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2016年09月08日の記事

2016/09/08(木)「文庫X」とは何か

 岩手県盛岡市の書店がタイトルや著者名、出版元などを隠し、「文庫X」として販売した文庫本が売れているそうだ。この書店では既に1000冊を販売した。日経の記事(配信は共同通信)によると、「試みは全国12都道府県に拡散し、さらに広がる勢いをみせている」という。

 とても気になるので何の本か調べてみた。中身をバラしたサイトは見つけられなかったが、手がかりは「文庫で価格は810円」「発売は5月」「小説ではない」「500ページを超える」「単行本の発売は3年前」など十分にある。

 amazonで「文庫 810円」で検索すると、いきなり清水潔「殺人犯はそこにいる」が出てくる。いや、こんな有名な本をタイトル隠して売るわけがないと思ったが、単行本が出たのは2013年だし、ページ数は509ページ、発売は5月28日と条件に一致している。何よりも「心が動かされない人はいない、と固く信じています」と書店員さんが言うだけの内容を持つ本であることは確かだ。

 念のためにHonya Clubで検索してみた。ここの詳細検索は発売時期の指定ができる。「5~7月に出た文庫で価格は810円」を指定して検索した。出てきたのは36冊。「殺人犯はそこにいる」以外のノンフィクションは「日本軍の知られざる秘密兵器」「読書脳」「それでも、日本人は戦争を選んだ」の3冊。「殺人犯…」以外で該当しそうなのは「それでも、日本人は…」だが、この本、単行本が出たのは2009年なのだ。やはり、文庫Xは「殺人犯はそこにいる」で間違いないらしい。

 「隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」というサブタイトルがついた「殺人犯はそこにいる」はノンフィクション書評サイトのHONZが単行本発売当時に猛プッシュしたので読んだ。あまりに面白かったので同じ清水潔の「桶川ストーカー殺人事件」も読んだ。これがもう、「殺人犯…」よりも面白い。いや、面白いという表現は適切ではない。怒りで頭がクラクラしてくるような強烈な本である。感想をどこかに書いたよなと思って探したら、ブクログに書いていた。

 「今ごろ読んだなんて書くのが恥ずかしくなるような名著。いや、名著という冷静な形容はこの本にはふさわしくない。読みながら驚き、怒り、哀しみ、恐怖、賛嘆などさまざまな感情がわき起こり、胸を揺さぶられ続ける圧倒的なノンフィクションだ…(中略)とにかくこんな読書体験はめったにない。必読中の必読」。

 文庫Xを読んで感動した人はこの本も読んでほしい。

 さて、日経の記事で気になったのは版元の担当者の言葉として「本への思い入れが強い書店員さんがいて、それに耳を傾ける読者がいることがうれしい。この信頼関係に感動し、ありがたく思います」と書いてあること。文庫Xは信頼関係で売れているのだろうか。

 文庫Xと同じ推薦の言葉を表紙をさらして書いていたら、売れなかったのだろうか。比較できないので分からないが、もし書店と客の間に本当に信頼関係があるのなら、表紙をさらしていても売れるのではないか。では書店員が中身を隠して売ろうとしたのはなぜなのか。表紙が悪いのか、タイトルが悪いのか。記事には「タイトルを見て手に取らない人がいるかもしれないと考えた」とある。しかしそれ以上にノンフィクションが売れない現実があるからかもしれない。

 元時事通信記者で作家の相場英雄は東日本大震災をテーマにした小説「共震」のあとがきで「ノンフィクションでは売れないから小説にした」という趣旨のことを書いていた。僕には意外だったが、ノンフィクションは小説以上に売れないらしい。

 文庫Xが売れたのは信頼関係があるからではなく、売り方がこれまでになかったものだからだろう。イベント的な売り方が功を奏したと言うべきか。同じ売り方が全国に広がり、ニュースでも取り上げられている以上、今度は話題性が加わって売れていくことになると思う。出版不況の中、どんな形であれ、本が売れるのは良いことなのかもしれないが、少し複雑な気分も残ってしまう。