のようなちょっとがっかりした気分はなく、新たな3部作開始の物語として申し分のない出来と言って良い。ライトセーバーが絡む2つの場面にはぐっときた。ハン・ソロなどの懐かしいキャラクターやスターデストロイヤー、Xウイング、タイファイターなどの再登場はファンにはたまらないだろう。エピソード1~3よりも、親近感が強いのはこれが「ジェダイの帰還」の後の物語だからだ。

 ミレニアム・ファルコンに乗り込んだハン・ソロは「Chewie ……,We're home」(チューイ、……我が家だ)とつぶやくが、リアルタイムで「スター・ウォーズ」を見てきた観客にもホームに戻ってきた感覚がある。「新たなる希望」以降の時の流れは自分の時の流れと重なってしまう。だから懐かしさと感慨を持たずにはいられない。そういう幸福な体験をもたらす映画はめったになく、映画の出来以上に、それがこの作品の大きな価値になっている。

 物語は「ジェダイの帰還」から30年後の設定。主人公のレイ(デイジー・リドリー)は砂漠の惑星ジャクーで廃品回収で生計を立てながら、ひとりぼっちで暮らしている。そこにレジスタンスのロボットBB-8とストームトルーパーズから逃げ出したフィン(ジョン・ボイエガ)がやって来て、レイの運命は大きく転換していく。あらすじで書いていいのはここまでだろう。

 予告編を見た時に感じたのはキャストの弱さだった。新人のデイジー・リドリーやジョン・ボイエガで果たして大丈夫なのかと思わざるを得ず、それを補強するのがハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、マーク・ハミルなのだろうと思えた。考えてみれば、「新たなる希望」の時にはこの3人は無名だったのだが、あの時には画期的なVFXという大きな強みがあった。VFXが普通になった今、キャストは重要だ。デイジー・リドリーはよくやっていると思う。ライトセーバーのアクション場面でも不足はない。今回はビリングが5番目だが、エピソード8ではもっと上に行くのではないか。

 ダースベイダーを思わせる新たな悪役カイロ・レンについて、エイブラムスは「いわゆる完璧な悪人ではなく、壊れた悪人として描きたかった。悪党になる過程の、いわば訓練中の悪党としてね」と語っている。ここは議論の分かれるところだろう。ダースベイダーを小粒にした感じが拭いきれないのだ。完璧な悪役として登場したダースベイダーは「ジェダイの帰還」で揺れ動いた。今回はその逆を行っているわけだ。

 今回、レイの出自は明らかにされなかった。それが明らかになるのは2017年に公開されるエピソード8においてなのだろう。大きな感慨と期待を抱かせるラストを見て、待ち遠しい思いを強くした。