2020/09/21(月)「怪獣映画の夜明け」
ゴジラ映画のドキュメンタリーとして特に優れているわけではないが、入門編としてはまずまずだし、関係者の多くにインタビューしていることに好感が持てる。登場するのは宝田明、中島春雄(ゴジラ第1作のスーツアクター、2017年死去)、薩摩剣八郎(1984年版「ゴジラ」以降のスーツアクター)、監督の大森一樹、金子修介、手塚昌明、特技監督の川北紘一(2014年死去)などなど。俳優の小泉博(2015年死去)、久保明の姿が見られたのは懐かしかった。既に亡くなっている3人の死去した年を見ると、数年がかりでインタビューしたのだろう。この3人に対する献辞が最後に出る。
IMDbのデータThe Dawn of Kaiju Eiga (2019)によると、日本で2019年4月2日公開とある。セルバンテス文化センター(インスティトゥト・セルバンテス東京)が特別試写会を行ったらしい。IMDbの採点は8人が投稿して8.6。これは高すぎる。僕は7点を投稿した。
さて、Huluで初開催の「ゆうばりファンタ」の評価はどうなのだろう。普通の映画祭同様にタイムテーブルに沿って上映(配信)されているのだが、Huluのような配信サービスの特性を生かすなら、上映時間を定めずに期間中何度も見られるようにした方が良かったのではないか。その方がより多くの視聴者の目に届くだろう。せっかくの試みなのにもったいないと思う。
2016/07/31(日)「シン・ゴジラ」 日本映画の総力戦
総監督を務めた庵野秀明の代表作は言うまでもなく「新世紀エヴァンゲリオン」だが、「エヴァ」はこの映画を作るための習作だったのではないかとさえ思えてくる。「シン・ゴジラ」はそれぐらいの傑作だ。第3新東京市に使徒が攻めてくる「エヴァ」に対して、「シン・ゴジラ」では現実の東京をゴジラが襲う。現実の東京にはエヴァのような兵器もNERV(ネルフ)という特務機関もないから、自衛隊と新設された巨大不明生物特設災害対策本部(略称:巨災対)が人知を尽くしてゴジラに対抗することになる。その過程を映画は緊張感たっぷりに描いていく。
鷺巣詩郎の音楽をはじめとして「エヴァ」との類似点・共通点は随所に見られるが、映画を見ながらもう一つ思い浮かべたのは押井守「機動警察パトレイバー2」。“TOKYOウォーズ”がキーワードだったあの傑作にはテロ対策のために警察庁の面々が議論する場面があった。この映画の序盤も内閣の対策会議が中心になる。首都東京壊滅の危機をどう救うのか。早口の大量のセリフと短いカット割りが映画のテンポを速め、緊張感を高めていく。この政府と避難民の描写は巷間よく言われるようにゴジラによる災厄を3.11のような巨大災害になぞらえているのだが、しかし、それ以上に重要なのはゴジラという存在を定義し直したことだ。
庵野秀明は核兵器や放射能というゴジラとは切っても切れない基本ポイントと外見をほぼ受け継ぎながらも、まったく新しいゴジラを定義した。「ゴジラ」第1作のゴジラは水爆実験によって生まれた怪獣だが、「シン・ゴジラ」では放射性廃棄物を食らって誕生した設定になっている。迫り来る核兵器の時代と核エネルギーの時代の違いを踏まえて、これは小さいようで大きな変更点だ。ゴジラに対して通常兵器ではまったく歯が立たないことに加え、その生態を調べた巨災対によって、ゴジラが単為生殖で増殖する可能性があることが分かる。東京という一地域および日本だけの問題ではなく、これは地球全体にとって未曾有の危機だ。怪獣が一地域に被害をもたらしているという単純な状況ではないのである。
だから、後半、ゴジラ殲滅のために国連による核兵器使用のカウントダウンという大きな危機を迎えることになる。「核兵器使用を許せば、廃墟からの復興に各国の支援が得られる」との思惑を持つ政府上層部に対して、「日本で3度目の核兵器を使わせるな」と懸命に作業を進める巨災対メンバー。その思いは声高ではないからこそ、こちらの胸に響く。
中盤にあるゴジラが初めて光線を吐くシーンは見事と言うほかない。「ガメラ2 レギオン襲来」で草体の爆発が仙台市を消滅させたように東京の3区が一瞬にして消滅する。ゴジラの吐く光線のとんでもない破壊力は樋口真嗣が特技監督を務めた平成ガメラ3部作を明らかに継承して発展させたものだ。ギャレス・エドワーズ版「Godzilla ゴジラ」はその平成ガメラの設定を無断借用した映画としか思えず、怪獣映画・SF映画ファンの目から見て新しい部分などほとんどなかった。過去の作品を寄せ集めて攪拌し、VFXで見栄えを良くしただけの作品だった。「シン・ゴジラ」の作りの新しさは今後、怪獣映画に求められる水準を数段階押し上げることになるだろう。
長谷川博己や竹野内豊、石原さとみなどの主要キャストのほかに、多くの名のある俳優たちがセリフを一言吐いてさっと消えてゆく。300人以上に及ぶというキャストの豪華さにも驚く。「シン・ゴジラ」は庵野秀明という一人の作家の創造力だけに依って建つ作品では決してない。日本映画の伝統と現在の技術を結集させた総力戦の結果生まれた作品なのだ。
2015/05/17(日)「映画 ビリギャル」
大学受験の成功例を描いて文部省特選にしたいぐらいの感動作だが、高校の先生が主人公をクズ呼ばわりするのに比べて、生徒を褒め、良いところを伸ばそうとする塾の先生の方がどう見ても優れているので文部省が勧めるわけにはいかないだろう。
ベストセラーとなった実話「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」を土井裕泰監督で映画化した。主演の有村架純が素直に好演し、土井監督が得意のホームドラマを絡めて笑わせて泣かせる話に仕上げている。夢を持つこと、それをあきらめないことの大切さを訴え、土井監督としては「いま、会いにゆきます」以来のクリーンヒットになったと思う。
2015/02/08(日)「映画 深夜食堂」
「ナポリタン」「とろろご飯」「カレーライス」の3編からなるオムニバス、というより短編連作の趣だ。素朴な料理と素朴な人情が実にマッチしていて心地よい。都会の片隅の深夜食堂こと「めしや」に常連が集うのは素朴な家庭料理があるからだろうし、そこには素朴な人情が生まれる。店のたたずまいと出てくる料理の素朴さのためか、時代は東日本大震災後の今なのに1960年代あたりの雰囲気が感じられる。一種ノスタルジックな味わいがあるのだ。そこがこのドラマの魅力であり、人情長屋を舞台にした落語の世界に通じるものを感じた。時代は変わっても、人と人とのかかわりはそんなに変わらないのだと、松岡錠司監督は控えめに主張しているのかもしれない。
3つのエピソードをつなぐのは店に忘れられた骨壺のエピソードだが、これはそれほど太い幹ではない。食堂主人の小林薫のように、控えめに各エピソードをつないでいる。ただし、このエピソードを締める田中裕子の演技は絶妙のおかしみが漂っていて良い。
映画だからといって気を張らず、テレビドラマの雰囲気を壊さずに無理なく映画化している点に好感が持てた。同じシーンには出てこないが、高岡早紀と筒井道隆の「バタ足金魚」コンビが出ているのもうれしい。「とろろご飯」編をしっかり支える多部未華子が良くてうまくて感心した。