2000/06/21(水)「グラディエーター」
「インサイダー」のラッセル・クロウは太っていて驚いたが、あれは役作りのためだったらしい。この映画のために17キロ痩せたそうだ。体重をそんな風にコントロールできるとは羨ましい。
ローマ帝国を舞台にした復讐劇でリドリー・スコット監督がいつものように素晴らしい映像を見せてくれる。冒頭の戦闘シーンで弓矢がピュンピュン飛ぶ様子は「プライベート・ライアン」の弾丸の怖さを思い起こさせてくれた。ま、こういう映画でリアルで残虐な戦闘シーンにする意味が今ひとつ理解できないが、とりあえず迫力はたっぷりある。その後のローマ帝国の描写もCGを駆使してかつての「ベン・ハー」などの史劇を思わせるスペクタクル。ただ、どこか本物とは違う感じがする。CGがいくらリアルになっても限界はあるのだろう。あまりスケールの大きさを感じない。
ローマ皇帝に妻子を殺された将軍が奴隷の身からグラディエーター(剣闘士)となり、復讐を誓う話。2時間35分にしてはひねりがないので途中で飽きてくる。大作風の描写を削ってでも、2時間以内にまとめた方が良かった。ラストに1対1の対決をするのはこうした映画の定石ではあるが、この映画の設定、工夫が足りないように思う。
何よりも復讐の意識をどこかに忘れたかのようにコロシアムで人を殺し続ける主人公に共感を持たせるのは難しい。もっと心情をきめ細やかに描く必要があったのではないか。復讐を果たしても今ひとつ晴れ晴れしない話なのである。
2000/06/15(木)「マン・オン・ザ・ムーン」
1984年に35歳で亡くなったコメディアン、アンディ・カフマンを描いた映画。監督はミロシュ・フォアマンで手際よい演出を見せるのだが、今ひとつカフマンの真実には迫れなかったような気がする。だいたい、こちらがカフマンに関する知識を持ち合わせていないので、このコメディアンが実際にはどういう位置づけだったのか良く分からないのだ。
カフマンは独特のコメディに関する考え方を持っていたようで仲間さえもひっかけて楽しむ。笑わせることを重視してさえいないように見える。分からないのは途中で女性相手にプロレスを展開するくだり。本気なのか、冗談なのか見分けがつかない。あれを本当にコメディと考えていたのだとしたら、ちょっと違いますね。映画ではテレビでプロレスを見ていたカフマンが不意にヒール(悪役)になることを思いつくのだが、実際にはどうだったのだろう。そのあたりがとても気になる。大学での公演で延々と「華麗なるギャツビー」を読むというのもよく分からない。
映画自体は良くできていて、主演のジム・キャリー(カフマンよりはるかに才能あふれるコメディアンだ)も熱演している。キャリーはこの映画でゴールデングローブ主演男優賞を受賞したが、アカデミー賞にはノミネートさえされなかった。ま、それがコメディアンには冷たいアカデミーの体質というものだろう。カフマンと親しくなるリン役コートニー・ラヴも良かった。
どうでもいいことだけど、カフマンの綴りはKAUFMAN。フィリップ・カウフマンなどと同じなのだ。なぜ、読み方がちがうんでしょうか。
2000/06/07(水)「プロポーズ」
バスター・キートン「セブン・チャンス」のリメイク。主演は「バットマン」のロビンことクリス・オドネルだから、キートンが「セブン・チャンス」の後半で見せたような体技ができるわけがない。映画はロマンティック・スラップスティック・コメディとなる。
脚本はアイデアを詰め込んでいるように見えるけれど、あまりうまさを感じさせない。つまり下手。2度もプロポーズに失敗した主人公が3度目の正直で行うプロポーズにも説得力がない。相手役のレニー・ゼルウィガーは悪くないが、良くもない。ゲスト出演のブルック・シールズの使い方はあまりと言えば、あまりでしょう。
この映画、ほとんど客が入っていないという。ならば、「ああ、『プロポーズ』見逃したの。あれは拾いものだったよう」などと言いたくなるが、言えない。決してダメな映画ではないけれど、見逃してもいっこうに構わない。
2000/06/01(木)「ミッション・トゥ・マーズ」
ブライアン・デ・パルマ初の宇宙SFである。NASAが全面協力したとかで、素晴らしくリアルな宇宙の場面を見ることができる。実際、中盤までは「2001年宇宙の旅」を思わせる傑作。いやSFXのタッチも全体のストーリーもそうで、これはデ・パルマ流「2001年」なのだろう。~
流星塵(宇宙塵?)の宇宙船衝突→修理→故障→脱出→火星への自由落下(フリーフォール)と続く中盤はとてもいい。全然関係ないけど、僕はロバート・ワイズ「アンドロメダ…」のリアルさを思い出した。共通点は宇宙SFに関係のない監督が演出したハードSFというだけなんですけどね。それと、フリーフォールの場面はガンダムですね。こんな場面、実写では初めて見た。ここだけでも貴重です。~
がっかりするのはラストがあまりにもありきたりの話に落ち着くこと。30年前だったら、これで良かったのかもしれないが、もはやこの決着では古すぎる。宇宙人の造型も含めて新鮮味に乏しいのである。脚本(グラハム・ヨスト)にだれかSF作家を加えた方が良かったと思う。
2000/05/24(水)「アンドリューNDR114」
パンフレットを読んだら、アイザック・アシモフの原作はアメリカ建国200年に合わせて書かれたのだという。うーん、そんなに前ですか。僕が読んだのが20年ほど前だから、ま、計算は合う。ロバート・シルバーバーグがアシモフの中編を長編化しており、クレジットにはシルバーバーグの名前も出た。
映画はアンドリューとポーシャの関係(いわば200年にわたる愛)に重点を置いたのが良い。アンドリューがなぜ、人間を目指すのかこれで分かり易くなった。人は(ロボットだが)愛のためならなんでもするのである。たとえそれが不死を捨てることであっても。全体的にクリス・コロンバスらしい映画になっており、原作を引きずったマニアックな部分もあるが、アンドリューとポーシャの関係で一気に大衆性を備えましたね。
ポーシャ(リトル・ミス)を演じるのはエンベス・デイビッツ。「シンドラーのリスト」で残忍なナチスの大尉のメイドを演じた女優で、清潔な感じが大変いい。
アシモフのロボット工学3原則が映画で描かれたのも初めてではないかと思う。ただしアンドリューは最初の方でそれを破ってしまう。子どもから命令されるまま窓から飛び降り、自分を傷つけてしまうのだ。これはちょっと気になる。アンドリューは特殊なロボットだったという設定だけれど、もともと回路に少し異常があったから飛び降りたのか、飛び降りて壊れたため特殊になったのか、判然としない。意外にこういう部分は重要なのである。おそらく、脚本のニコラス・カザン(「運命の逆転」ほか)、SFを理解していないのだろう。