2013/10/14(月)XOOPSの自動登録bot対策

 XOOPSで最近、新規登録がたびたびある。見てみると、どう考えても検索ロボット(bot)の自動登録。アクセスログを調べて不要なbotは.htaccessでアクセス拒否するようにしたが、Googleのbotも自動登録するようだ。これはアクセス拒否するわけにはいかない。うちのサイトの場合、登録しても管理者の許可がなければ、書き込みはできないし、ログインしても変わったコンテンツがあるわけでもないのだが、登録お知らせメールはいちいち来るのでうっとうしい。アカウント削除の手間もかかる。
 なんとか登録できないようにする手立てはないかと調べたら、PEAK XOOPS - 自動ユーザ登録ボット対策に書いてあった。Protectorのプラグインを有効にすれば良いらしい。JavaScriptで登録フォームを生成するプラグインで、botにはJavaScriptが理解できないので登録はできなくなるというわけ。この日記(tDiary)のコメントフォームもその方式になっている。
 Protectorのような有用なモジュールやプラグインはGIJOEさんの手によるものが多い。GIJOEさんがXOOPSのハックから手を引いたのは痛いなとつくづく思う。

2013/10/07(月)「薬をやめれば病気は治る」

 薬は化学物質なので体にとっては毒、というのが著者の基本的スタンス。少し極端にも思えるが、素人考えでも高血圧や糖尿病など常用しなければならない薬が体に良いとは思えない。

 著者が飲まない方がいい薬として挙げているのは高血圧、コレステロール、糖尿病、睡眠薬・精神安定剤、胃薬、鎮痛剤、抗生物質、骨粗鬆症、風邪薬、逆流性食道炎などの薬。すべての薬を否定しているわけではなく、短期的に効果的に服用する方法を推奨している。驚くのは牛乳も毎日飲まない方がいいとしていることで、牛乳に含まれるカゼインが「最も強力な化学的発がん物質だ」とするコリン・キャンベル博士の説を紹介している。

 西洋薬が症状を緩和する対症療法であるのに対して漢方薬は体全体の調子を整えることを目指す。対症療法では根本的原因を取り除くことはできないのでこれは理にかなった方法だ。著者が進めるのは薬食同源の考え方で、これはもっともだと思う。サラッと読める本なので何らかの薬を毎日飲んでいる人は読んで見た方がいい。

2013/10/01(火)「共震」

 東日本大震災の傷がまだ癒えない被災地の現状を伝えるミステリー。著者の相場英雄が書きたかったのは被災地の現状の方で、ミステリーではない。本来ならノンフィクションとして書いた方が良かった題材だろう。なぜノンフィクションにしなかったのか。著者はビジネスジャーナルのインタビューでその理由について「ノンフィクションの本は本当に売れないです。どんなに大事なメッセージを込めても、ノンフィクションというだけで、世間はそれほど注目してくれない」と話している。

 より多くの人に被災地の現状を伝えるには読者の多い小説にした方が良いという理由は一面でうなずけるが、読んでいて、やはりこれはノンフィクションで読みたかったと思わずにはいられない。作品の説得力が弱いのだ。どこまでが被災地の現状か、読者には分からない。それが著しく説得力を欠いている。

 被災地の復興に力を尽くした県職員が殺されるというミステリー部分には特に評価すべき点がない。しかもこれが終盤、物語の中心に居座ってくると、どうも居心地が悪くなってくる。300ページ余りで被災地の現状が伝えられたとも思えない。微に入り細にわたった描写でこの倍ぐらいの分量で書いた方が良かったと思う。すぐに読めるページ数で収めたのは、ページ数が多くなると、本の価格が高くなり、より多くの人に手にとってもらえなくなるからだろうか。著者の真意はそんなところにはないだろうし、被災地に何度も足を運んだことには頭が下がるが、この本の完成度では被災地を舞台にしたお手軽な本と受け取られかねない。小説の長さはその質とは関係ないが、長さが必要な小説もあるのだ。

2013/09/23(月)「許されざる者」

 便所に入っている小澤征悦を柳楽優弥が襲う。拳銃で仕留められず、もみ合いになる、腰に差していた短刀を振りかざし、突き刺そうと力を込める柳楽、それを精いっぱい押しとどめる小澤。短刀は少しずつ少しずつ小澤の胸に突き刺さっていき、小澤はついに絶命する。人を殺すということの重さと残酷さを痛烈に感じさせる場面だ。これはクライマックスの渡辺謙の殴り込みの場面でも繰り返される。爽快さとは無縁の暴力、殺戮。アクション映画でよくある場面を詳細にリアルに描けばこういうことになる。命は重いのだ。

 クリント・イーストウッドの名作をリメイクしたこの映画、命の重たさを描いてイーストウッド版より深化している。深化したのはそれだけではない。女郎とアイヌという虐げられた者たちへの視点はより明確になっている。しかも不当な力で抑圧された者たちの無念の思いに共感をこめる一方で、顔を切り刻まれた女郎とその仲間が賞金首をかけるという行為や、切り刻んだ開拓民に善悪の二元論を単純に適用しているわけではない。人間は複雑だ。鷲路村を守る警察署長の佐藤浩市の強権的な行為は正当化されるのか、戦友の柄本明を佐藤浩市になぶり殺しにされた渡辺謙の行為は正当化されるのか。映画はどちらも肯定しない。

 この映画のキャラクターの描き方は優れた小説がそうであるようにとても奥が深い。人間を書き割りのように分かりやすく単純化した映画が多い中、複雑な実相を浮かび上がらせている。もちろん、イーストウッド版にもこうした部分はあったのだけれど、李相日監督はそれを突き詰め、重厚なドラマを作り上げた。見事な翻案、素晴らしいリメイクだと思う。ただ単に西部を北海道に移し替えただけではない。イーストウッドが提示したテーマを考え抜いて深化させ、彫りの深い映画に仕上げているのだ。傑作だ。

2013/09/22(日)「アルゴ」

 なるほど、これはアカデミーが作品賞をあげたくなるのがよーく分かる。ハリウッドの映画人がすごく魅力的に見えるのだ。イランの米国大使館にイラン国民が殺到する緊張感あふれる場面から一転、メイクアップアーティストのジョン・チェンバース役ジョン・グッドマンが登場すると、画面の雰囲気ががらりと変わる。フェイク臭が立ちこめて、これはコメディかと思えてくる。プロデューサー役のアラン・アーキンとグッドマン、実に儲け役だ。映画が成功したのはこの2人の起用も大きい。ラストにはジャック・ニコルソンまでカメオ出演していて、映画人ならびに映画ファンなら喜ばないわけがない。

 サスペンス映画としては普通の出来だと思うが、このハリウッドパートの描写が好ましく、作品に緩急のアクセントが生まれた。これを緩急自在の演出と言ってよいかどうかは分からないが、ベン・アフレック監督、隙のない作品に仕上げている。次作に予定されているデニス・ルヘインの大傑作「夜に生きる」もこの調子で演出してくれれば、十分に期待できるのではないかと思う。