2025/04/06(日)「片思い世界」ほか(4月第1週のレビュー)
「片思い世界」

そこから先が実に難しい展開で、必ずしも成功しているとは言い難いんですが、失敗していると言いたくないのは主演の広瀬すず、杉咲花、清原果耶が良すぎるためです。元々、脚本の坂元裕二はこの3人を主演にした映画を作りたかったのだそうです。「3人は間違いなく日本の俳優の宝」「そんな人たちが3人揃って、日常的な青春や恋の物語をやっても気持ちが動かないし、もったいないんじゃないかな」と考え、あるモチーフが加わって苦労した末にできたのがこの脚本とのこと。
3人は古い家で12年も一緒に暮らしています。彼女たちがラジオから得た情報を基にある灯台へ行き、願いがかなわなかったことが分かるシーンは切ないです。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」の同じような希望と落胆のエピソードを彷彿させました。たとえ現実的ではなくても、願いが届く一瞬の奇跡の場面があっても良かったんじゃないかなと思います。
劇中で流れる合唱「声は風」の作詞も坂元裕二。卒業ソングの定番になりそうな耳に残る名曲ですね。
広瀬すずが思いを寄せる青年役で横浜流星。監督は「花束みたいな恋をした」(2020年)の土井裕泰。土井監督の次作は朝倉かすみ原作の「平場の月」だそうです。堺雅人、井川遥主演というのは原作の2人より美男美女すぎる感じですが、脚本は向井康介とあってこれも期待できそうです。
▼観客10人ぐらい(公開初日の午後)2時間6分。
「BETTER MAN ベター・マン」
英国のポップ歌手ロビー・ウィリアムスの半生を「グレイテスト・ショーマン」のマイケル・グレイシー監督が映画化。変わっているのは主人公がなぜかサルの姿をしていること。この違和感が最後まで拭えませんでした。歌と踊りのパフォーマンスは良い(特に街中で群舞する「Rock DJ」)のです。でも、なぜサル?公式サイトによると、監督はこう語っています。
「この映画はあくなき夢を追い求めるなかで、愛されると同時に常に他人の目にさらされるつらさに苦悩するひとりの人間の復活の物語です。そして私たちから見るロビーの姿でなく、『僕はサルのように踊っている』と自らを“パフォーミング・モンキー”と捉えている彼の視点から描くべきだと考えました」
これは劇中で何らかの言及をしてほしいところ。ロビー・ウィリアムスの言葉は別に外見がサルに似ていると言っているわけではなく、自分が猿回しのサルのように感じていたということなので、外見をサルにする必要はありません。単に監督が奇をてらっただけのように思えます。
タイトルの基になった歌「BETTER MAN」も良いですが、「マイ・ウェイ」がさらに印象的に使われています。パンフレットは発売されていませんでした。
IMDb7.6、メタスコア77点、ロッテントマト88%。
▼観客15人ぐらい(公開6日目の午後)2時間16分。
「エミリア・ペレス」

メキシコの弁護士リタ(ゾーイ・サルダナ)は麻薬カルテルのボス、マニタス・デル・モンテ(カルラ・ソフィア・ガスコン)から莫大な謝礼の極秘依頼を受ける。マニタスはトランスジェンダーで女性としての新たな人生を用意してほしいというのだ。リタの計画により、マニタスは姿を消すことに成功。4年後、イギリスで新たな人生を歩むリタの前に現れたエミリア・ペレスはかつてのマニタスだった。エミリアはメキシコに帰って2人の子供たちと一緒に暮らすことが願いだった。
カルラ・ソフィア・ガスコンの過去のひどい差別発言が問題になったり、主要キャストに1人もメキシコ人がいないことが問題視されました。メキシコ訛りのスペイン語は僕には聞き分けられませんが、チャン・ツィイーやミシェル・ヨーが日本人を演じた「SAYURI」(2005年、ロブ・マーシャル監督)に日本人が感じるような違和感なのでしょう。
監督は「ゴールデン・リバー」(2018年)「パリ 13区」(2021年)のジャック・オディアール。アカデミー賞では12部門で13ノミネートされ、助演女優賞(ゾーイ・サルダナ)と歌曲賞「EL MAL」を受賞しました。
IMDb5.4、メタスコア70点、ロッテントマト72%。
▼観客7人(公開5日目の午後)2時間13分。
「ネムルバカ」

大学の女子寮で同室の後輩・入巣柚実(久保史緒里)と先輩・鯨井ルカ(平祐奈)。入巣はこれといって打ち込むものがなく、何となく古本屋でバイトしている。ルカはインディーズバンド“ピートモス”のギター・ヴォーカルとして、夢を追いかけていた。二人は安い居酒屋で飲んだり、暇つぶしに古い海外ドラマを見たりの緩い日常を送っていた。ある日、ルカに大手レコード会社から連絡が入る。
清楚さだけが魅力と思っていた久保史緒里が居酒屋での酔っ払い演技などコメディエンヌとしての才能を見せて、この映画の一番の収穫だと思いました。ダラダラした日常を送る入巣とルカは「ベイビーわるきゅーれ」のちさと(高石あかり)とまひろ(伊澤彩織)を思わせます。阪元裕吾監督は元々、石黒作品のファンだったそうですが、監督を担当したのは女性2人が主人公だったことも理由にあるんじゃないでしょうか。
平祐奈の歌は特にうまいわけではありませんが、ラストのライブ場面には感情を揺さぶるものがありました。共演は昨年のNHK夜ドラ「未来の私にブッかまされる!?」で久保史緒里と共演した綱啓永、「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」の樋口幸平と志田こはく、ロングコートダディの兎、阪元監督の映画ではお馴染みの伊能昌幸ら。
▼観客4人(公開2日目の午前)1時間46分。
「14歳の栞」
2021年公開のドキュメンタリー。ようやく見ました。冒頭の野生馬のシーンは撮影場所が出てこないんですが、どう見ても都井岬。串間市教育委員会が協力でクレジットされていたので間違いないでしょう。埼玉県春日部市のある中学校の2年6組35人の生徒全員にインタビューし、それぞれの考えやドラマを描いていく構成。この映画の後に「MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない 」(2022年)を作る竹林亮監督は劇映画的な手法(例えば、ホワイトデーのお返しを持ってきた男子生徒の場面で女子生徒の家の中と外の両方で同時に撮影する)を一部取り入れて構成しています。
生徒たちにはそれぞれに様々なドラマがありますが、総じて言えるのは可能性を感じさせることです。友だちに裏切られたことから人間不信になっていても、今は自分のことが嫌いでも大丈夫。14歳、まだ未来は十分に開けています。
撮影されたのは平成の最後の年らしいので、彼らは既に20歳を超えているでしょう。それでもまだまだ大丈夫です。
▼観客15人ぐらい(再公開7日目の午後)2時間。
2025/03/30(日)「ミッキー17」ほか(3月第4週のレビュー)
映画でもう1本、クエンティン・タランティーノ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019年)もそうかなと思います。これは登場人物ではなく、タランティーノ自身が実際に起きた悲劇的な事件(シャロン・テート殺害事件)を回避して、呆気にとられるような展開にしたわけですけどね。
悪人の抹殺だけを請け負う殺し屋を主人公にした「ビリー・サマーズ」は映画化の計画があるそうですが、IMDbにはまだ詳細がありません。IMDbのリストを見て驚くのはキングがライター(原作や脚本)としてこれまでに関わった作品がテレビ・映画・短編を含めて394本もあること。今後も20本が予定されています。こんなに多くの作品が映像化された作家はほかにいないでしょう。それほどキングは質の高い作品を量産してきたわけです。
「ミッキー17」

何度も使用可能なエクスペンダブル(使い捨て)な人間という設定は不死身の「亜人」(桜井画門原作)やクローンの「アイランド」(2005年、マイケル・ベイ監督)を思わせますし、氷の惑星ニフルヘイムに住むダンゴムシを巨大化させたようなクリーパーの形態は王蟲やサンドワームとよく似ています。オリジナルなSFのアイデアはあまりないにもかかわらず、水準をクリアした映画にまとまったのはポン・ジュノらしい格差社会の背景があるからでしょう。
主人公のミッキー・バーンズ(ロバート・パティンソン)は友人のティモ(スティーブン・ユアン)とともに事業に失敗し、借金取りから追われることになる。2人は厳しい借金取りから逃れるため惑星ニフルヘイム植民団に応募。ミッキーは契約書をよく読まず、エクスペンダブルに応募してしまう。エクスペンダブルは複製技術の人体プリンティングによって、記憶を維持したまま何度も再生される。ミッキーは人体実験や過酷な業務を担当させられ、何度も死ぬことになる。しかし、17番目のミッキーはクレバスに落ちたところを肉食のクリーパーになぜか助けられる。基地に帰ってみると、既にミッキー18がいた。
植民団を率いる富豪のマーシャル(マーク・ラファロ)とイルファ(トニ・コレット)の夫婦は自己中心的なキャラで、カリカチュアライズされたいかにもな悪役。このあたりの風刺とユーモアがポン・ジュノ作品らしいところです。パティンソンはサエない風貌で不運なミッキーを好演しています。
ミッキーに好意を寄せるカイ・キャッツ役のアナマリア・バルトロメイはどこかで見た顔だと思ったら、ヴェネチア映画祭金獅子賞のフランス映画「あのこと」(2021年、オードレイ・ディヴァン監督)の主演女優でした。
IMDb7.0、メタスコア72点、ロッテントマト78%。
▼観客15人ぐらい(公開2日目の午前)2時間17分。
「聖なるイチジクの種」

国家公務に従事するイマン(ミシャク・ザラ)は念願の予審判事に昇進。業務は反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を課すための国家の下働きだった。報復の危険が付きまとうため家族を守る護身用の銃が支給されるが、ある日、寝室の引き出しに入れていた銃が消えてしまう。イマンの不始末による紛失だと思われたが、疑いの目は妻ナジメ(ソヘイラ・ゴレスターニ)、長女レズワン(マフサ・ロスタミ)、次女サナ(セターレ・マレキ)の3人に向けられる。
前半はスマートフォンで撮影したと思われる実際の抗議デモの様子が多数使われています。頭から血を流した死体や政府側のひどい暴力場面もあり、緊迫の展開。この家の娘2人の友人もデモに参加し、散弾銃で顔を撃たれて重傷を負います。娘2人はデモには参加しませんが、思想的にはデモ側。父親は公務員で死刑執行の許可を出す立場にあり、母親はそんな夫を支持しています。しかし、銃の紛失により、父親の本性が露わになり、女性3人は父親と対立することになります。父親は一般民衆からも敵視され、だから護身用の拳銃を持たされていたわけですが、それが家族の崩壊を招いてしまうのが皮肉です。
事実に即した部分が多い前半とフィクションが勝る後半で面白さの質は異なります。167分の長い作品なので別の映画として撮っても良かったのではないかと思えました。ラスロフ監督はイラン政府を批判したとして懲役8年、むち打ち、財産没収の実刑判決を受けましたが、執行される前に国外へ脱出し、ドイツに亡命したそうです。
IMDb7.6、メタスコア84点、ロッテントマト97%。カンヌ国際映画祭審査員特別賞、アカデミー国際長編映画賞ノミネート。
▼観客9人(公開初日の午後)2時間47分。
「劇場版モノノ怪 第二章 火鼠」
テレビアニメから生まれた「劇場版モノノ怪」シリーズ3部作の第2章。昨年公開された第1章「唐傘」にはあまり感心しませんでしたが、今回は上映時間を15分短くしたこともあって、話が締まっています。前作に続いて大奥が舞台。突然、人が燃え上がり、消し炭と化す人体発火事件が連続して発生する。退魔の剣を持つ薬売り(神谷浩史)は再び大奥に現れ、事件がモノノ怪の仕業とにらんで闇に切り込んでいく。
和紙に描いたような独特の絵が魅力ですが、絵よりも話に凝った方が面白くなりますね。前作の監督である中村健治が総監督、テレビアニメ「バビロン」などの鈴木清崇が監督を務めています。第3章は「蛇神」とのこと。
▼観客15人ぐらい(公開11日目の午後)1時間14分。
「デュオ 1/2のピアニスト」

あらすじから想像できる以上にドラマティックな展開があり、うまい脚本だと思います。実話部分は設定だけで大きくフィクションを取り入れた印象。それで悪くはありませんが、学院の先生と愛し合ったことが後で学院への脅迫じみた行為に使われるのはいかにも作った感がありました。双子を演じたカミーユ・ラザとメラニー・ロベールは同じ村出身の親友とのこと。
IMDb6.6(アメリカでは未公開)
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間49分。
「お嬢と番犬くん」
一咲(福本莉子)は極道一家の孫娘であることを隠し、普通の青春と恋をするため、家から遠い高校に進学するが、彼女の世話役で組の若頭の啓弥(ジェシー)が年齢をごまかして高校に裏口入学してくる。ジェシーも福本莉子も悪くありませんが、話に工夫がなく、面白みに欠けます。はつはるの原作コミックもこうなのでしょうかね。このパターンなら、鈴木亮平と永野芽衣主演の「俺物語!!」(2015年、河合勇人監督)の方面白かったです。
▼観客多数(公開14日目の午後)1時間46分。
2025/03/23(日)「教皇選挙」ほか(3月第3週のレビュー)
翻訳出版の現状に多くを期待できないとなると、英語の原書が読めるように辞書を引きながら勉強するしかないなと思うんですが、それができるようになったとしても、中国や韓国、フランス、スペイン語などまで学ぶのは極めて困難です(他言語から英語への翻訳は多いようですけど)。だから翻訳文化は大事なのです。ちなみに「教皇選挙」の原書「Conclave」はKindle版が1600円。翻訳して出版した場合、3000円ぐらい(以上?)に価格設定しないとペイしないんじゃないですかね。
「教皇選挙」

14億人以上の信徒を有するカトリック教会の最高指導者でバチカン市国の元首であるローマ教皇が心臓発作で急死した。イギリス出身の首席枢機卿トマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は新教皇を決める教皇選挙(コンクラーベ)を執り仕切ることになる。各国から100人を超える強力な候補者が集まり、外部から遮断されたシスティーナ礼拝堂の中で投票が始まった。票が割れるなか、水面下の陰謀、差別、スキャンダルが次々に発覚、ローレンスの苦悩は深まっていく。
レイフ・ファインズ62歳、スタンリー・トゥッチ64歳、ジョン・リスゴー79歳、セルジオ・カステリット71歳、イザベラ・ロッセリーニ72歳と主要キャストは高齢の俳優ばかり。これが前半のとっつきにくさの一因になっていることは否めません。しかし、権力=教皇の座をめぐって繰り広げられる争いはとても崇高な方々がやることとは思えず、実社会を反映したものになっています。差別偏見意識を露わにする枢機卿もいて、こんな人が教皇になったら大変だと思ってしまいます。
パンフレットによると、保守派と改革派の対立は実際のコンクラーベでもあるそうです。トランプのようにLGBTQの存在を認めない人が教皇の地位に就いたら影響は大きいでしょう。
アカデミー賞では8部門にノミネートされ、脚色賞(ピーター・ストローハン)を受賞しました。監督は「西部戦線異状なし」(2022年、国際長編映画賞などアカデミー4部門受賞)のエドワード・ベルガー。
IMDb7.4、メタスコア79点、ロッテントマト93%。
▼観客10人ぐらい(公開初日の午前)2時間。
「悪い夏」

市役所の生活福祉課でケースワーカーとして働く佐々木守(北村匠海)は同僚の宮田有子(伊藤万理華)から先輩の高野(毎熊克哉)が生活保護受給者のシングルマザー林野愛美(河合優実)に肉体関係を迫っているというウワサがあることを知る。真相究明を頼まれた守は愛美のアパートを訪ねる。愛美は娘の美空と二人暮らしだった。同じ頃、それを知った裏社会の金本(窪田正孝)は高野を脅迫し、貧困ビジネスの手先にしようとする。愛美はある目的で守を誘惑。守は金本に脅迫され、闇堕ちしていくことになる。
監督と原作者、脚本の向井康介の鼎談によると、今村昌平の重喜劇を指針にしたのだとか。イマヘイだったら、ドロドロ度がさらに高かったでしょうが、いい線行ってると思います。
気怠い色気を感じさせる河合優実のほか、顔つきがほっそりした伊藤万理華、逆にやや野呂佳代化した箭内夢菜ら女優陣も頑張ってます。本筋とは関係ないシングルマザーで生活保護の申請を断られる木南晴夏は普段のコメディ演技とは正反対の役柄ながら、目の下に隈を作って貧困の過酷な状況を表現し、現実社会を反映したリアルな部分を担当していて良かったです。
▼観客3人(公開2日目の午前)1時間55分。
「早乙女カナコの場合は」

早乙女カナコ(橋本愛)は大学の入学式で演劇サークル「チャリングクロス」で脚本家を目指す長津田(中川大志)と出会い、付き合いを始める。就職活動を終え、カナコは大手出版社に就職が決まる。長津田とも3年の付き合いになるが、口げんかが絶えない。長津田は脚本を最後まで書かず、卒業もする気はなさそうだ。サークルに入ってきた女子大の1年生・麻衣子(山田杏奈)と浮気疑惑さえある。そんなとき、カナコは内定先の先輩・吉沢(中村蒼)から告白される。編集者になる夢を追うカナコは長津田の生き方とすれ違っていく。
橋本愛は週刊文春に読書日記を連載しているので、編集者の役にはぴったり。矢崎仁司監督は自立した女性の恋愛青春映画として手堅くまとめています。
「私にふさわしいホテル」(2024年、堤幸彦監督)で主役の作家を演じたのんが同じ作家役でゲスト出演しています。最近、NHK朝ドラ「あまちゃん」(2013年)を全話見たので、のんが出るなら、中川大志の代わりに福士蒼汰のキャスティングなら橋本愛と合わせて「あまちゃん」トリオ復活でうれしかったんですけどね。いや、中川大志は好演しているので、それはないですけど。
クライマックスに「アパートの鍵貸します」(1960年、ビリー・ワイルダー監督)のシャンパンのシーンの引用がありました。
▼観客2人(公開5日目の午後)1時間59分。
「ニッケル・ボーイズ」
少年院を舞台に黒人少年への暴力や虐待を描いたコルソン・ホワイトヘッドの小説の映画化で、アカデミー作品賞・脚色賞ノミネートされました。amazonプライムビデオが配信しています。1960年代のアメリカ。アフリカ系アメリカ人の真面目な少年エルウッド(イーサン・ヘリス)は、無実の罪で少年院ニッケル校に送られる。校内には信じがたい暴力や虐待が蔓延していた。
主人公エルウッドの一人称カメラで始まり、これがずっと続くのかと思ったら、ニッケル校での友人ターナー(ブランドン・ウィルソン)の視点に切り替わります。基本的にこの2人の視点で物語が描かれていくんですが、予備知識ゼロで見ると、とにかく導入部が分かりにくくなっています。その要因はこんな作りにしたためでしょう。
書店に1冊だけあった原作(2020年11月発売の初版本でした。翻訳小説はやっぱり売れていないのです)を買って読んでるところですが、原作は極めて読みやすい書き方です。フロリダ州の少年院アーサー・G・ドジアー男子校で実際に起きた教官による多数の黒人少年の虐待・殺害事件を基にした小説で、コルソン・ホワイトヘッドは「地下鉄道」に続いて2度目のピュリッツァー賞を受賞しました。映画も小説のように素直に作っていれば、さらに支持が広がったのではないかと思います。監督のラメル・ロスはこれまで主にドキュメンタリーを手がけてきた人だそうです。
IMDb7.0、メタスコア91点、ロッテントマト91%。2時間20分。
アカデミー作品賞候補の10本のうち、「ニッケル・ボーイズ」を含めて7本が公開済みとなりました。残る3本のうち、ゾーイ・サルダナが助演女優賞を受賞した「エミリア・ペレス」は28日公開、デミ・ムーアが主演女優賞を逃した「サブスタンス」は5月、国際長編映画賞受賞の「アイム・スティル・ヒア」は8月公開予定となっています。
2025/03/16(日)「Flow」ほか(3月第2週のレビュー)
国内評価の低さはテレビ画面で見てることも影響してるんですかね。深作監督の実質的な遺作で、デビュー間もない柴咲コウと栗山千明が鮮烈な印象を残した作品でもあるので、劇場で見る価値は大いにあると思います。
「Flow」

世界が大洪水に襲われ、あらゆるものが水没しそうになる中、森の中の家に住んでいた一匹の黒猫が流れて来たボートに乗る。ボートには既にカピバラがおり、これに犬やキツネザル、翼を折られたヘビクイワシなど他の動物が次々に乗り込んでくる。
このシチュエーションは容易に「ノアの方舟」を連想させますが、あんなにスケールの大きな話ではありません。狭いボートの中で起こる動物たちのいざこざは人間の争いのようでもあります。比喩的な描写のある終盤が少し分かりにくくなっていますが、それも含めて芸術性の高さが評価されているのでしょう。
大洪水がなぜ起きたのか原因は分かりません。人間が1人も出てこないことを考えると、温暖化の果ての(人間にとっては)終末世界の物語なのかもしれません。
IMDb7.9、メタスコア87点、ロッテントマト97%。
ジルバロディス監督が3年半をかけて1人で作った第1作「Away」(2019年)を配信で見ました。パラシュートで島に降下した青年がオートバイで荒野をさすらい、その後を謎の黒い巨人がついてくるという物語。登場人物は1人だけなので「Flow」同様にセリフはなく、相棒の小鳥や動物たちが描かれています。「Flow」よりプリミティブなCGですが、これも静謐さとファンタスティックな展開が良いです。黒い巨人は死のメタファーなんじゃないでしょうかね。U-NEXTやamazonプライムビデオなどで配信しています。
IMDb6.6、メタスコア78点、ロッテントマト100%。
「Flow」は昨年の東京国際映画祭で上映されました。同映画祭では一昨年、「ロボット・ドリームズ」を上映していて、アニメーション企画はチェックしておいた方がいいなと思います。ついでに書いておくと、今年の東京国際映画祭は10月27日から11月5日まで開催されることが先日発表されました。
▼観客10人ぐらい(公開初日の午前)1時間25分。
「愛を耕すひと」

18世紀のデンマークが舞台。退役軍人のルドヴィ・ケーレン大尉(マッツ・ミケルセン)は、貴族の称号を懸け、ユトランド半島の不毛な荒野(ヒース)の開拓に名乗りを上げる。地域の有力者フレデリック・デ・シンケル(シモン・ベンネビヤーグ)は勢力の衰退を恐れ、あらゆる手段でケーレンを追い払おうとする。自然の脅威とデ・シンケルからの非道な仕打ちに抗いながら、デ・シンケルのもとから逃げ出した使用人の女性アン・バーバラ(アマンダ・コリン)や家族に見捨てられたタタール人の少女アンマイ・ムス(メリナ・ハグバーグ)との出会いにより、ケーレンの頑なに閉ざした心に変化が芽生えてゆく。
絵に描いたような卑劣な地主が出てくるので、原作は史実に大幅にフィクションを入れた小説なのでしょう。「愛と宿命の泉」二部作(1986年、クロード・ベリ監督)を彷彿させる農業映画であり、「嵐が丘」のような文芸映画の雰囲気もあります。マッツ・ミケルセンはいつもながらの重厚な演技で映画に風格を与えています。
監督はミケルセンと組んだ「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の泉」(2012年)のほか、デンマークの作家ユッシ・エーズラ・オールスンの原作を映画化した「特捜部Q」シリーズで脚本を担当しているニコライ・アーセル。
IMDb7.7、メタスコア77点、ロッテントマト97%。
▼観客20人ぐらい(公開2日目の午後)2時間7分。
「かなさんどー」

赤嶺美花(松田るか)は母・町子(堀内敬子)が病気で亡くなる前、毎晩のように飲み歩き、母が最期のときにかけた電話にも出なかった父・悟(浅野忠信)のことを許すことができずにいた。悟の命が危ないと知らせを受けた美花は東京から実家のある沖縄県伊江島に帰る。町子が亡くって7年たっていて、父は認知症が進行していた。両親と過ごした時間を思い出す中、美花は母が残していた日記を見つける。母の本当の想い、父と母の愛おしい秘密を知る。
短編では入院している父親に見せるため主人公が2階にある病室の外で重機に吊り下げられて「かなさんどー」を歌いますが、長編では伊江島のテッポウユリが咲き誇る中で歌います。これは歌を活かすための適切な改変で、松田るかの歌声は澄んでいて聞き惚れます。
沖縄出身ではない浅野忠信、堀内敬子のしゃべり方にも違和感はありません。「過去に戻れたとしても、私はもう一度お父さんと結婚する」と夫への深い愛を語る母親を堀内敬子は親しみやすく演じています。パンフレットで製作総指揮の福田淳は「特殊な沖縄のファミリーの話に思えますが、実は非常に個人的だからグローバルに響くんじゃないか」と語っています。その通りで、家族の話が世界共通なのは他の映画でもよく感じることではあります。
「演じる女 A Woman Who Acts」はYouTubeで公開されています。
▼観客9人(公開5日目の午後)1時間26分。
「プレゼンス 存在」
スティーブン・ソダーバーグ監督が幽霊の視点で描くホラー。といっても少しも怖くありません。この幽霊、悪い奴ではないからです。崩壊寸前の4人家族が大きな屋敷に引っ越してくる。10代の少女クロエ(カリーナ・リャン)は家の中に何かが存在しているように感じていた。
幽霊はポルターガイスト現象は起こせますが、人間に直接危害を加えられない設定がポイント。悪くない展開なんですが、クライマックスにもう少し意外な展開が欲しかったところです。母親役をルーシー・リュウが演じています。脚本はデヴィッド・コープ。
IMDb6.2、メタスコア77点、ロッテントマト88%。
▼観客8人(公開6日目の午後)1時間24分。
「知らないカノジョ」

小説家志望の神林リク(中島健人)はミュージシャンを目指す前園ミナミ(milet)と大学で出会う。二人はお互いに一目惚れして結婚。リクはベストセラー作家となるが、ミナミは志半ばで夢を諦めていた。結婚して8年、ちょっとしたことでミナミとケンカした翌朝、リクが目覚めると、ミナミは大スターでリクは小説家ではなく編集者になっていた。二人は出会ってもいなかった。リクはなぜか別の世界に来てしまったらしい。困惑するリクは元の世界を取り戻そうとミナミに近づくが、彼女には愛する人がいた。
身近な人を失って初めてその存在の大きさ、大切さが分かるというシチュエーション。リクはこの世界でもなんとかミナミの愛を得ようと力を尽くし、ミナミはゆっくりと、リクの方を向いていくことになります。それに協力する先輩の桐谷健太、ミナミの祖母役風吹ジュンも良いです。
miletは早稲田大文学部の演劇映像コース卒だそうですが、そのためもあるのか、中島健人と三木孝浩監督とのYouTube動画を見ると、映画を相当見ているのが分かります。ラブストーリーで好きなのが「ポンヌフの恋人」(1991年、レオス・カラックス監督)というのが玄人好みで良く、「知らないカノジョ」と「ノッティングヒルの恋人」(1999年、ロジャー・ミッチェル監督)、「アリー スター誕生」(2018年、ブラッドリー・クーパー監督)との類似性の指摘もなるほどと思いました。映画には「機会があればまた出たい」そうなので早めの第2作を期待したいです。
主題歌の「I still」には「愛してる」の意味も込めてるんだとか。
このMVのコメント欄に「映画で初めてmiletを知った」というコメントがいくつもあるのが意外でした。miletはそれぐらいの知名度でしたか。
▼観客17人(公開11日目の午後)2時間1分。
2025/03/09(日)「35年目のラブレター」ほか(3月第1週のレビュー)
WOWOWはオンデマンドも充実してきました。もしかしたら、衛星放送をやめて配信専業に移行するのも選択肢としてありじゃないでしょうかね。
「35年目のラブレター」
読み書きができず定年退職してから夜間中学に通って学んだ男性と妻を描く実話ベースのドラマ。脚本、演出とも百点満点の出来とは思いませんが、足りない部分を笑福亭鶴瓶、原田知世、重岡大毅、上白石萌音ら出演者の好演が大きく補っていて、泣かされること必定の展開でした。悲しくて泣かされるのではなく、主人公同様、相手を思いやる登場人物たちの気持ちの温かさが心にしみます。主人公の西畑保(重岡大毅→笑福亭鶴瓶)は貧しい家に生まれ、級友と先生に盗みの疑いをかけられたことから小学2年生で学校に行くのやめた。漢字はまったく読めず、自分の名前も書けないまま成長し、さまざまな職を転々とする。親切な寿司屋の主人に助けられ、寿司職人として働くようになる。35歳の頃、見合いで皎子(上白石萌音→原田知世)と結婚。読み書きができないことを伝えられなかったが、結婚して半年たった頃、自分の署名もできないことを打ち明ける。皎子は「今日から私があんたの手になるわ」と言い、保を支え続ける。
この俳優4人がまず良いのですが、「ちょっと待ってえな」と言いながら、面接の途中で逃げた保を追いかける寿司屋の主人の笹野高史、学校の入り口で保に声をかける夜間中学の教師・安田顕、「よっこい、しょういち」と笑いながら回覧板を渡す隣家のくわばたりえ、弟妹を助けるために大やけどを負った皎子の姉役の江口のりこらが見ていてほっとするような演技をしています。学校や職場でいじめに遭い、騙されそうになった経験もある主人公がこうした人たちに助けられるエピソードが実に良いです。世の中、人の欠点をあげつらい、攻撃し、優越感に浸るような最低の人間ばかりではないわけです。
パンフレットによると、企画の発端は塚本連平監督の妻がテレビで西畑さんを取り上げたドキュメント番組を見たこと。その番組は「ザ・世界仰天ニュース」(日テレ、2020年11月放送)のようです。西畑さんは住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)主催の「60歳のラブレター」で2003年に金賞を受賞していますが、新聞社の記者から取材を受けたのは夜間中学に通い、妻にラブレターを渡した頃で、それからテレビなどでも取り上げられ、仰天ニュースに繋がったようです。
塚本監督は西畑さんに取材を重ね、脚本化していきました。講談社から同名の本(小倉孝保著)が出ていますが、原作にクレジットされていないのは別々の取材の結果だからでしょう(タイアップはしているかもしれません)。
それにしても何歳になっても学ぼうと努力する人の姿勢は美しいです。見習いたくなります。
▼観客多数(公開2日目の午前)1時間59分。
「ウィキッド ふたりの魔女」

映画「オズの魔法使」で東の魔女は竜巻で飛んできたドロシー(ジュディ・ガーランド)の家の下敷きになって死亡。西の魔女はドロシーに水をかけられて溶けてしまいました。同じ緑色の肌であっても、「ウィキッド」のエルファバはその肌の色から父親に忌み嫌われ、入学したオズの大学の生徒たちからも差別を受けます。しかし、魔法の能力は際立っていて、大学のマダム・モリブル(ミシェル・ヨー)はエルファバをオズの魔法使いがいるエメラルドシティへ向かわせます。グリンダもそれに同行することになりますが、オズの魔法使いはある陰謀を秘めていました。
監督は「イン・ザ・ハイツ」(2020年)のジョン・M・チュウ。人間と対等に普通に暮らしていた動物たちが突然拘束されたり、肌の色によって差別されたりする描写はテーマとして分かりやすく、歌とダンスも申し分ないですが、物語の構成に目新しさはなく、訴求力には少し欠けるように思いました。シンシア・エリヴォとアリアナ・グランデは素晴らしいです。個人的には特に素直さと善良さを感じさせるグランデの歌と振る舞いに引かれました。魔女の力に目覚めたエルファバがどうなるのかにも興味がありますが、パート2ではグランデにもっと活躍させてほしいです。
IMDb7.5、メタスコア73点、ロッテントマト88%。
作品、主演女優、助演女優賞などアカデミー10部門にノミネートされ、美術賞と衣装デザイン賞を受賞しました。
▼観客多数(公開初日の午前)2時間41分。
「TATAMI」

映画は主人公を女性に変えています。イラン代表の女子柔道選手レイラ・ホセイニ(アリエンヌ・マンディ)とコーチのマルヤム・ガンバリ(ザーラ・アミール)はイラン初の金メダルを目指し、ジョージアの首都トビリシで開かれた女子世界柔道選手権に挑む。レイラは60キロ級のトーナメント戦に出場。順調に勝ち進むが、イラン政府から棄権を命じられる。このままレイラが勝ち進めば、決勝でイスラエルの選手と戦う可能性があるからだ。政府はレイラの両親を拘束して棄権を迫る。夫と子供は国境を目指して逃げた。イラン政府に従うか、戦い続けるか。レイラとマルヤムは決断を迫られる。
試合場面の迫力と追い詰められる2人のサスペンスが効果を上げています。映画の中ではイランがイスラエルを国として認めていないから試合することを認めないという説明ですが、パンフレットによると、試合に負けた場合、最高指導者の面目がつぶれるために避けているのだそうです。監督はガイ・ナッティブとザーラ・アミール。
IMDb7.5、ロッテントマト83%(アメリカでは映画祭での上映)。
▼観客3人(公開5日目の午後)1時間43分。
「小学校 それは小さな社会」
東京都世田谷区の小学校を長期取材したドキュメンタリー。短縮版の「Instruments of a Beating Heart」(23分)はアカデミー短編ドキュメンタリー賞にノミネートされましたが、受賞は逃しました。元の映画は1年以上にわたって取材し、1学期、2学期、3学期を経て新入生の入学式までが描かれています。その意味で、短縮版は全体のクライマックスに相当するものと言えるでしょう。短縮版は入学式で演奏する児童がメインでしたが、長編版は先生たちにもスポットが当てられて興味深かったです。短縮版の主人公と言える1年生のあやめちゃんはアカデミー賞授賞式のレッドカーペットで山崎エマ監督と一緒にNHKのインタビューに答えていました。NHKが共同製作なので、本編はそのうちNHKで放映されるんじゃないでしょうか。
IMDb7.2(アメリカでは映画祭での上映)。
▼観客11人(再公開6日目の午前)1時間39分。
「パピヨン」
胸に蝶の刺青があることからパピヨンと呼ばれた男の監獄島からの脱獄を描いた同名小説の映画化。1931年、無実の罪で終身労働を宣告され、南米の仏領ギアナの刑務所に送られたアンリ・シャリエールが何度も失敗した後に脱獄に成功する、という物語。1973年の作品なので劇場でリアルタイムでは見ていません。テレビでは数回見ていますし、WOWOWから録画したのも持ってますが、劇場で見ておきたかった作品でした。
パピヨンを演じるスティーブ・マックイーンと親友ドガ役のダスティン・ホフマンは良いですが、映画自体はそれほどの傑作ではないと思います。囚人たちの描写が「猿の惑星」(1968年)に似ていると思えるのは監督がフランクリン・J・シャフナーだからでしょう。脚本はダルトン・トランボとロレンツォ・センプル・ジュニア。
脱獄に成功し、椰子の実のイカダにつかまったパピヨンの最後のセリフはテレビでは「俺はくたばらねえぞ!」だったと記憶しています。映画の字幕は「俺は生きてるぜ!」だったかな。英語のセリフは「Hey You, Bastard! I'm Still Here!」でした。
パピヨンが収監されたのは南アメリカの悪魔島(ディアブル島)。ロマン・ポランスキー監督の「オフィサー・アンド・スパイ」(2019年)の主人公ドレフュス大尉が収監されたのもここでした。
IMDb8.0、メタスコア58点、ロッテントマト73%。
2017年のリメイク版(マイケル・ノアー監督)はIMDb7.2、メタスコア51点、ロッテントマト52%。
▼観客11人(公開7日目の午後)2時間31分。