2000/12/07(木)「遠い空の向こうに」

 NASAの技術者が書いた原作「ロケットボーイズ」をSF映画のみ発表し続けているジョー・ジョンストンが監督した。実にウエルメイドな作りで、ラストのどこまでもどこまでも空高く上っていくロケットを見て、胸が強く揺さぶられた。原作よりも話は単純化してあるようだが、父と子の相克、決して夢を捨てない主人公の生き方、古い時代(炭坑)と新しい時代(ロケット)を対比させた構成が素晴らしい青春映画と言える。主人公が選んだのはロケットだったが、子どもが父親とは別の道を選び、自分の夢を実現していく話として普遍性がある。

 主人公を理解し、支援する女性教師役で久しぶりのローラ・ダーン、主人公の父親は「アメリカン・ビューティー」の隣人クリス・クーパーが演じている。

 ジョンストンは「スター・ウォーズ」「ハワード・ザ・ダック」などのスタッフを経て「ミクロキッズ」で監督デビュー。その後「ロケッティア」「ジュマンジ」ときて、「遠い空の向こうに」は劇場映画では監督4作目に当たる(来年、「ジュラシック・パーク3」の公開が控えている)。だから主人公が映画の中で「縮みゆく人間」(「ミクロキッズ」の元ネタ)を見るのも当然なのだった。紛れもないSF人間なのですね。

2000/12/06(水)「タイタス」

 シェイクスピアの初期の残酷な戯曲を映画化したもの。IMDbでチェックしたら、一般観客の評価は10点満点の7.8点。いい評価だったのである。

 監督は舞台の方の「ライオン・キング」で評判を集めたジュリー・テイモア。予告編は気味の悪い場面が強調されていたので不安だったが、本編を通してみると、そうでもなかった。といっても両腕を切断し、枯れ枝を代わりに刺し、舌を切り取られた女の姿はやはり悲惨。だいたい、ヤクザ映画の指を詰めるシーンでさえ、拒否反応を起こすくらいなのでこういうシーンは嫌いである。

 快、不快で言えば、不快なシーンの多い映画だ。映像的にはローマ時代の話なのにナチスの扮装をした軍人が出てきたり、ゲームセンターがあったり、ネクタイを締めている人物が出てきたり、自動車やバイクが出てきたりする。もちろん、ジュリー・テイモアは承知の上で演劇的な手法を採っているのだが、効果的かどうかは別にして映画のリアリズムからは遠い手法と言わねばならない。

 復讐に次ぐ復讐が血で血を洗う闘争として2時間42分にわたって描かれ、見応えはあるものの、ややうんざり。そんなに時間をかけてその程度のことしか描けないのか、という気もする。フェリーニやヴィスコンティ的映像もあるが、主人公のタイタス(アンソニー・ホプキンス)が基本的にバカなのであまり共感を持てない(皇帝候補の兄弟のうち、どう見てもアホな兄の方を皇帝にすることからしてバカである。その後の不幸は自業自得だ)。

 それにしてもこのねちっこい映像は西洋的な感覚だろう。それとも女性独特のものか。「ボーイズ・ドント・クライ」のキンバリー・ピアースも映像的にはどぎつかった。僕はもっと淡泊な映画がいい。

2000/12/05(火)「顔」

 ラストがいかにも阪本順治らしい。引きこもり状態からアクティブになった主人公の行動としてはあれしかあるまい。仲の悪い妹を発作的に殺してしまったことで、主人公の中村正子(藤山直美)はクリーニング店の2階でミシンを踏む日常から逃げ出さざるを得なくなる。その過程で正子は35歳にして初めて外の世界を本当に体験することになる。駅で降り立った時の外の世界のまばゆさはそれを象徴している。そして母親の庇護のもとでおどおどと暮らしていた正子はしだいにしたたかになっていく。

 という風にストーリーを語っても阪本順治の映画の魅力は伝わらないだろう。阪本映画の良さはその表現の仕方にある。キャラクターが立っており、端役に至るまで実に人間味にあふれている。母親役の渡辺美佐子、酔っぱらいおやじの中村勘九郎、別府のスナックのママ大楠道代など実にいい味なのである。細部の描写のうまさがこれに加わるので、映画がとても豊かになる。

 これぐらいの描写を邦画の水準にしたいところ。まず人間を描くことが重要なのは映画でも小説でも同じなのだろう。

2000/11/22(水)「グリーン・デスティニー」

 小野不由美の「十二国記」シリーズはチャン・ツィイーが演じるべきだ、とこの映画を見て思った。最初に登場した時はちょっとかわいいだけじゃないかと思ったが、アクションが凄い(一部吹き替えはある)。勝ち気で強く、慣習にとらわれない現代的な女性を魅力的に演じている。大注目の女優でしょう。

 映画は19世紀初頭の中国が舞台。伝説の名剣グリーン・デスティニー(碧名剣)を操る剣士リー・ムーバイ(チョウ・ユンファ)と彼を慕うシューリン(ミシェル・ヨー)を中心にした話と思われる展開で幕を開け、中盤からガラリと様相を変える。結婚を控える長官の娘イェン(チャン・ツィイー)の長い回想で、ツィイーと盗賊ロー(チャン・チェン)の愛が描かれるのだ。この回想、長すぎて全体のバランスを崩すなと思ったら、原作(「臥虎藏龍」Crouching Tiger, Hidden Dragon)の本筋はこちららしい。

 この原作は全5部作の第4部に当たる。監督のアン・リーはこの原作に第2部(ムーバイが主人公となる話)を加えて映画を構成しているのだった。キネマ旬報でアン・リーは「私自身、年齢的にも生き方の面でもリーやシューリンに近い」と語っているが、これは一種の保険みたいなものだろう。映画は中国、アメリカ合作で製作費1500万ドル。新人のツィイーにすべてを委ねるのには不安もあったのではないか。

 2組の愛が描かれるためでもないのだが、原作を再構成した分、映画の焦点はぼけてしまった。やはりツィイーを中心にした話として描くべきだったように思う。ユンファとヨーの演技は素晴らしすぎて余計とも言えないのだけれど、ストーリーを明確にするのなら、あくまでツィイーの視点で映画化した方が良かったように思う。

 アクションを指導したのは今や“「マトリックス」の”という形容詞がふさわしいユエン・ウーピン。空中アクションは「チャイニーズ・ゴーストストーリー」を彷彿させる出来だ。ヨーのアクションが凄いのは言うまでもないけれど、ユンファの風格あるアクションに感心した。僕はユンファって雰囲気だけの人と思っていました。

2000/11/15(水)「漂流街」

 馳星周の原作を絶好調の三池崇史が監督した。実は三池作品を見るのは初めて。破天荒と言われる作風の評判は聞いていたから、冒頭のどう見てもアメリカの風景にしか見えない場所に“埼玉県”と字幕が出ても驚かない。

 新宿を舞台にチャイニーズ・マフィアとヤクザと日系ブラジル人が入り乱れる多国籍アクションで、原作は読んでいないが、雰囲気はちょっと違うように思える。原作通りに映画化することなど三池監督は考えていないだろうから、それは別に構わない。主役のTEAH(テア)、ヒロインのミシェル・リーをはじめ吉川晃司、及川光博などいい面構えの役者がそろっている。ハードさとハチャメチャさが入り交じり、それなりのエネルギーは感じる。しかし、僕にはピンとこなかった。

 スカウトされて映画デビューのTEAHはクライマックス、殴り込みをかける前の興奮と怒りを発散させる場面など実にいいのだけれど、ストーリーが、どうも普通のヤクザ映画と変わり映えがしないのである。馳星周の作品は暗い情念が魅力なのだが、それがないとなると、ちょっと苦しい。ビジュアルな面でも特筆すべき部分はあまりない。僕はなんとなく北野武の映画を思い出した。

 CGを使った闘鶏の場面で原作者と映画評論家の塩田時敏が出ているのには笑った。塩田時敏、なかなか好演している。