2002/05/25(土)「少林サッカー」

 香港で大ヒットした周星馳(チャウ・シンチー)主演のサッカー・コメディ。今や日本では周星馳よりも馳星周の方が有名だろうが、馳星周が周星馳の名前をひっくり返してペンネームにしたのは有名な話。パンフレットにも「周星馳の作品は全部見ている。サッカーも大好きだ。その上で断言する。『少林サッカー』は21世紀最初の大傑作だ」とのコメントを寄せている。

 パンフレットに寄せられたコメントの中で最も納得したのは、みうらじゅんの「『燃えよドラゴン』以来の感動である。『アストロ球団』以来の突拍子のなさである。正しいCGの使い方に脱帽である」との言葉。これは正しく「アストロ球団」でしょう。いや、「アストロ球団」だけでなく、「あしたのジョー」や「シコふんじゃった。」も入ってる。スポーツ映画の定石を踏まえ、軽快さに徹した作りが極めて気持ちのよい映画である。

 少林寺の達人で少林寺を広めることに情熱を持っているが、社会的には落ちこぼれのシン(チャウ・シンチー)と、20年前、八百長をしたことでスター選手の座を追われたファン(ン・マンタ)が出会う。シンの鋼鉄の足に目を付けたファンはサッカーチームを作り、全国大会に出場しようとする。シンはかつて少林寺拳法をともに学んだ兄弟子、弟弟子たち5人を訪ね歩くが、いずれもかつての技術は残っていない。優勝すれば100万ドルという言葉に釣られて集まったメンバーは、最初の練習試合でボロボロにされるが、ふとしたことでかつての力を取り戻す。全国大会に出場したシンたちのチームは連戦連勝。ついに決勝へと勝ち進む。決勝の相手は20年前、ファンに八百長を持ちかけ、足を折らせたハン(パトリック・ツェー)のチーム魔鬼隊。筋肉増強剤と過酷なトレーニングで人間とは思えない力を持ったチームにシンたちは一人また一人と倒されていく。

 香港では大ヒットしたため、途中からシーンを追加したロングバージョンが公開された。日本公開版もこのロングバージョンで、チームをつくるまでがやや間延びしているのはそのためだろう。それが小さな傷にしか思えないのは、例えば、シンの靴と太極拳の達人のムイ(ヴィッキー・チャオ)を巡るエピソードや、ハンに虐げられるファンの浪花節的エピソードなどが抜群の大衆性を兼ね備えているためだ。これがこの映画の強みだろう。

 「アストロ球団」を思わせるのは、計489カ所に使われたというCGで、登場人物たちの目はメラメラと燃え、蹴ったサッカーボールは炎を上げ、風圧で芝生を抉り、壁をぶち抜く。落ちこぼれが試合に勝っていく快感と描写のエスカレーションがうまく相乗効果を挙げている。

 ゲラゲラ笑わせてハッピーな気分にさせてくれるエンタテインメント。チャウ・シンチーの人柄の良さが画面ににじみ出ているのも良い。

2002/05/19(日)「パニック・ルーム」

 大金持ちが残したニューヨーク中心部の邸宅に引っ越したその日に、3人組の男が隠された遺産を狙って侵入してくる。母と娘が避難用の部屋(パニック・ルーム)に逃れ、男たちを撃退しようとするサスペンス。4階建てのこの家の階下から屋根までを自在に動き回るカメラはヒッチコックを大いに引用している。

 ヒッチコックのカメラは格子をすり抜けるぐらいだったが、デヴィッド・フィンチャーのこのカメラ、コーヒーメーカーの取っ手の間や鍵穴までもワンカット(のような効果)で通り抜けてしまう。3人組が押し入る際の長回しと合わせて、凝ったカメラワークが多い。ハワード・ショアのストリングを強調した音楽もヒッチコック映画のバーナード・ハーマンを思い出させる。

 ただ、結末がどうなるかは分かった話なので、中盤からどうも物足りなくなる。ジョディ・フォスターが閉所恐怖症であるという設定はあまり生かされないし、娘の糖尿病という設定もその場限りのものに終わっている。そもそもが発展しにくい話なのである。

 デヴィッド・コープの脚本は犯人側の仲間割れを挟み、力関係が揺れ動くのが面白い。フォレスト・ウィテカーの役柄なども陰影に富むものにしようとした形跡がうかがえる。だが、まだアイデアが足りないと思う。

 ジョディ・フォスターは基本的に知性派なので、暴力に対抗する場面にはちょっとリアリティがない(フォスターの胸が大きく見えるのは撮影中に子どもが生まれたためか?)。ひ弱な人物が過激な暴力を振るう描写に関して、フィンチャーはサム・ペキンパー「わらの犬」あたりを見習った方がいいだろう。

2002/04/21(日)「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」

 しんのすけ一家が戦国時代(天正2年=1574年)にタイムスリップする。そこには前夜、なぜか夢で見た美しい女そっくりの廉姫(れんひめ)がいた。春日城に住む廉姫は幼なじみで家臣の又兵衛に恋心を抱いており、又兵衛の方も同じ思いでいるが、身分差の厳格な時代、姫と家臣ではお互いに本心を打ち明けようがない。家の裏庭の穴からタイムスリップしたしんのすけは又兵衛の家に世話になり、いつものように騒動を巻き起こしていく。廉姫は大蔵井家に政略結婚させられるはずだったが、しんのすけから未来の話を聞いた殿様が心変わりし、政略結婚を断る。大蔵井は激怒し、いい口実とばかりに大軍を率いて、春日城に攻めてくる。

 この合戦シーンはもちろん子ども向けであるから残虐シーンはないが、合戦の在り方がリアルに描かれており、一つの見どころになっている。

 原恵一監督は「今回あえて野原一家を中心に物語を展開させないで、時代劇の面白さを追求しようと決めて、時代劇でしかできない、現代劇でやったら照れちゃうような真っ直ぐな気持ちとか、潔さ、覚悟みたいなものを登場人物たちに入れ込んだんです」と語っている。又兵衛や廉姫は確かに良いキャラクターだし、2人の許されない恋の描写も悪くはないが、それならば、「クレヨンしんちゃん」の枠組みでやる必要はなかったのではないか、という根本的問題とぶつかってしまう。「オトナ帝国の逆襲」ほどの出来にならなかったのは、一家がメインの話ではないからと思う。

 ラスト近くのエピソードは下手をすると、「ペイ・フォワード」のように観客を泣かせるためだけの、あざといシーンになるはずだったが、しんのすけのタイムスリップの意味と絡めて説明されるので、まあ許容範囲だろう。SF的設定で欲しいのは、タイムスリップの理屈で、裏庭で掘った穴からできたというだけではちょっと物足りない。何かもう一つ超自然的な設定(簡単なものでいい)が欲しかった。

 「オトナ帝国」によって、大人も今回の作品には期待していた。原監督はそれに応えようとして、本格的な時代劇と悲恋を絡めたのかもしれない。今回も水準は高いが、こういう話になってくると、作画の雰囲気とあまり合わなくなってしまう。ストーリーはまるでベルバラ調ですからね。来年は家族中心の話に返って、捲土重来を果たして欲しいと思う。

2002/04/20(土)「光の旅人」

 地球から1000光年離れたK-PAX星から来た異星人だと名乗る男を巡るファンタジー。家族の絆という寓意がはっきりしすぎているのが少し興ざめで、物語はさしたる意外性もなく進行していく。イアン・ソフトリーの演出は丁寧だし、決して悪い映画ではないのだが、もうひとつぐらいアイデアを絡めると良かったかもしれない。新鮮みがあまりないのである。

 精神病院を舞台にした映画というと、「まぼろしの市街戦」(1967年、フィリップ・ド・ブロカ)や「カッコーの巣の上で」(1975年、ミロシュ・フォアマン)などを思い出すが、この映画にもそれらと同じような味わいがある。精神科医のマーク・パウエル(ジェフ・ブリッジス)のもとに1人の患者が転送されてくる。その患者、プロート(ケヴィン・スペイシー)は駅に忽然と現れ、警察に保護された。自分は宇宙人だと名乗り、妄想患者かと思われたが、プロートは理路整然と話し、故郷の星についても正確な知識がある。マークの義弟で天文学者のスティーブ(ブライアン・ハウイ)が用意した質問表に正確に答えたばかりでなく、K-PAX星は実在しており、まだその存在は学会でも発表されていなかったことが分かる。精神病院の患者たちはプロートを本物のK-PAX星人と思うようになる。マークは催眠療法でプロートの過去を探り、ついにその正体を突き止めたと思ったが…。

 原作は科学者でもあるジーン・ブルーワーの処女作という。脚本は「マイ・フレンド・メモリー」のチャールズ・リーヴィット。ほぼ忠実な脚本化らしいが、マークの前の妻との間に生まれた息子との関係や今の家族の関係が物語に絡んでくるところなど、もう少し描写を割くべきだったのではないか。

 ケヴィン・スペイシーは相変わらずセリフ回しの微妙な変化に感心させられる。この人のうまさというのは主に口跡の良いセリフにあると思う。精神科医役のジェフ・ブリッジスも好演しており、この2人の演技が映画を支えている。エンディング・テーマの「Safe and Sound」(シェリル・クロウ)も良かった。なお、エンディングの後にもう一つシーンがあるので、クレジットが流れ始めたからといって、席を立たない方がいい。

2002/04/07(日)「モンスターズ・インク」

 面白くないわけではないのだが、このアイデアなら1時間程度、せいぜい70分が限度ではないか。展開が読めるし、中盤がダレる。アカデミーの長編アニメーション賞で「シュレック」に負けたのも納得。同じピクサーのCGアニメでも、「トイ・ストーリー」シリーズの監督ジョン・ラセターと、この映画のピーター・ドクター、デヴィッド・シルバーマンでは演出の力に大きな差がある。これは同じスタジオ・ジブリの作品であっても、宮崎駿とそのほかの監督作品では出来が違うのと同じことです。

 それにしてもこの作品、明らかにドラえもんの「どこでもドア」のアイデアを頂いてますね。ピクサーのスタッフは日本のアニメもよく見ているのだろう。

 ちなみに本編が始まる前に上映された短編「フォー・ザ・バーズ」はアカデミーの短編アニメーションを受賞した。鳥たちのちょっとしたスケッチだが、ギャグが冴えていました。