2008/12/20(土)「恐怖の足跡 ビギニング」

「恐怖の足跡 ビギニング」 ミステリマガジンで「怪作中の怪作」と紹介されてあって、興味を持ったのでamazonで買った。発売元は低価格DVDを大量に出しているWHDジャパン。1955年の作品でナレーションはあるが、セリフは一切ない。サイレント映画を見ているような気分になる。

 55分の短編なのですぐに見終わる。なんというか、なんだこれ、という感じで始まって、それなりに意味が分かるとまあまあと思えてくるが、結局、別に見なくてもいいような作品と言うほかない。狂った女の一夜の精神世界を描いた映画で、デヴィッド・リンチのテイストを100倍ぐらい薄めた感じ。DVDに表示された原題は「Daughter of Horror」。IMDBには「Dementia」(痴呆)で登録されている。評価は6.7だが、294人しか投票していない。

 当時としては前衛的な作品だったのかもしれない。監督のジョン・パーカーはこれ1作しか監督していないとのこと。まあ怪作には違いないな。

2008/11/23(日)「言えない秘密」

 アイデアがあってもそれを作品にできる筆力がなければダメというのは小説の場合によく言われることだが、映画でもそれは同じこと。この作品にもそれがすっぽり当てはまる。SF的なアイデアを生かせていない。前半の青春ラブストーリーの部分が下手すぎるので、クライマックスに秘密が明らかになっても盛り上がらないのだ。これをSFとは言いたくない気分。ファンタジーなら許せるか。

 映画生活のレビューでは全員が星4つ以上で87点の高評価。それなら期待してしまうが、期待値を大きく下回る出来だった。Yahooのレビューを見ると、毀誉褒貶が激しく、こちらの方がバランス的には納得できた。

 淡江音楽学校に転校してきたシャンルン(ジェイ・チョウ)は、旧校舎の古いピアノで美しい旋律を奏でるシャオユー(グイ・ルンメイ)と出会う。2人は学校の帰り道に自転車で2人乗りをしながらお互いのことを語り合い、きずなを深めていく。しかしシャオユーは持病のぜんそくのせいで学校も休みがちになり……。というのが前半のストーリー。

 このだらだらした前半を見ながら、秘密の予想はつき、こういうことなのだろうと思ったら、それを否定するような描写がある。あれ、そうではなかったのかと思ったら、やっぱりそういう話だったという、ふざけるのもいいかげんにしろ的展開なのである。秘密を伏せるための都合の良い描写が目に付きすぎる。要するに物語を語る技術が足りないのだ。もう決定的に足りない。これがハリウッド映画ならば、同じアイデアであっても、もう少しましなものになっただろう。

 アイデアも目新しくはない。過去に何本も類似作品がある。しかもアイデア自体に破綻があって、なんでそういうことになるわけと思ってしまう。論理性を欠くのでSFと言いたくないのだ。となると、映画で評価できるのはヒロインのグイ・ルンメイだけということになるが、もう少し、魅力を引き出してほしいところ。次のルンメイ作品に期待したい。

 監督・主演のジェイ・チョウは台湾のカリスマ・ミュージシャンでこれが初監督作品。第44回金馬奨で最優秀台湾映画、主題歌、視覚効果賞を受賞したそうだ。台湾映画のレベルを示すというか、賞自体の本質を示す結果としか言いようがない。この程度の出来の映画に賞をやっては本人のためにもよくないだろう。

2008/11/17(月)「ハッピーフライト」

 「ハッピーフライト」パンフレット

 「クライマーズ・ハイ」は落ちた飛行機を巡る群像劇だったが、この映画は飛行機を落とさないために頑張る人たちを描く群像劇。といってもユーモアを散りばめて、笑って感動してそれこそハッピーな気分になれるエンタテインメントに仕上がっている。隅々まで取材が行き届いているなというのが第一印象で、矢口史靖監督、相当に調べたようだ。キネマ旬報によれば、監督は2年間で内外の航空関係者100人以上にインタビューしたという。飛行機がホノルルに向かって飛び立ち、計器に異常が発生し、引き返すまでの数時間の間に新米の副操縦士と客室乗務員(CA)、グランドスタッフ、整備士、管制官などなどさまざまな人間を登場させ、それぞれにドラマを形成している。こんなにいろんな現場にドラマが持ち込めたのは詳しい取材の成果だろう。

 憎まれ役で登場した寺島しのぶがクライマックスにきっちりした演技を見せる。その正々堂々とした正論によって客の不当な要求を収めさせ、場面をさらうところなど、とてもうまいと思う。ドラマの構成は見事と言ってよく、これだけ多くの人物を登場させながら、脚本には少しも混乱がない。ANAが全面協力しているので批判が少ないのは惜しいところだが、それでもCAの実態などカリカチュアライズした部分はあり、全面的な宣伝映画などにはなっていない。軽飛行機がぶつかったり、海に沈没したりなどハリウッドのエアポートシリーズのような大事件は起こらなくても航空映画は作れることを示した佳作。というより事故そのものではなく、人間ドラマが映画の成否のかぎを握っていることが分かっているからこそ、こういうスケールで十分なのだ。見て損はない。監督からの要求が凄かったというミッキー吉野の正攻法の音楽にも感心した。

 フライトシミュレーションで失敗する副操縦士(田辺誠一)を描く冒頭を見れば、これがクライマックスにつながることは容易に想像できる。国内線から初の国際線に勤務することになった新米CA(綾瀬はるか)と、グランドスタッフを辞めようと思っている田畑智子、コンピュータが操作できずに時代に乗り遅れているオペレーション・ディレクター(岸部一徳)、若手の整備士(森岡優)などなどをさらりと描いた後、飛行機は本筋のホノルルへと旅立つことになる。バードパトロールのベンガルがマスコミを装って近づいた鳥類保護団体から妨害されたために、飛行機にはカモメが衝突、重要な機器を傷めてしまう。折しも台風が関東に近づいており、飛行機は困難な中、成田へそして羽田へと引き返すことになる。

 誰が主人公というわけではない。それぞれに見せ場がある。矢口監督に言わせると、素の綾瀬はるかはスーパー・ナチュラルで、これは普通、超自然現象のことを指すが、「超天然」の意味で矢口監督は使っている。「僕の彼女はサイボーグ」に比べると、きれいなところが強調されていないのが難なのだけれど、前半のおかしさはいかにもスーパー・ナチュラルなのだった。クレイマーに泣かされる同じくCAの吹石一恵や偶然の出会いが待っている田畑智子やその他映画に登場する端役に至るまで矢口監督は気を配っていて、細部の描き方の綿密さがこの映画を成功に導いたのだなと思う。「ウォーターボーイズ」よりも「スウィングガールズ」よりもよくまとまった映画なのである。

2008/11/09(日)「Xファイル:真実を求めて」

 公開2日目の日曜日にしては寂しい客の入り。それを象徴するように内容も何のために作ったのか分からない出来栄えだった。テレビシリーズが始まったのは1993年。2002年まで続いたそうだが、僕は第一シーズンのみ見ていた。1998年には映画も製作されたが、見ていない。今回は映画の前作から10年ぶり、シリーズ終了から6年ぶりの作品ということになる。

 しかし、誰もこういう形での再登場は望んでいなかったのではないか。一番の不満は事件にSF味が極めて薄いこと。描かれるのは女性の連続失踪事件で、事件が終わった後に100年以上前のクラシックSFを引用した形容がなされるけれども、表面は単なる猟奇的な事件に過ぎない。

 FBIに協力するサイキックは1人登場するが、それだけ。とても映画のスケールではなく、テレビで十分な内容なのだ。監督のクリス・カーターはテレビシリーズで製作・脚本・監督を務めた。かつてのテレビシリーズのファンのために作ったのかもしれないが、ファンもこの内容では満足しないだろう。カーター、自分のためだけに作ったのではないか。

 少し老けたジリアン・アンダーソンはジュリアン・ムーアに似ている。デヴィッド・ドゥカブニーのセックス依存症は治ったんだろうか、なんてことを考えながら見ていた。この2人も結局、映画の世界ではスターにはならなかったので、B級キャストによるB級映画の域を出ていない。もうアイデアが決定的に足りない映画なのである。

2008/11/02(日)「闇の子供たち」

 原作を読んでると、映画を見ながら物語を反芻する感じにしかならないが、阪本順治流のアレンジが何カ所かあった。エイズにかかった少女を音羽恵子(宮崎あおい)がゴミ運搬車から助ける場面と主人公を新聞記者の南部(江口洋介)に変えて、ラストにその過去をフラッシュバックさせる場面。どちらも阪本順治のエンタテインメント気質が表れた場面で、原作にはない。このラストはサイコな映画によくあるもので、それはないだろうと思ったが、トークショーでの監督の話によれば、物語を遠い国で起こったことと思って欲しくなかったための措置だとか。それにしても、これがあることで社会派作品から一瞬、サイコドラマに変わってしまった印象がある。

 阪本順治の映画としては「KT」の系譜に属する作品だが、題材の重たさに比べて出来の方は水準作にとどまった。重たいといっても原作よりはるかに軽いのはペドファイルたちの子供に対する性行為が具体的に描かれないからだ。これは仕方がない。粘膜が割け、肉がきしむような過激な描写が映画でできるわけがない。その代わりに映画は白ブタのような白人男性やオタクのような日本人を出すことで、醜悪さと嫌悪感を表現している。

 映画を撮るに当たって、監督は現地で児童買春と臓器移植について取材したそうだ。原作に書かれたことは10年から15年前のもので、今は子供に足かせをはめて暗い地下室に閉じ込めるようなことはやっていないという。だから映画には取材で分かったことも取り入れられている。それならば、取材を元に映画を構成しても良かったような気がする。なぜドキュメンタリーを撮らなかったのかという点について、監督は「自分はフィクションしか撮ったことはないし、ノンフィクションであっても監督の主観は入る。ドキュメンタリーだったら、少女が這いながら自宅に帰る場面は撮れない」と説明した。それと宮崎あおいや妻夫木聡のファンが映画を見に来て、この問題について知るという効果も確かにあるだろう。

 ただし、原作を読んで映画を見ても僕は臓器移植については懐疑的だ。大きな災害の後に子供がいなくなることが多いそうで、そうやって連れ去られた子供たちは売春と移植組に分けられる、と監督は言ったけれども、そこを具体的に映画の中で明らかにしてくれないと、信用できないのである。こういう部分はノンフィクションじゃないと説得力がない。まあ、原作にも臓器移植の具体的な描写はないので、これは現地の警察の捜査を待たないと、無理なのだろう。

 原作には出てこない心臓移植を受ける少年の父親役を佐藤浩市がさらりと好演。ゴミ運搬車から少女を助ける場面で宮崎あおいが殴られて倒れても反撃に転じる場面はいかにも阪本順治のタッチになっていた。