2009/09/26(土)「インスタント沼」

 脱力系の緩いギャグを詰め込んだコメディ。食後の眠気を完全に吹き飛ばすほどではなかったが、変わったキャラクターが多数登場し、”ウルトラスーパーミラクルアルティメイテッド”な展開に笑った。

 インスタント沼とは主人公の沈丁花ハナメ(麻生久美子)が父親から贈られた(100万円で買った)土蔵の中に詰まっていた土に水をかけて作った沼のこと。ハナメは10杯のミロに10CCの牛乳をかけてドロドロの状態にして飲むのが好きで(ハナメはこれをシオシオミロと呼ぶ)、土蔵の土がかつての沼の土を集めたものであり、水をかければ沼が出来上がるインスタントな沼の成分であることを察知する。クライマックス、このインスタント沼からドドドドドーっとあれが登場するシーンはなんとなく「千と千尋の神隠し」を想起させた。非日常のファンタジックな描写を含みつつ、底なし沼のようにジリ貧のOLが元気になっていく姿を描いてまず楽しめた。いや頭の隅にはもっと楽しませてくれてもいいんじゃない、という思いは残るのだけれど、三木聡監督の映画には他の誰にもないユニークな個性があり、そのユニークさが面白かった。

 ハナメは雑誌の編集長だったが、返品の山を築いて雑誌は休刊。ハナメは会社をやめ、荷物を整理していたところで古い手紙を発見する。それは母親(松坂慶子)が若い頃、ハナメの本当の父親に宛てた手紙だった。その母親は河童を探しに行った池で溺れ、意識不明となる。手紙の宛名は沈丁花ノブロウ。住所を探し当てノブロウを訪ねると、父親は風変わりな骨董店「電球商会」を営み、電球のおっさんと呼ばれていた。風間杜夫がこの父親を演じてほとんど怪演と言って良い演技を見せる。電球の店によく来るパンクロッカーのガス(加瀬亮)と仲良くなり、父親にも影響されて貯金の100万円をはたいて骨董店を始める。店はなかなかうまくいかない。父親はハナメに「うまくいかない時は水道の蛇口をひねれ」とアドバイスする。

 なぜ水道の蛇口をひねるのかというと、水がたまる間にジュースを買いに行ったり、食事に行くのである。帰って水があふれていなかったら成功。ほとんど意味がないとも思える行為に熱中することで、なんとなくハナメは元気になっていく。三木聡が狙っているのは爆笑ではなく、微妙なおかしさだろう。この微妙なユーモア、ずれたおかしさが映画にはあふれている。くだらないと言ってしまえば、それまでのことだけれども、このユーモア、愛すべきものがある。緩い展開に緩いギャグ。日常から離れるにはそうしたものが必要なのだろう。

 麻生久美子が今年出た映画は小さな役まで含めると5本らしい。「おと・な・り」「ウルトラミラクルラブストーリー」とこの映画の3本を見た限りでは、この映画の役が一番溌剌としていて良かった。鴨居に何度も頭をぶつけるリサイクルショップの松重豊とか、会社の部長の笹野高史、同僚のふせえりなどが微妙におかしい世界の構築に貢献している。

2009/09/22(火)「男と女の不都合な真実」

 下ネタ満載のラブコメ。テレビ局の有能な女性プロデューサーと本音のトークで人気の下品でHな恋愛カウンセラーのおかしなラブストーリーを描く。four letter wordsがポンポン飛び出し、これはセリフによるR15+指定なのだろうが、そうした過激さが痛快にはなり得ていないのが惜しい。バイブレーター付きの下着を身につけたために、レストランで起こる騒動など何やってるんだと思う。

 話の進め方、エピソードの組み立て方が洗練されていないし、ロマンティックなものが欠けている。何より主演のキャサリン・ハイグルにいまひとつ魅力がない。こういう役柄なら、メグ・ライアンやゴールディ・ホーン、リース・ウィザースプーンのようなキュートでコケティッシュなものが欲しい。相手役のジェラルド・バトラーの懐の広さに比べると、随分見劣りがして、バトラーの良さのみが目立った。監督は「キューティ・ブロンド」のロバート・ルケティック。

 アビー(キャサリン・ハイグル)はサクラメントにある地方テレビ局のプロデューサーで朝のニュース番組を担当している。有能だが、私生活では理想が高すぎて男性に縁がない。番組の視聴率も2%台に下降してしまう。上司は視聴率を上げるため、人気上昇中のマイク(ジェラルド・バトラー)をコメンテーターとして起用する。マイクの「Ugly Truth」というコーナーは既成の恋愛観を打ち砕く本音のトークで反響を巻き起こし、視聴率が上がるが、理想の男性とは正反対の粗野なマイクにアビーは反発を繰り返す。そんな時、アビーの家の隣にハンサムな医師コリン(エリック・ウィンター)が引っ越してくる。コリンこそ理想のタイプと舞い上がったアビーはマイクのアドバイスを受けて、男が求める理想の女性を装い、コリンと親しくなっていく。それを見て、マイクは複雑な心境になってくる。

 下品な外見の下にナイーブなものを秘めたマイクをジェラルド・バトラーはうまく演じている。前半に比べて後半が面白いのはそうしたマイクのキャラクターに深みが顔をのぞかせるからだが、映画自体には深みは生まれない。脚本家デビューのニコール・イーストマンの原案・脚本に「キューティ・ブロンド」の女性脚本家カレン・マックラー・ラッツとキルステン・スミスのコンビが共同脚本としてクレジットされている。高ビーな女の子が奮起してハーバード・ロー・スクールに入る「キューティ・ブロンド」は軽くて面白かったが、今回はやや不発気味。

 こういう簡単なプロットの場合、エピソードにどんなものを持ってくるかで映画の出来が決まる。コリンと出会ったアビーがうれしくて飛び跳ねるシーンはリチャード・カーティス「ラブ・アクチュアリー」に同じようなシーンがあったが、「ラブ・アクチュアリー」のような粋な映画とはかけ離れた出来に終わっている。

2009/09/11(金)「ちゃんと伝える」

 「史郎君、君が癌だ」。主人公の北史郎(AKIRA)は癌の父親(奥田瑛二)が入院した病院の医師からそう告知される。父親より重く、父親より先に死ぬかもしれない。予告編でも流れたこの場面からどう展開するかという部分に興味があった。

 タイトルの「ちゃんと伝える」が出てくるまでに20分以上あるこの映画、タイトル前の部分で既に主人公は自分が癌であることを知っていることが後で分かる。園子音監督は時間を前後させて、物語を語っていく。しかし、どうも今ひとつ、主人公の切実さがちゃんと伝わってこないきらいがある。父親と息子の話の深め方が足りないと思う。描写の仕方に破綻はないが、印象としては平板なものがつきまとい、フツーの映画というややネガティブな結論になってしまう。

 主人公は父親が元気になったら2人で釣りに行くことを約束する。それは結局、かなえられない。そこで主人公が行う奇異な行動は父親との約束を果たすためではなく、恐らく自分のため、父親との思い出を何か形にして残しておきたかったためだろう。サッカー部のコーチで厳しかった父親と主人公はこれまで必ずしも仲の良い親子とは言えなかった。それを取り戻すかのように主人公は入院した父親のもとに毎日通うようになる。一緒に釣りに行くことは父親の希望であると同時に主人公の強い希望でもある。自分が癌にかかったことが分かった後ではなおさらだ。

 というようなことは分かるのだけれど、やや説得力を欠く。恋人(伊藤歩)とのエピソードを抑え、父と息子に限った方が話の深みは出たのではないかと思う。出演者たちは悪くない。脚本の段階で、さらに一工夫欲しいところだった。

2009/07/08(水)「ウルトラミラクルラブストーリー」

 キネ旬で「“天才監督候補”横浜聡子」という特集が組まれたのでそれなりに期待した。確かに終盤に登場する人を食ったような描写と展開には唖然呆然だった。が、それだけのことでもあった。なぜ主人公がああなるのかの説明が欲しい。その後のストーリーの発展も欲しい。単なるウルトラミラクルでは納得できない。思いつきだけで終わっているとしか思えないのだ。山口雅也「生ける屍の死」ぐらいの説明は欲しいところなのである。

 この程度の映画を持ち上げるのは本人のために良くない。と思ったら、映画生活では低い評価が並んでいる。平均評価は59点。いや、そんなに低いとも思わないんですけどね。

 脚本にもう少し説得力を持たせられるようになれば、真にユニークな存在になると思う。まあ、だからあくまでも今の段階では“候補”なのだろう。

2009/07/08(水)「ディア・ドクター」

 小説版のアナザー・ストーリー「きのうの神さま」を読んでいたので、これは僻地医療に関する映画だろうという先入観があった。その観点から見れば、困ったことに主人公の設定がマイナスにしか作用しない。西川美和は「赤ひげ」風になるのを避けてこういう設定にしたのだろうが、これでは医療の問題は深く言及しようがないのだ。なぜこんな設定にしたのか。キネ旬7月下旬号の桂千穂の批評を読んで、その疑問は氷解した。

 西川美和は前作「ゆれる」で高く評価された。「すると、誰もが映画監督としての技術や識見の持ち主と信じて疑わなくなった」そうだ。それに対する疑問の提示がこの映画なのだ。「私自身がそうであるように、何かに“なりすまして”生きている感覚は誰しもあるだろう。それで世の中が辛うじて成り立っている部分もあるはずだ。贋物という言葉が孕むそんな曖昧さを物語として面白く見せられないかなというのが企画の出発点になった」。そう言われれば、よく分かる。しかし、それならば、僻地医療を舞台にする意味があるのか。せっかく僻地医療の現状を取材したのにそういう話にしてしまっては意味が薄いように思う。

 西川美和に社会派を期待する方が間違いなのかもしれない。その問題は小説に結実させたのだから、映画はこれで良いのかもしれない。気胸患者を治療する場面の緊迫感をはじめ映画の描写には文句の付けようがないし、笑福亭鶴瓶、余貴美子らの演技にも納得させられた。井川遥も良かった。しかし、やっぱり、せっかく取材したのにもったいないという思いが残る。主人公の若い頃を描いてまったく隙がない小説版「ディア・ドクター」の域には到底達していないのは残念。本物偽物の話なら小説版の描写を取り入れた方が奥行きは出たと思う。看護師役の余貴美子にしても小説版の背景が描かれていれば、なぜ離婚したのか、なぜあんなに有能なのかの説得力も増しただろう。