2015/06/17(水)「海街diary」

 引っかかるところがない。スーッと見てしまう。嫌な描写がない。だからとても心地よい。是枝裕和監督の前作になぞらえれば、3姉妹と腹違いの妹が一緒に暮らし始め、「そして姉妹になる」過程を描くこの映画、どうしてこんなに心地よいのだろう。

 3姉妹を演じる綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆と広瀬すずのキャラクターは明確に描き分けられ、周囲の人物もキャラは明確だ。例えば、坂下(加瀬亮)。信用金庫に勤める次女・佳乃(長澤まさみ)の上司の坂下は都市銀行を辞めて今の職場に来た。その理由について坂下は「自分には合わなかったから」とだけ話す。倒産しそうな小さな会社の経営書類を見て、社長を励ます場面では坂下の人柄まで分かってしまう。映画のキャラクターがそれぞれに掘り下げられて、描写に厚みがある。小さな描写の積み重ねが映画に細やかで温かい情感を与えている。

 小津安二郎が描き続けたような家族のドラマだが、小津映画には根底に厳しさや残酷さがあった。この映画にそんな部分はない。それが映画の甘さにつながっているのだけれど、その分、とても愛おしい作品になっている。

 大きな事件が起きるわけではない。しかし、心にしみるセリフや描写は至る所にある。

 「すずちゃん、鎌倉に来ない? 一緒に暮らさない、4人で?」

 自分たちをおいて出て行った父親の葬儀で、腹違いの妹すず(広瀬すず)の健気な姿を見て長女の幸(綾瀬はるか)が言う。実の父親が死に、一緒に暮らす義理の母には連れ子がいる。端から見てもすずには居場所がないと思えるが、加えてすずは負い目を感じている。「ごねんなさい。奥さんのいる人を好きになるなんて、お母さん良くないよね」。鎌倉の四季を織り込んで、1年かけて姉妹になる過程を描くこの映画は「私がいるだけで傷ついている人がいる」という負い目を持った少女が負い目から解放され、自分の居場所を見つける映画でもある。

 サッカーの場面でまったくの素人とは思えないプレーを見せる広瀬すずは素直で初々しい演技で新人賞確定という感じ。映画のファーストショットに寝姿で登場する長澤まさみは監督からエロスとタナトスのエロスの部分を割り当てられたそうで、魅力を発散させている。

2015/06/11(木)「スティーヴン・キング ファミリー・シークレット」

 原作の「素晴らしき結婚生活」はBTK(緊縛・拷問・殺害)殺人鬼と言われる実在のシリアル・キラーをヒントにスティーブン・キングが書いた中編(「ビッグ・ドライバー」所収)。結婚25年目にして夫が殺人鬼であることを知る妻の話である。キング自身が脚本を書きながら、原作より劣る出来になるのはどういうわけだろう。この原作自体、傑作が多数あるキング作品の中では特に優れているとは言えないのだが、映画に比べれば面白い。

 終盤のシーンが原作と少し違う。原作と同じセリフに落ち着くのだけれど、余計と思えるエピソードを付け加えている。これは別になくても良かったのではないか。主人公は原作ではジョアン・アレンより若いイメージがある。シリアル・キラーを描いた割に描写はおとなしく、映画館で上映するには地味な作品に思える。ケーブルテレビ用の作品なのではないかと思って調べたら、アメリカでも限定公開後にDVDリリースされていた。劇場で本格的に公開するレベルには達していないというわけだ。

2015/06/07(日)「予告犯」

 あまり芳しい評価は聞かなかったが、戸田恵梨香を目当てに見る。今や、戸田恵梨香、絶好調だ。「駆込み女と駆出し男」では鉄練りの仕事に打ち込み、顔に火ぶくれを作る女を演じて文句の付けようがなかった。「予告犯」は「SPEC」のように警視庁の女刑事役だが、サイバー犯罪対策課の班長というエリートな役柄だ。

 映画は中村義洋監督なので手堅くまとめてはいるが、主人公の通称ゲイツ(生田斗真)の最後の選択に疑問が残る。たとえ「小さなことのためにであっても人は動く」のだとしても、そこまでやるか、と説得力に欠けるのだ。こういう展開であれば、主人公にはもっと重たい運命を背負わせたかったところだ。最後の申し合わせたような仲間の言動も、もっときちんと伏線を張った方が良かっただろう。

 ただ、「東京難民」のような社会性を取り込みつつ、エンタテインメントを目指した意欲は買い。結末が原作通りなのかどうかは知らないが、途中まで良かっただけに残念な思いが残る。戸田恵梨香に関しては特筆するところはないものの、ファンの期待は裏切らない演技を見せる。中盤、逃走する生田斗真をどこまでも追いかけて走る場面など「フレンチ・コネクション2」のジーン・ハックマンを思い出した。

2015/05/17(日)「映画 ビリギャル」

 大学受験の成功例を描いて文部省特選にしたいぐらいの感動作だが、高校の先生が主人公をクズ呼ばわりするのに比べて、生徒を褒め、良いところを伸ばそうとする塾の先生の方がどう見ても優れているので文部省が勧めるわけにはいかないだろう。

 ベストセラーとなった実話「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」を土井裕泰監督で映画化した。主演の有村架純が素直に好演し、土井監督が得意のホームドラマを絡めて笑わせて泣かせる話に仕上げている。夢を持つこと、それをあきらめないことの大切さを訴え、土井監督としては「いま、会いにゆきます」以来のクリーンヒットになったと思う。

2015/05/10(日)「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」

 アカデミー脚色賞を受賞したこの映画の若き脚本家グレアム・ムーアは授賞式のスピーチでこう話した。

 「主人公アラン・チューリングはこんな大舞台で表彰されなかった。でも僕はここにいる。なんて不公平なんだ。だから短い時間だけど、一つだけ言わせてほしい。

 僕は16歳で自殺未遂をした。自分の居場所がないような気がして。それが今ここに立っている。

 だから、自分は変わり者で居場所がないと感じている若者たちへ。そのままの自分で大丈夫、輝くときがくる」

 映画の中で2度繰り返されるセリフ、「誰も想像しないような人物が誰もできなかったような偉業を成し遂げる」というセリフはムーアの強い思いを託したものなのだろう。

 変わり者で孤独な天才数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)を主人公にナチス・ドイツの暗号エニグマを解読する英国チームの物語。この映画の成功はムーアの素晴らしい脚本が一番の要因だ。ムーアはチューリングの生い立ちを絡めながら、暗号解読の過程を描き、同時に空襲にさらされる戦時下のロンドンを点描し、チーム内の人間関係によりスパイ映画のようなサスペンスとミステリの要素を取り入れている。仲間と入った酒場でエニグマの復号キーに気づく場面のドラマティックな描写、終盤の悲劇的な展開、さらに心を揺さぶるエピソードをちりばめてあり、エンタテインメント映画の脚本としてまったく欠点の付けようがない。設計図がここまで完璧ならば、映画の成功はほぼ決まったようなものだ。

 映画の序盤、仲間から昼食に誘われたチューリングの不器用で頓珍漢な受け答えを見ると、どうもチューリング、アスペルガー症候群か、少なくとも広義の自閉症スペクトラムだった可能性がある。他人の言葉を字義通りに受け取り、裏の意味が読み取れないチューリングは周囲に理解されず、孤独は深かっただろう。だからこそ、パートナーとなったジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)の存在が心にしみる。ジョーンはチューリングの人柄と才能を理解し、仲間と仲良くするようアドバイスする。「ジョーンに言われた」と言って林檎を配るチューリングに対して仲間が打ち解けていく場面はハートウォーミングな良い場面だ。

 チューリングの暗号解読によって、戦争終結が早まり、1400万人の命が救われたとされる。暗号解読器(クリストファーと呼ばれる)のチューリングマシンはコンピューターの原型となった。しかし、戦後、暗号解読器は廃棄され、チューリングの功績は長い間、世間に知られないままだった。戦後のチューリングの運命には涙を禁じ得ない。不運なチューリングの名誉が回復されたのは2009年だという。

 シャーロック・ホームズ役でブレイクしたカンバーバッチはホームズのように天才的なチューリングを繊細に演じてアカデミー主演男優賞にノミネート。パズルを解くことに抜群の才能を見せ、女性の社会進出が難しかった時代に自立した意識を持ったジョーンを演じたナイトレイは助演女優賞にノミネートされた。この映画は閉鎖的な時代と人を阻む壁にもがき、抗う2人を描いた映画でもある。ムーアはチューリングの生涯にかつての自分を重ねたに違いない。だからこんなに胸を打つドラマに仕上がったのだろう。