2005/07/21(木)「逆境ナイン」原作

 「逆境ナイン」原作映画の公開に合わせて復刊されたとのこと。amazonに注文したのが届いた。全6巻。映画同様にギャグが盛り込んであるが、読んでいるうちに野球漫画としても真っ当だと感じてくる。コメディ一辺倒ではなく、映画とはタッチの異なる部分も多いけれど、映画同様に好感の持てる作品だと思う。絵のタッチは永井豪を思わせる部分もある。

 映画は甲子園県予選優勝で終わったが、原作では甲子園優勝まで。といっても、甲子園の場面は第6巻だけで、県予選がこの漫画の中心にあることに違いはない。

 映画との細かい違いは野球部監督はセパタクローの選手ではなく、日の出商業との県予選決勝は112-0ではなく、112-3だった、など。映画の脚本はスラップスティックとして組み立てるために、原作のギャグのおいしいところを拾っている感じ。しかし、うまいまとめ方だと思う。映画でちょっと疑問に思ったのは、主人公の不屈闘志が県予選の試合を放棄して遊園地でデートするシーン。これは原作ではちゃんと理由が用意してあった。ただ、これがいかにも後付けの理由。作者は「あとがき漫画」でこのあたりの展開は「逆境だった」と書いている。

 

2005/07/20(水)「姑獲鳥の夏」

 「姑獲鳥の夏」パンフレットやはり榎木津には関口を猿と呼んで欲しいところだ。いや、シリーズ第1作のこの原作を読んだのはもう10年ほど前だから、この中で猿と呼んでいたかどうかはもはや覚えていないのだが、榎木津が関口をいたぶるシーンは入れて欲しかった。映画の榎木津礼二郎はおとなしすぎる(品も良すぎる)。原作ではもっと躁状態の印象が強いのだ。原作のある映画には付きもののこうした不満があることは十分に予想できたから、映画は別物と思って見たが、それでも映画として良い出来とは言えないと思う。劇場用映画は8年ぶりの実相寺昭雄監督は構図を斜めにしたシーンを多用して、不安感を煽る演出を見せているけれども、肝心の憑物落としの場面が長く感じる。憑物落としはいわゆる探偵が真相を話す場面にあたるのだが、この映画、伏線の張り方が不十分なので事件にかかわる重要な人物が唐突に出てくる印象となる。時代設定は昭和27年なのにその風俗があまり描かれないのも残念。木場刑事役の宮迫博之を除けば、キャスティング的には悪くないのだから、ぜひシリーズ第2作「魍魎の匣」(シリーズ唯一のSF)で捲土重来を果たしてほしいと思う。

 昭和27年、夏、東京。雑司ヶ谷の産婦人科医院・久遠寺医院の娘・梗子(原田知世)の不思議な噂が広まる。梗子は身ごもって20カ月になるのに一向に出産の気配がないというのだ。しかも梗子の夫は1年半前から行方不明になっている。雑誌記者の中禅寺敦子(田中麗奈)は作家の関口巽(永瀬正敏)に取材協力を頼む。古本屋の京極堂を営む敦子の兄秋彦(堤真一)は関口の親友で、事件を探偵・榎木津礼二郎(阿部寛)に相談するよう勧める。梗子の姉涼子(原田知世二役)が榎木津の事務所を訪れた時、ちょうど居合わせた関口は涼子の美しさに心を奪われ、助けたいと願う。その頃、榎木津の幼なじみの刑事・木場修太郎(宮迫博之)も事件に関わっていた。久遠寺医院の元看護婦が不審な死に方をしていたのだ。そして病院には赤ん坊をさらうという噂も広まっていた。

 原作の京極堂シリーズの語り手は関口だが、映画では一歩引いた形になっており、語り方は三人称単数である。関口の過去とも関わりのあるこの事件はシリーズの別の話でも言及されているほどだが、映像化されると、因縁話の側面が強調された感じを受ける。原作にある衒学的な部分を取り払うと、こういう感じになってしまうのだろう。単にストーリーを追うだけでなく、ここは衒学的な魅力の一端でも映像化の工夫が欲しいところ。冒頭にある京極堂の長々としたセリフだけでは物足りないし、映像的にも面白くない。

 堤真一の京極堂は口跡が良くて、悪くない。ただし、クライマックスには黒装束を決めてほしかった。映画で着る衣装は紫色がかっていて、憑物落としの場面にふさわしくない。関口巽役の永瀬正敏は気弱そうな部分のみ共通点がある。一番違和感があったのは木場刑事役の宮迫博之で、原作のイメージではもっと中年のいかつい感じのタイプだと思う。この映画にも出ていた寺島進なら良かったか。宮迫博之はイメージに合うとか合わないとかいう以前に演技に問題がある。京極堂シリーズは巻を重ねるごとにキャラクター小説の様相も帯びてきたから、こうしたキャスティングは大事だと思う。

2005/07/17(日)「逆境ナイン」

 「逆境ナイン」公式戦で勝ったことがない弱小野球部が廃部を免れるために甲子園出場を目指す熱血コメディ。島本和彦原作のコミックを「海猿」の羽住英一郎が監督した。落ちこぼれ集団が奮起するという「少林サッカー」パターンの映画で、逆境に次ぐ逆境をはねのけていく主人公・不屈闘志の姿がおかしい。惜しいのは「少林サッカー」ほど笑いが弾けていかないこと。笑いのパターンがやや画一化していて、一発ギャグみたいな笑いが多いのだ。「自業自得」や「それはそれ これはこれ」などの巨大石板(モノリス)が登場する不条理なシーンのおかしさは最初はいいのだが、こうしたギャグのパターンはだんだん新鮮さがなくなる。VFXの方も今ひとつな出来である。ただ、主演の玉山鉄二(「天国の本屋 恋火」」)の熱血・勘違いキャラクターには大いに好感度があり、映画を憎めないものにしている。クライマックス、9回裏112対0からの逆転劇などにもう少しアイデアを詰め込み、ドラマティックな展開を入れ、主人公以外のキャラクターも描き込んでくれれば、もっと面白くなったと思う。

 全力学園の野球部キャプテン不屈闘志(玉山鉄二)は校長(藤岡弘、)から突然、廃部を言い渡される。全国レベルの力を持つサッカー部と違って野球部は連戦連敗。「全力でないものは死すべし!」という考えの校長はグラウンドをサッカー部に明け渡すよう命じる。不屈は春のセンバツ優勝校日の出商業に練習試合で勝つことを条件に廃部を免れるが、ナインには次々に逆境が訪れる。赤点を取って試合当日に追試があったり、チワワに噛まれて出場不能になったり、試合の日にバイトが入ったり。不屈自身も利き腕の右腕を骨折してしまう。幸いなことに試合当日が雨だったため、日の出商業は試合を中止して、全力学園の不戦勝となるが、校長はこれを認めない。不屈は甲子園出場を校長に約束。監督にセパタクロー以外知らない榊原剛(田中直樹)が就任し、甲子園への県予選を戦うことになる。

 こういう話は大好きなのだが、羽住英一郎、まだまだ甘いなと思う。こういうリアリティゼロの話にどう説得力を持たせるかが問題なのである。決勝戦にコールドゲームはないので112対0というシチュエーションも可能性ゼロではないが、そこからの逆転劇の在り方はありえない。この映画での人を食った展開には唖然とするが、ありえないシチュエーションなので主人公の頑張りが感動に高まっていかないのがもどかしい。原作がこの通りであるかどうかはそれはそれとして、映画ならではの逆転劇を考えても良かったのではないか。

 対戦校の名前が中々学園とか手抜学園とか聞くだけでおかしくなるけれど、その他の展開も含めてバカバカしさだけで1時間55分持たせるのはつらいものがある。バカバカしいギャグを入れつつ物語の骨格を一応まともなものにしていくと、こういう映画は最強になると思う。バカバカしさを愛してはいても、それだけでは映画としては物足りないものなのである。藤岡弘、の素のキャラクターのままの校長先生は悪くないが、この校長にももっとドラマの見せ所が欲しいところ。田中直樹の使い方とか、ナインの一員を演じる坂本真の使い方にしても「フライ,ダディ,フライ」と比べてみれば、おかしさがもっと弾けていいのではないかと思える。演出の善し悪しというのはそういう部分に出てくるものなのだろう。マネジャー役の堀北真希はかわいかった。

2005/07/15(金)電車男を支える人々は、なぜ、匿名性が希薄なのか

 このタイトルには「映画とテレビの」という形容詞が抜けている。映画とテレビの電車男には書き込む人々が実際に描写される。そうしなくてはドラマが成立しないからだろう。まあ、掲示板のやりとりをそのままドラマにできるわけはないのだから、題材にした上で面白い作品を作ってくれれば言うことはない。

 気になったのはこの文章の作者が性善説うんぬんと言っているところ。元の書き込みの良い部分だけを収録してあるものに対して性善説はないだろう。だから「性善説で展開できる匿名社会」という言葉に説得力がない。

 きのう、初めてテレビ版を見たが、これは半分、スラップスティックではないか。ギコネコが頻繁に登場するのに驚いた。そこまでやるなら2ちゃんねるの名前も出してはどうかと思う。

2005/07/14(木) クローネンバーグの新作

 “A History of Violence”アメリカでは9月公開だが、カンヌ映画祭で上映されたため、IMDBでは124人が投票して8.7点。グラフィックノベルが原作。食堂の主人(ヴィゴ・モーテンセン)が店に来た強盗を正当防衛で殺して一躍ヒーローになるが、さらなるバイオレンスに巻き込まれる、という話らしい。ウィリアム・ハート、エド・ハリス、マリア・ベロ共演。予告編はここ。原題は「暴力の前歴」と訳すようだ。

 脚本は浦沢直樹「MONSTER」のハリウッド版脚本を担当するジョシュ・オルソン。NEW LINE CINEMAが製作するというこの映画版も気になる。