2024/11/17(日)「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」ほか(11月第3週のレビュー)

 テレビアニメ「ダンダダン」の第7話「優しい世界へ」が「涙腺崩壊」「号泣必至」「神回確定」と評判になりました。妖怪アクロバティックさらさら(アクさら)の過去が描かれるエピソード。人間だった頃のアクさらはシングルマザーで、幼い娘のためにバイトを掛け持ちして必死に働きますが、それが報われず、不幸な運命を迎えます。セリフを控えて、描写で見せたサイエンスSARUのアニメーションも相変わらず素晴らしいのひと言。ギャグを交えたスピード感のある話にこうしたじっくり見せるドラマを入れてくるのも、この作品の魅力ですね。

「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」

 リドリー・スコット監督による24年ぶりの続編。アカデミー賞5部門(作品、主演男優、衣装デザイン、録音、視覚効果賞)を制した前作(キネ旬ベストテン8位)のストーリーを僕はそれほど買わないんですが、スコット監督が構築した映像美については世評通りと思いました。今回も美術・視覚系の完成度は高く、技術関係の部門でアカデミー賞候補となるのは確実でしょう。

 単純な復讐譚にしていないところに脚本の工夫があります。主人公のルシアス(ポール・メスカル)は将軍アカシウス(ペドロ・パスカル)率いるローマ帝国軍に故郷を侵攻され、愛する妻を殺される。捕虜として拘束されたルシアスは奴隷商人マクリヌス(デンゼル・ワシントン)に買われ、コロセウム(円形闘技場)で戦う剣闘士(グラディエーター)となる。ローマの人民は双子皇帝ゲタ(ジョセフ・クイン)とカラカラ(フレッド・ヘッキンジャー)の圧政に苦しめられており、アカシウスは妻のルッシラ(コニー・ニールセン)とともに密かに謀反を企てていた。

 なぜ、この物語が続編かというと、ルシアスは前作の主人公マキシマス(ラッセル・クロウ)とルッシラとの間に生まれた子どもだからです。子どもの頃に命を狙われたため、ルッシラが他国へ逃がしていました。ルシアスの直接的な復讐の対象はアカシウスになるんですが、アカシウスは悪人ではなく、他国侵略の決定を下した皇帝たちが根本的な悪であると分かってきます。途中まで善人だか悪人だか分からないマクリヌスの存在も物語に幅を与えています。脚本は「ナポレオン」(2024年)でもリドリー・スコット監督と組んだデヴィッド・スカルパ。

 惜しいのは主演のポール・メスカルが前作のラッセル・クロウのレベルには届いていないこと。「aftersun アフターサン」(2022年)でアカデミー主演男優賞候補となり、演技の面では申し分ない実力がありますが、スター性には乏しいので本作のようなアクション史劇では少し力強さが足りないように思えました。
IMDb7.1、メタスコア66点、ロッテントマト75%。前作はIMDb8.5、メタスコア67点、ロッテントマト87%。
▼観客20人ぐらい(公開初日の午前)2時間28分。

「本日公休」

 昔ながらの理髪店の女主人を描く台湾映画。フー・ティエンユー監督が自分の母親をモデルにした物語を構築し、実家の理髪店で撮影したそうです。かつての日本映画のような素朴な温かみがあり、そこが大きな魅力になっています。

 理髪店を営みながら女手一つで3人の子供を育てたアールイ(ルー・シャオフェン)は常連客を大切にしながら40年間営業してきた。それぞれの道を歩んでいる子供たちは実家にはなかなか顔を見せず、頼りになるのは近所で自動車修理をしている次女の別れた夫チュアン(フー・モンボー)だけだった。ある日、遠くの町から通ってきていた常連客の歯医者の先生が病床にあると知り、アールイは店に“本日公休”の札を掲げて古びた愛車(ボルボ240GLセダン)に乗り込み、その町に向かう。

 主演のルー・シャオフェンは女優を引退していましたが、監督から送られた脚本を読んで復帰を決め、「こういう脚本に出会うために私はこの20年ずっと待っていたんです。この役をやり遂げたい」と語ったそうです。中国本土の映画より台湾映画により親しみを感じるのは日本と似た部分が多いからじゃないかと思います。
IMDb7.1(アメリカでは未公開)
▼観客15人ぐらい(公開2日目の午後)1時間46分。

「二つの季節しかない村」

 こんなクズ男を主人公にして、なぜこんなに面白い映画になるのかと驚嘆するトルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品。3時間18分の上映時間の中盤にある主人公サメット(デニズ・ジェリルオウル)と友人の恋人ヌライ(メルヴェ・ディズダル)との12分間以上の長い対話(議論)のシーンで引き込まれ、その直後の呆気にとられる脱映画的シーンを挟んで納得のラブシーンへとつながる展開が凄すぎました。

 トルコ東部の雪深いインジェス村の学校に赴任して4年が経つ美術教師サメット。何もない村では教師というだけで尊敬される。ある日、学校で荷物検査が行われ、サメットを慕っていた女子生徒セヴィム(エジェ・ヴァージ)はサメットがプレゼントした鏡と共にラブレターを没収された。内容が気になったサメットはそのラブレターを手に入れる。「返してほしい」と訴えるセヴィムに「もう処分したから手元にない」と嘘をつく。その日から、セヴィムの態度は変わる。セヴィムは友人と共謀して、「サメットとケナンに不適切な接触をされた」と虚偽の訴えを起こし、2人は窮地に立たされる。

 サメットがクズなのはこの仕返しにセヴィムを廊下に立たせたり、つらい仕打ちをする偏狭さと友人の恋人と寝てしまう(しかもそれを翌朝、友人に言ってしまう)卑劣な面があるからですが、それでも主人公として成立するのはジェイラン監督の深い洞察と描写力があるからでしょう。中盤の脱映画的シーン(パンフレットではメタシーンと呼んでいます)について監督は「エモーショナルになりすぎるのを避けたかったのと、映画を観ているという習慣を中断させたかったのです。映画の遊戯の一種として。もちろん、こういう手法は他の監督も使用していますが、あのシーンでは入れるのが適切だという確信が持てたのです」と語っています。

 ジェラン監督は「雪の轍」(2014年)でパルムドールを受賞するなど、カンヌ映画祭では毎回高く評価されていて、この映画もメルヴェ・ディズダルが最優秀女優賞を受賞しました。その「雪の轍」が3時間16分、前作「読まれなかった小説」(2019年)が3時間9分と最近の作品はいずれも3時間以上ありますが、こんなに長いと一般観客からは敬遠されがち。2時間半程度に凝縮した方が、その凄さを広く認識させられるのではと思います。
IMDb7.8、メタスコア88点、ロッテントマト91%。
▼観客5人(公開5日目の午後)3時間18分。

「HAPPYEND」

 父である坂本龍一のコンサートドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」を監督した空音央(そらねお)の長編劇映画初監督作。近未来の日本で高校卒業を控えた幼なじみ2人の友情と葛藤を描いた青春映画で評判良いようですが、僕は物語の鋭さ、深さの点であと一歩と思いました。

 ユウタ(栗原颯人)とコウ(日高由起刀)はある晩、いつものように学校に忍び込む。そこでユウタは校長(佐野史郎)の愛車にとんでもないいたずらを思いつく。翌朝、いたずらを発見した校長は激怒し、学校に生徒を監視するAIシステムを導入する。

 外国人生徒が多いこの学校は社会の縮図と言え、映画は監視社会と多様性を認めない偏狭さの批判も含んでいます。しかし、教師側が外国人生徒に対して明らかな差別的言動をするのはリアリティーを欠くのではないでしょうかね。建て前では差別しないように振る舞うんじゃないかと思います。
IMDb6.9、メタスコア66点、ロッテントマト92%。
▼観客3人(公開7日目の午後)1時間53分。

「本心」

 平野啓一郎の原作を石井裕也監督が映画化。主人公の母親の友人だったミヨシアヤカという名前を聞いて、三吉彩花と同姓同名だと思ったら、三吉彩花がその役をやってました。このキャラクターの漢字は「三好彩花」で一字違いますが、原作でもこの名前で出てきます。作者の平野啓一郎が意図的にこういう名前にしたのかどうかは分かりませんが、石井監督がこの役に三吉彩花をキャスティングしたのは意図的でしょう。三吉彩花自身は「まずこのお話を頂いた時から運命とはこういう事か、と…」とコメントしています。

 「大事な話があるの」と言い残して死んだ母・秋子(田中裕子)は“自由死”を選んでいた。母の本心が知りたい朔也(池松壮亮)は母のデータをAIに集約させ、仮想空間上にVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作ってもらうことを決める。VF制作に伴うデータ収集のため母の同僚で友人だったという三好(三吉彩花)に接触。まるで本物のような母のVFは完成、朔也はVFゴーグルを装着すればいつでも母親と会えるようになる。VFは徐々に朔也が知らない母の一面をさらけ出していく。

 物語はこのAIと残酷な格差社会、朔也と彩花の深まる関係を描いて、悪くない出来だと思いました。出演はこのほか水上恒司、仲野太賀、妻夫木聡、綾野剛ら。
▼観客15人ぐらい(公開6日目の午後)2時間2分。

2024/11/10(日)「十一人の賊軍」ほか(11月第2週のレビュー)

 東京国際映画祭の東京グランプリに吉田大八監督、長塚京三主演の「敵」(筒井康隆原作)が選ばれました。日本映画が最高賞を受賞するのは根岸吉太郎監督の「雪に願うこと」以来19年ぶりだそうです。吉田監督と長塚さんによる舞台あいさつ付きの上映(TOHOシネマズ日比谷スクリーン12)を見ました。老境で一人暮らしの元大学教授の日常と妄想をモノクロで描き、吉田監督作品の中でも上位に位置する出来だと思います。グランプリのほか、吉田監督が最優秀監督賞、長塚さんが最優秀男優賞を受賞しました。
東京国際映画祭で「敵」上映後の舞台あいさつ(TOHOシネマズ日比谷)
東京国際映画祭で「敵」上映後の舞台あいさつ

 長塚さんは原作の主人公(75歳。映画では77歳の設定)より若いし、イメージが少し違うかなと見る前は思っていましたが、実際には79歳とのこと。見た後はこの主人公は長塚さん以外には考えられないと納得させられる演技でした。俳優引退も考えていたところに脚本を携えた吉田監督が出演依頼に来て、それが79歳での最優秀男優賞につながったそうです。

 瀧内公美、河合優実の女優陣も良く、特に河合優実は「ナミビアの砂漠」よりずっと可愛く撮られていました(まあ、そういう役ですし、男目線だとこうなります)。ちなみに今回の審査員には「桐島、部活やめるってよ」(2012年)で監督と縁のある橋本愛が入っていました。贔屓する気持ちがなくても間違いなく1票入れたでしょうね。一般公開は来年1月17日からの予定です。

「十一人の賊軍」

 幕末の戊辰戦争で新発田藩(現在の新潟県新発田市)が旧幕府軍を裏切った史実を基にした集団抗争時代劇。「仁義なき戦い」シリーズなどの脚本家・笠原和夫が書いた原案を基に白石和彌監督が映画化しました。

 笠原和夫は1964年(昭和39年)に脚本も書いていたそうですが、現在は梗概しか残っていません(Kindle版が販売されています。16ページで550円!)。それを脚本化したのは「孤狼の血」(2018年)「碁盤斬り」(2024年)など白石監督と組むことが多い池上純哉。笠原脚本なら11人のキャラを細かく描いたでしょうが、映画は描き込みが不足しています。ですから、アクションにエモーションが乗っていきません。そのアクション自体にも特に際立ったところはないと思えました。

 明治元年(1868年)、官軍の大部隊が新発田へ入城して来る矢先、長岡藩救援に赴いていた奥羽列藩からなる同盟軍が新発田を通過するという知らせが届く。官軍と同盟軍との戦火から新発田を救うには、同盟軍が城外を去るまで官軍を途中で食い止めておくしかない。家老の溝口内匠(阿部サダヲ)は一計を案じ、死刑囚をその任に当たらせることを思いつく。こうして死刑囚10人とその監視役として牢同心の鷲尾兵士郎(仲野太賀)が新発田に通じる街道の断崖に立つ砦の死守に当たることになる。死刑囚は役目を終えれば、無罪放免される約束だった。

 笠原和夫の脚本が残っていないのは、当時普通に行われていた東映幹部への脚本音読の際に東映京都撮影所長・岡田茂(後の東映社長・会長)からダメだしをされて、笠原和夫が怒って破り捨てたからだそうです。「昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫」(太田出版)によると、元の脚本はペラ350枚(400字詰めだとその半分)。官軍5000人対11人の戦いを描き、最後は11人全員が討ち死にする物語でした。今回の映画が官軍100人ぐらいの規模になっているのは単にエキストラを使える予算規模の問題でしょうし、CGを使う予算もなかったためでしょう。

 しかし、そうしたスケールが構想に届かなくても、ドラマをしっかり作っていれば、もっと面白い作品にすることは可能だったでしょう。エクスペンダブルズ(使い捨て部隊)の悲哀に重点を置いた方が良かったと思います。笠原原案には登場しない女囚人なつ(鞘師里保)を出したのが映画の数少ない利点と思いました。集団抗争時代劇は学生運動が盛んだった1960年代と切り離せないものなのかもしれません。
▼観客20人ぐらい(公開7日目の午前)2時間35分。

「室井慎次 生き続ける者」

 前編「敗れざる者」からほとんど話は進まず、これ前後編でやる意味があったのか極めて疑問です。中身はスッカスカ。前編で見つかった死体の真相は簡単すぎて、少しも話が広がっていきません。一番無意味なのがラスト。あきれ果てました。今年のワースト候補です。

 エンドクレジットの最後に(某俳優が出た後に)「Odoru Legend Still Continue」と出ます。まだやる気ですか、「もうええでしょう」(「地面師たち」)。既に終わったコンテンツなのに関係者だけが「生き続けている」と考えているようです。いや、映画の出来がせめて普通の水準に達していれば、いくら老スタッフの懐古趣味が製作動機でも否定はしないんですけどね。若い頃の成功体験にいつまでもしがみつかず、さっさと忘れた方が良いです。
▼観客13人(公開初日の午後)1時間57分。

「ルート29」

 「こちらあみ子」(2022年)の森井勇佑監督の第2作。中尾太一の詩集「ルート29、解放」からインスピレーションを受け、映画の舞台になった姫路から鳥取を結ぶ国道29号線を旅して脚本を完成させたそうです。他者と必要以上のコミュニケーションを取ることのできない主人公トンボ(綾瀬はるか)と風変わりな女の子ハル(大沢一菜)と旅をするロードムービー。

 「こちらあみ子」ではあみ子一人が違った世界にいるようでしたが、この映画ではハルもトンボも途中で出会う人たちもどこか普通とは違った時間を生きています。悪くない作りなんですが、スローテンポなので何度か睡魔に襲われました。綾瀬はるかはこういう変わったドラマもやりたいんだろうなと思います。
▼観客4人(公開2日目の午前)2時間。

東京国際映画祭で見た作品

以下は東京国際映画祭で見た作品のうち、「敵」以外の5本についてです。

「野生の島のロズ」

 ドリームワークス製作の3DCGアニメ。極めて評判が良く、個人的に今回の映画祭のメインと思ってました。冒頭、ある島に流れ着いたロボットのロッザム7134(ロズ)が島を探訪する様子を描いたシーンは見事な動きと美しさで評判の高さを納得するんですが、その後の話がイマイチと思えました。原作はピーター・ブラウンの童話「野生のロボット」、監督は「ヒックとドラゴン」(2010年)のクリス・サンダース。

 最新型アシスト・ロボットのロズが目覚めたのは大自然に覆われた無人島。未来的な都市生活に合わせてプログラミングされたロズは動物たちの行動や言葉を学習し、徐々に未知の世界に順応していく。ある日、ロズはガンの卵を見つけ、ひなを孵すことになる。ひな鳥をキラリと名付けたロズはハズレ者のキツネ・チャッカリの知恵を借りながら、食べる、泳ぐ、飛ぶという渡り鳥に必要なことをキラリに教えていく。キラリの旅立ちの日、ロズは飛行をアシストするために全力で走り、飛び立った姿をいつまでも見つめ続けた。動物たちと共生し、優しさや愛情を理解しはじめたロズの前に、その居場所を引き裂くような危機が迫っていた。

 基本的には人工対自然の対比を描いているんですが、人工側の描写が不足しています。監督はジブリアニメの影響を受けているそうで、ロズのデザインは「天空の城ラピュタ」などに出てきたロボットに似ていますし、テーマ自体、宮崎駿のアニメでおなじみのものです。宮崎アニメなら人工側に悪役を用意していたはずですが、この映画にセリフのある人間は登場しません。小さな子どもにも分かりやすくするには明確な悪役を用意した方が良かったでしょう。ただ、水準以上の出来なのは確か。映画祭では字幕版での上映だったので、一般公開されたら、吹き替え版の方を見たいと思います。
東京国際映画祭で「野生の島のロズ」を解説する宇垣美里さん(左)と藤津亮太さん(TOHOシネマズ日比谷)
宇垣美里さん(左)と藤津亮太さん

 僕が見た時はアニメ評論家の藤津亮太さんと元TBSアナウンサーで漫画・アニメおたくかつ相当な読書家の宇垣美里さんによる解説がありました。「アトロク2」でもおなじみの2人です。藤津さんは「ガンは2万8000羽、チョウチョは8万匹。かなりの処理能力が必要なので高性能なレンダリングマシンを使ったそうです」といつもながらの詳しさでした。
IMDb8.3、メタスコア85点、ロッテントマト98%。
2025年2月7日公開予定。

「劇映画 孤独のグルメ」

 テレビ版のファンなのでつまらなくてもいいやと思って見ましたが、いやあ、嬉しい驚きレベルの面白さ。脚本があと一息だったり、演出的に足りない部分もあるんですが、韓国場面の爆笑展開で十分満足できる仕上がりでした。入国審査官役のユ・ジェミョンと松重豊の掛け合いが絶妙です。監督は主演の松重豊自身。初監督作として申し分のない出来だと思います。
2025年1月10日公開予定。

「娘の娘」

 「台北暮色」(2017年)の女性監督ホアン・シーがシルヴィア・チャン主演で描く母と娘の物語。同性のパートナーと暮らしていた娘がアメリカで事故死する。娘は体外受精した胚を残していた。さて、この胚をどうするかという話で、選択肢は代理母に頼んで産んでもらうか、生んでもらうにしても里子に出すか、冷凍保存しておくか、廃棄するか。その母親を演じるのがシルヴィア・チャンです。

 祖父母が孫を育てるケースは珍しくないと思いますが、これはまだ孫とは言えない存在なのが悩ましいところです。面白いテーマだと思いましたが、映画はその問題よりも母と娘の関係に焦点を当てています。製作は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)。
コンペティション部門での上映。公開未定。

「純潔の城」

 特集上映「メキシコの巨匠 アルトゥーロ・リプステイン特集」の1本で1973年の作品。映画祭ガイドによると、実際に起こった事件に基づいていて、悪意ある人々から守るという理由で妻や娘を監禁する父親の異常な行動を描いています。メキシコのアカデミー賞に相当するアリエル賞を受賞したそうです。

 父親は妻と長男、長女、次女を18年間、家に閉じ込め、殺鼠剤を作らせています。自分は外に出てそれを売って生計を立てています。ヨルゴス・ランティモス監督の「籠の中の乙女」(2009年)によく似た設定で、ランティモスはこれを参考にしたんじゃないでしょうかね。モノクロ作品でランティモス作品ほど気持ち悪くはありません。
IMDb7.5、ロッテントマト81%(一般観客)。公開未定。

「スターターピストル」

 「ユース TIFFティーンズ」部門での上映。熾烈な受験戦争を戦っている高校生たちの不安と成長を描く中国の青春映画。これがさっぱり面白くないのは僕が中国の実情に疎いからだ、と一瞬思いましたが、考えてみれば、「ソウルメイト 七月と安生」(2016年)や「少年の君」(2019年)のデレク・ツァン監督作品をはじめ胸を打つ中国の青春映画は多いわけで、単純にチュー・ヨウジャ監督の力量不足なのでしょう。
IMDb6.3。公開未定。

2024/11/03(日)「花嫁はどこへ?」ほか(11月第1週のレビュー)

 ニューズウィーク日本版のデーナ・スティーブンズが褒めていた映画「喪う」(Netflix)を見ました。原題は“His Three Daughters”(彼の3人の娘たち)。ニューヨークに住む父親が危篤となり、疎遠だった三姉妹が実家に集まる。久々に顔を合わせた3人には父を看取る中、さまざまな感情が去来する、という物語。

 三姉妹に扮するのは長女が「ゴーストバスターズ アフターライフ」のキャリー・クーン、次女が「ロシアン・ドール 謎のタイムループ」(Netflixのドラマ)のナターシャ・リオン、三女が「アベンジャーズ」シリーズのエリザベス・オルセン。次女は後妻の連れ子で他の2人とも父親とも血は繋がっていませんが、2人が家を出たのに対し、父親と暮らしていました。

 アパートとその周辺で終始する地味な作りですが、三女優の緊張感のある演技で見応えがありました。父親が初めて登場するラスト15分にちょっとした仕掛けも用意されています。脚本・監督のアザエル・ジェイコブス(日本では劇場公開作なし)のこれまでの作品はIMDbでの採点は高くないものの、いくつかの作品でプロから高い評価を受けているようです。
IMDb7.2、メタスコア84点、ロッテントマト98%。

「花嫁はどこへ?」

 列車の中で花嫁を取り違えたことから始まるドラマを女性の人権問題と笑いを交えて描くインド映画。前半は取り違えのリアリティーのない描写をはじめ、なんだこの程度かと思いましたが、後半の展開が見違えるほど素晴らしいです。

 取り違えられたのはプール(ニターンシー・ゴーエル)とジャヤ(プラティバー・ランター)。列車の車両には3組の新婚夫婦がいて、花嫁はいずれも赤い結婚衣装にベールをかぶっていました。眠ってしまったプールの夫ディーパク(スパルシュ・シュリーワースタウ)は途中で席が入れ替わったことを知らず、夜だったこともあって別の花嫁の手を引いて列車を降りてしまいます。その花嫁がジャヤで、家に着いて初めてディーパクと家族は違う花嫁を連れてきたことに気づきます。

 普通に考えれば、手を引かれるところでジャヤは誤りに気づくはずですが、訳を聞かれたジャヤはベールをかぶっていたし、靴しか見えなかったと話します。とりあえずディーパクの家に滞在することになったジャヤには不審な行動が目に付きます。一方、プールは途方に暮れていたところを駅の屋台の女主人マンジュ(チャヤ・カダム)たちに助けられ、店を手伝って働き、初めて賃金を手にします。

 監督2作目のキラン・ラオはインドの女性が社会的に低い立場にある現状を描き、幸福な結婚生活を送りたいプールと結婚以外の自分の夢を持つジャヤをどちらも肯定的に描いています。一見悪そうな警察官(ラヴィ・キシャン)が実は、というお決まりの展開も含めて社会問題を組み込んだ娯楽映画としてよくまとまっています。ラオ監督の手腕は確かです。

 映画の中で花嫁は夫の名前を口にしませんが、この理由についてパンフレットに解説がありました。「インド女性にとって夫は敬うべき神のような存在とされてきた。妻が夫を名前で呼ぶことは夫を自分と対等とみなす行為であり、それは夫への敬意を欠いた、恥じらいのない女子を意味する」。はあ、どこまで男尊女卑の社会なんだと思ってしまいますが、これは映画が描いた2000年代初頭までのことだそう。女性の地位は徐々に上がってきているそうです。しかし、一昨年公開された「グレート・インディアン・キッチン」(2021年、ジヨー・ベービ監督)でもミソジニー(女性蔑視)や男性が生理の穢れを嫌う描写はありましたから、まだまだなのでしょう。

 プロデューサーを務めたのは「きっと、うまく行く」(2009年、ラジクマール・ヒラニ監督)の大スター、アーミル・カーン。カーンはラオ監督の元夫だそうです。
IMDb8.4、ロッテントマト100%(アメリカでは限定公開)
▼観客15人(公開初日の午後)2時間4分。

「アイミタガイ」

 中條ていの原作を「彼女が好きなものは」(2021年)の草野翔吾監督が映画化。原作は「思いもよらない幸せのリンクに心が震える傑作長編小説」(連作短編集)だそうですが、映画に関して言うと、人間関係がリンクしすぎじゃないかと思えました。最後にあの話もこの話もどの話も全部繋がってくる構成に「心が震える」どころか「そんなことあるわけない」とややシラけます。関係してくるのは一つか二つで良かったんじゃないですかね。話を作りすぎの印象になってしまっています。

 ウェディングプランナーとして働く秋村梓(黒木華)の親友・郷田叶海(かなみ=藤間爽子)が海外で事故死する。梓は中学時代、いじめられていたところを叶海に助けられ、何でも話せる親友になった。叶海の死を受け入れられず、梓は今も叶海のスマホあてにメッセージを送り続けている。梓には恋人の澄人(中村蒼)がいるが、梓は幼い頃に両親が離婚したこともあって結婚に踏み出せない。叶海の四十九日が過ぎた頃、両親の朋子(西田尚美)と優作(田口トモロヲ)は叶海のスマホを見て梓のメッセージに気づく。

 映画はこのほか、梓が93歳の女性(草笛光子)に金婚式でのピアノ演奏を頼む話、叶海と児童養護施設との縁、婚約指輪を宝飾店に買いに行く澄人の話などを描いていきます。どれも悪い話ではないんですが、描写にメリハリが乏しいのが難で、クライマックス、梓が駅の近くで叶海の両親に初めて会う場面などもう少しドラマティックな撮り方が欲しいところでした。全体を貫く芯が弱いのも物足りなさの要因になっています。

 梓と叶海の中学時代を演じるのは近藤華と白鳥玉季でこれはぴったりのキャスティング。藤間爽子は出番は短いですが、名前通りの爽やかさで好印象を残しました。

 タイトルの「アイミタガイ」が漢字じゃないのは梓の祖母(風吹ジュン)が使った「相身互い」の意味を梓も澄人も知らなかった(聞いたこともなかった)ことによります。うーん。
▼観客4人(公開初日の午後)1時間45分。

「サウンド・オブ・フリーダム」

 人身売買阻止活動を進める非営利団体オペレーション・アンダーグラウンド・レイルロード(OUR)の創設者ティム・バラードを主人公にしたサスペンス。小児性愛者(ペドフィリア)の毒牙にかかった子どもたちを救出する活動をエンタメ的に描いています。

 主人公のバラード(ジム・カヴィーゼル)が米国土安全保障省捜査官として活動する前半はまずまずの出来ですが、米国外での活動が制限される捜査官を辞めて、人身売買組織(コカインも製造してます)があるコロンビアのジャングルに単身潜入していくあたりから「007」の出来損ないみたいな展開になります。ペドフィリアを扱うのにエンタメ的描き方で良いのかと思ってしまいますが、さらに驚くのはエンドクレジットでカヴィーゼルからのスペシャルメッセージがあること。カヴィーゼルは映画を自賛した上で募金への協力を求めます。映画の画面にQRコードを表示する始末で、最悪な上に醜悪。

 英語版Wikipediaによると、バラード自身が「一人でジャングルに入ったわけではないし、子供を救出するために男を殺したわけでもない」と話しているそうです。「事実を基にした物語」をうたう映画が最近多いですが、どこまでが事実なのか分からず、1%の事実に99%のフィクションを重ねた場合だってあるかもしれません。多くの子どもが性的倒錯者の犠牲になっているのは事実でしょうが、この映画の内容をすべて事実と受け取るのは愚かしいです。

 なお、バラードは性的違法行為(性的暴行やグルーミングなど)で5人の女性から告訴され、OURのCEOを2023年に解任されました。さらに「バラードと主演のカヴィーゼルはどちらもQAnon運動の陰謀論を信じている」そうです。Qアノンのバカバカしい陰謀論を簡単に信じる人がこの映画を見ると、より強固な誤解に凝り固まってしまう懸念がありますね。監督は「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」(2014年)のアレハンドロ・モンテヴェルデ。
IMDb7.6、メタスコア36点、ロッテントマト57%。
▼観客20人ぐらい(公開5日目の午後)2時間11分。

「トラップ」

 M・ナイト・シャマラン監督のサスペンス。観客3万人のライブにサイコキラーが来るという情報をつかんだ警察が厳重な警備体制を敷き、犯人を逮捕しようとします。このライブ会場自体がトラップ(罠)というわけです。実はもう一つ罠があったことが終盤に分かります。いくらなんでも都合が良すぎるだろ、と何度も思える前半の展開に比べれば、後半は少しましでした。もちろん、観客に罠を仕掛けた「シックス・センス」(1999年)のレベルには遠く及びません。

 予告編で暗示され、公式サイトでもネタを割っているので書きますが、その犯人というのは娘とともにやって来た消防士のクーパー(ジョシュ・ハートネット)。一見優しい父親のクーパーは12人を殺したブッチャーと呼ばれるサイコキラーで、今も1人の青年を監禁し、遠隔操作でいつでも殺せる状態に置いています。会場をどう抜け出すのかと思ったら、コンサートのスタッフが秘密をべらべらしゃべったり、そんなに簡単にうまくいくわけないと思える手段で娘を歌手に接近させたりで、これでは犯人が特に優秀でなくても楽々脱出できてしまいますね。このあたり、脚本の安易さが目に付きました。

 世界的歌手のレディ・レイブンを演じるのはシャマランの娘で歌手・女優のサレカ・シャマラン。「ザ・ウォッチャーズ」(2024年)で映画監督デビューをしたイシャナ・シャマランの姉に当たります。例によって、シャマラン監督自身も画面に(長々と)登場しますが、後半、サレカに大きな役割を与えるシーンもあり、観客から自分と家族を贔屓しすぎてると反発されるんじゃないですかね。それも低評価の一因なのでは、と思えました。
IMDb5.9、メタスコア52点、ロッテントマト58%。
▼観客13人(公開6日目の午後)1時間45分。

2024/10/27(日)「八犬伝」ほか(10月第4週のレビュー)

 今年前半に公開されて「胸くそホラー」と話題になった「胸騒ぎ」(2022年、デンマーク=オランダ合作、クリスチャン・タフドルップ監督)のハリウッド版リメイク「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」が12月に公開予定です。オリジナルはメタスコア78点とまずまず高めの評価でした。リメイク版は66点と振るいません。監督のジェームズ・ワトキンスは「ディセント2」(2009年)や「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」(2012年)などB級ホラーの監督なのでまあ、そうだろうなと思います。

 オリジナルの方を見ていなかったので先日、配信で見ました。胸騒ぎと悪い予感しかない状況にもかかわらず、主人公一家が逃げられない展開には息苦しさとじれったさを感じるばかり。その後に来るのは予想以上の最悪の結末。僕だったら、死に物狂いで抵抗するけどなあ。リメイクはこのラストを改変しなかったんでしょうかね? 改変してカタルシスを描いた方が一般映画ファンの評価は高くなるかも、と思う一方で、改変したから評価が低いのかもしれない、とも思います。

「八犬伝」

 「南総里見八犬伝」の物語と、原作者である曲亭馬琴の執筆の姿を描いた山田風太郎原作の映画化。前半は「八犬伝」の物語だけで良かったんじゃないかと思い、後半は馬琴の晩年、息子の嫁のお路(みち)の助けを借りて口述筆記で作品を完成する姿だけで良かったんじゃないかと思いました。いずれにしても、2つの物語(虚の世界と実の世界)が相乗効果を上げているわけではなく、物足りなさを感じる結果になっています。

 僕らの世代で「八犬伝」と言えば、角川映画の「里見八犬伝」(1983年、深作欣二監督)よりもNHK連続人形劇「新八犬伝」(1973年4月~1975年3月、全464話)の印象が強く、珠(たま)に浮かび上がる「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字と意味はこの人形劇で覚えましたし、伏姫や犬塚信乃、「玉梓(たまずさ)が怨霊」などの登場人物は強く印象に残りました(人形デザインは辻村ジュサブロー)。1回15分の番組だったとはいえ、464話も描けるほどの物語を約2時間半の映画のそのまた半分ぐらいの八犬伝パートだけで描くのには無理があり、VFX場面をつないだ駆け足のダイジェストにならざるを得ません。

 一方の馬琴パート。馬琴を演じるのは役所広司、馬琴宅に遊びに来て「八犬伝」の物語を聞く葛飾北斎に内野聖陽、馬琴の愚痴っぽい妻に寺島しのぶ、馬琴の息子に磯村勇斗、その妻お路に黒木華というキャスティングです。このパートの出来が良いのは役者陣の好演もさることながら、正義を信じて勧善懲悪の物語を志向した馬琴の姿勢に共感できるからです。それを助けるお路は平仮名しか読み書きができませんでしたが、馬琴から分からない漢字を「分かりません。申し訳ありません」と言いながら一文字ずつ教わることで物語を書き、その完成に奇跡的な役割を果たします。

 映画では後半からしか登場しないお路の話をもっと見たいと思えるほどこのパートは良いです。映画は虚の世界と実の世界を交互に綴る原作の構成を踏襲してはいるのですが、時間的に十分に描けるはずのない「八犬伝」のパートは全体の1、2割にして馬琴とお路の話にもっと時間を割いた方が良かったのではないかと思います。「ピンポン」(2002年)、「鋼の錬金術師」(2017年)の曽利文彦監督だけにVFXで「八犬伝」を描きたい思いが強かったのかもしれません。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午後)2時間29分。

「まる」

 何気なく描いた○(まる)が現代美術の傑作として世間の大評判を呼ぶという物語。予告編で見て想像していたよりずっと良い出来でした。荻上直子監督は社会の貧困、格差、差別、悪意、妬みなどを盛り込んで物語を構成していて、現代社会を批判した一種の寓話となっています。

 現代美術家のアシスタントとして働く沢田(堂本剛)は言われたことを淡々とこなす日々。通勤途中に事故に遭い、腕に怪我をしたことから職を失ってしまう。沢田は部屋にいた蟻を囲むようにして描いた○(まる)の絵を買い取ってもらうが、その絵は沢田が知らない間にSNSで拡散され、海外でも高く評価される社会現象となる。

 沢田がアルバイトしているコンビニの同僚ミャンマー人(森崎ウィン)の片言の日本語を嘲笑う客や、沢田を見下すかつての同級生(おいでやす小田)はマウントを取りたがる本当に下らない人間たちです。沢田のアパートの隣室に住む漫画家志望の横山(綾野剛)も自分を認めない社会に対して鬱屈した思いを抱えています。それに対して沢田は飄々としたキャラ。自分の絵が売れたことに驚いてはいますが、天狗になることもなく、傍観者的な振る舞いに終始しています。

 映画を見る前は堂本剛の主役起用に少し疑問も感じましたが、この役は堂本剛の雰囲気に実によく合っていました。力をこめるわけでもなく、「成功しなかったら、自分が好きなことを諦めなくちゃいけないんでしょうか」とさりげなく言うキャラとして無理がありません。荻上監督は堂本剛について「能動的ではない受け身の主人公を堂本さんが演じたら、それも新たな要素になりそうな気がした」と起用の理由を語っています。
▼観客4人(公開6日目の午後)1時間57分。

「2度目のはなればなれ」

 実話を基にしたイギリス映画。91歳のマイケル・ケインの俳優引退作であり、昨年6月に亡くなったグレンダ・ジャクソン(享年87)の遺作となりました。2人の共演は約50年ぶりと、公式サイトにありますが、何の映画かタイトルが書いてありません(この公式サイトは情報量がまったく不足しています。パンフレットも作っていないし、不遇な扱いですね)。調べたら「愛と哀しみのエリザベス」(1975年、ジョセフ・ロージー監督)という作品で、日本では劇場未公開(ビデオスルー)でした。

 2014年夏、90歳のバーナード(ケイン)とレネ(ジャクソン)の夫婦は老人ホームで暮らしている。ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)に参加したバーナードはDデイ70周年式典に行きたかったが、ツアー参加申し込みに間に合わなかった。病弱なレネをホームに置いて自分だけ申し込むわけにはいかなかったからだ。レネから「行ってきて」と言われたバーナードはホームの職員には黙ってノルマンディーへの旅に出る。施設では行方不明になったと大騒ぎになる。

 原題は“The Great Escaper”(大脱走者)。ホームから“脱走”したバーナードを警察がツイートで“#The Great Escaper”とハッシュタグを付けたほか、新聞社も見出しにしたことに由来しています。バーナードはDデイで戦友の死を間近で見てトラウマを抱えていました。ノルマンディーに行く途中で知り合ったアーサー(ジョン・スタンディング)もまたバーナード以上の痛みを抱えています。映画は70年たっても戦争体験に苦しむ2人を描くことで静かな反戦映画となっていて、名優ケインの最後の作品として恥ずかしくない出来だと思います。監督は「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」(2011年)などのオリヴァー・パーカー。

 マイケル・ケインは主演・助演・脇役を含めて大変多くのさまざまな映画に出ている人ですが、僕はジャック・ヒギンズの傑作冒険小説を映画化した「鷲は舞い降りた」(1976年、ジョン・スタージェス監督)で演じた主人公クルト・シュタイナ役が好きでした。この映画にはジョン・スタンディングも神父役で出ていたそうです。
IMDb7.0、メタスコア68点、ロッテントマト89%。
▼観客11人(公開初日の午前)1時間37分。

「パリのちいさなオーケストラ」

 パリ郊外に住むアルジェリア系の少女がオーケストラの指揮者になる夢を実現した実話の映画化。世界で女性指揮者の割合は6%、フランスは4%だそうです。女性指揮者が少ない理由について調べてみましたが、体力・能力面での決定的な要因は見当たらず、クラシック業界にある女性への偏見と蔑視が大きな要因になっているのではないかと思います。ガラスの天井が厚いのでしょう。

 主人公のザイア(ウーヤラ・アマムラ)はこれに移民というハンディが加わります。双子の妹フェットゥマ(リナ・エル・アラビ)とともにパリ市内の名門音楽院に編入したザイアは指揮者を志すようになります。しかしザイアが指揮台に立っても最初は演奏者が言うことを聞きません。ザイアが数々の困難と障害を乗り越えて夢を実現する過程はオーケストラの音楽が次第に形になっていく過程と符合していて、手堅くまとまった作品になっています。脚本・監督は「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(2014年)のマリー・カスティーユ・マンシヨン・シャール。
IMDb6.9、ロッテントマト100%(アメリカでは未公開)。
▼観客12人(公開5日目の午後)1時間54分。

2024/10/20(日)「ぼくのお日さま」ほか(10月第3週のレビュー)

 東京国際映画祭(10月28日~11月6日)のチケットが19日に発売されました。昨年は3本しか見られなかったので今年は7本を目指して争奪戦に参加しました。午前10時から午後6時まで特集ごとに4回にわけての発売で、見たい作品のチケットをすべて買うには1日がかりの作業になります。

しかも、販売サイトになかなかつながりません。つながった時には既に完売だったのが1本ありました。コンペティションに出品されている中国映画「チャオ・イェンの思い」で、僕は知りませんでしたが、主演女優のチャオ・リーインが人気なんだそうです。他の中国映画も人気で、日本在住の中国人が多く買ってるんじゃないでしょうか。

チケット販売サイトはパソコンよりもスマホの方がつながりやすく感じました。個人的に大本命の3DCGアニメ「野生の島のロズ」と吉田大八監督の「敵」(筒井康隆原作)が取れたので良かったです。

「ぼくのお日さま」

 パンフレットに登場人物の自己紹介文があり、荒川(池松壮亮)の紹介に「1969年2月27日生まれの31才です」とあって、えっと思いました。この映画、2000年の話だったのか。だから荒川の車はボルボ240エステートだったのか…。

 Wikipediaによると、ボルボ240は1974年から1993年まで生産された車。荒川はクラシックな車に乗ってるなあと思ったんですが、時代が2000年ならまだ普通に走っていたでしょう。ドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」で主人公一家が乗っていたのもこの車でした(NHKなのでドラマの中ではボルド。実際の岸田家はもっと新しいボルボだったようです)

 雪が降り始めてからとけるまでの、つまり一冬のかわいくて苦い恋の物語。商業映画デビューの奥山大史監督は前作「僕はイエス様が嫌い」(2019年)と同じスタンダードサイズの画面で淡い恋心を綴っています。

 主人公のタクヤ(越山敬達)は少し吃音がある12歳。ある日、ドビュッシーの「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくら(中西希亜良)の姿に心を奪われる。元フィギュアスケート選手でさくらのコーチをしている荒川(池松壮亮)はホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て何度も転ぶタクヤを見つける。荒川はスケート靴をタクヤに貸し、練習につきあう。そしてタクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始める。

 タクヤは1歳年上のさくらが好きで、さくらは荒川に恋していて、荒川は五十嵐(若葉竜也)と同棲しているという関係。アイスダンス大会への練習は順調だったんですが、ふとしたことで、さくらの荒川への思いは壊れ、アイスダンスの練習も終わってしまいます。奥山監督は吃音の少年を歌ったハンバート ハンバートの「ぼくのお日さま」をモチーフに物語を作っていったそうです。

 良い話ですが、おじさんには少し幼すぎるかなあ。さくらのLGBTQへの無理解な発言がそのままになっているのも少し気になりました。池松壮亮は氷の上に立ったこともなかったそうですが、半年間の練習でコーチ役として不自然ではない滑りを見せています。さすがです。
▼観客9人(公開初日の午後)1時間30分。

「破墓 パミョ」

 冒頭、飛行機の中で客室乗務員から日本語で話しかけられたファリム(キム・ゴウン)が「日本人じゃありません」と流ちょうな日本語で返すシーンがあります。これはクライマックス、日本語でしゃべる必要のある場面への伏線。日本の化け物が出てくるからです。

 ファリムは韓国シャーマニズムの代表的存在である巫堂(ムーダン)で、風水師のサンドク(チェ・ミンシク)、喪儀師ヨングン(ユ・ヘジン)ファリムの弟子の巫堂ボンギル(イ・ドヒョン)とともに霊的な事件の解決に当たっているという設定。代々跡継ぎが謎の病気にかかっている家族から破格の報酬で依頼を受けたファリムとボンギルは原因が先祖の墓にあると気付く。不吉な山の上にある墓を暴くため、サンドクとヨングンも合流し、4人はお祓いと改葬を同時に行う。墓を掘り返していくうちに不可解な出来事に巻き込まれる。

 棺の蓋を開けたために、霊魂が飛び出し、なんとかそれを退治するわけですが、墓の下にはもう一つの巨大な棺が埋まっていた、という展開。土着宗教絡みの話が「哭声 コクソン」(2016年、ナ・ホンジン監督)、シャーマン姉妹が出てくる点で「来る」(2018年、中島哲也監督)を思い起こさせました。この4人のチーム、なかなか良くて、シリーズ化してもいいんじゃないかなと思いました。映画はクライマックスが少し長い(この長さならもう一つ要素がほしい)のが難点ですが、僕は好きなタイプの映画です。

 チャン・ジェヒョン監督は「プリースト 悪魔を葬る者」(2015年)などオカルティックな題材が好きなようで、前作「サバハ」(2019年)はNetflixで配信されています。
IMDb6.9、メタスコア80点、ロッテントマト93%。
▼観客11人(公開初日の午前)2時間14分。

「ポライト・ソサエティ」

 英国ワーキングタイトル製作の青春アクション。という内容は事前には知らず、インドかどこかの女性差別を盛り込んだ話と思ってました。監督のニダ・マンズールはパキスタン系イギリス人なので、主人公の一家もパキスタン系なのでしょう。

 スタントウーマンを目指す女子高生リア・カーン(プリヤ・カンサラ)はカンフーの修行に励んでいるが、学校では変わり者扱い。親からも堅実な仕事に就くようにと説教される。リアの唯一の理解者である姉リーナ(リトゥ・アリヤ)がある日、富豪の息子でプレイボーイのサリム(アクシャイ・カンナ)と恋に落ち、結婚することに。リアは彼の一族に不審な点を感じ、調べると、結婚の裏にはとんでもない陰謀が隠されていた。

 その陰謀というのがSFチックでリアリティーに欠けます。プリヤ・カンサラのアクションは悪くありませんが、ハードなものではなく、全体的に高校生向けを意識した作りと思えました。なぜか浅川マキの「ちっちゃな時から」(1970年)が流れます。
IMDb6.7、メタスコア75点、ロッテントマト91%。
▼観客6人(公開14日目の午後)1時間44分。

「若き見知らぬ者たち」

 なんだこれ、と思うようなストーリー展開で、唖然としました。傷害の3人放置、事件を隠蔽した警官放置…。それでいったい何が言いたいのか判然としません。社会への怒り? 警察への怒り? 不幸な主人公への憐憫? この焦点ボケボケの脚本では磯村勇斗や岸井ゆきのや染谷将太や霧島かれんや滝藤賢一がいくら熱演しても映画が成功することはあり得ません。プロデューサーは脚本にノーと言うべきでした。

 風間彩人(磯村勇斗)は死んだ父(豊原功補)の借金返済の傍ら、家の内外で迷惑な行動を繰り返す病気の母(霧島れいか)の面倒を見ている。昼は工事現場、夜は両親が開いたカラオケバーで働く。彩人の弟・壮平(福山翔大)も借金返済と介護を担いながら総合格闘技の選手として練習に打ち込んでいる。彩人には恋人の日向(岸井ゆきの)がいるが、結婚への展望は開けない。親友の大和(染谷将太)の結婚を祝う夜、彩人を思いもよらない暴力が襲う。

 脚本・監督は快作「佐々木、イン、マイマイン」(2020年)の内山拓也。本作は内山監督の知人に起きた事件を基にしているそうです。予告編と映画のコピー「何が彼を殺したのか」でネタを割ってますが、主人公の理不尽な死に焦点を絞って脚本化した方が良かったでしょう。その後に延々と続く弟の格闘技シーンは不要です。同じ画面の中で回想に移る手法など映画の技法に凝る前に、脚本の完成度を高めるのが先でした。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間59分。