2005/01/19(水)「ヒューマン・キャッチャー」

 「ジーパーズ・クリーパーズ」の続編。前作はホラーだったが、今回は魔物(クリーパー)との戦いが中心。息子を殺され、クリーパーに復讐しようとする父親と、クリーパーに狙われたスクールバスの高校生たちの恐怖を描く。有名俳優は出ていないし、予算はかけていないようだが、クリーパーのVFXは悪くない。話にも破綻はない。

 これで、クリーパーの正体を明らかにしてくれれば、もっと面白くなったのではないか。B級の範囲を出ないのはそのあたりの脚本の作り込みが弱いからだろう。23年ごとに蘇り、23日間、人間をむさぼり食う魔物という設定だけでは物足りない。クリーパーと父親の戦いは「ジョーズ」みたいだった。

2005/01/11(火)「ターミナル」

 「ターミナル」チラシ祖国のクーデターでニューヨークのJFK空港から出られなくなった男を巡るスティーブン・スピルバーグ監督作品。前作「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」に続いて、物語自体は小品と言えるスケールだが、空港の巨大なセットをはじめスピルバーグが撮ると、なんとなく大作のイメージになってしまう。2時間9分という上映時間もこうした作品としては長いと思う。泣かせる場面はあるし、マイノリティの人たちの温かさを感じる部分もあって、話は悪くないのだけれど、脚本の技術的なうまさという点ではあまり感心するところはなかった。設定のオリジナリティに比べて、話の展開に目新しい部分がないのだ。主人公の男女2人の行く末とか、別の男女の恋の描写の簡単さとか、脚本の細部に引っかかる部分がある。加えて話は軽妙の部類に入るのに、スピルバーグ演出では軽妙さが十分に弾けていかない。もっとこぢんまりと撮れば良かったのに、スピルバーグは肩の力を抜けきれていないのだ。スピルバーグはこういう軽妙な題材が自分に向いていないことを自覚した方がいい。

 主人公のビクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)はJFK空港に降り立ったところで、祖国のクラコウジアにクーデターが起き、内戦状態となったことを知らされる。祖国の政府が消滅してしまったために入国ビザが失効し、クラコウジアとアメリカとの国交がなくなって帰国することもできなくなった。空港国境警備局長のディクソン(スタンリー・トゥッチ)はビクターに空港で待つように命じる。というのが基本的な設定。映画はここから英語もしゃべれないビクターが空港内でどうやって暮らしていくかを描写しつつ、床掃除のインド人グプタ(クマール・パラーナ)やフード・サービス係のエンリケ(ディエゴ・ルナ)との交流、客室乗務員のアメリア(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)との恋などを描いていく。

 ホントは39歳、人前では32歳、デートするときは27歳と偽っているというアメリアを演じるキャサリン・ゼタ=ジョーンズが良い。妻子ある男と何年も不倫を続けているアメリアは男からの電話を待ち続けており、いつか一緒に暮らせる日が来ることも夢見ているが、次第にビクターに惹かれていく。2人が空港内でデートする場面などは良い雰囲気で、この2人のラブストーリーにしてしまっても良かったのではないかと思う。しかし、脚本はこの2人の結末をハッピーとは言えないものにしている。

 主人公がニューヨークに来た理由は終盤に明らかになる。それと祖国のクーデターとを比べて、どちらが大切かよく分からない。主人公の家族構成など背景が今ひとつはっきりしないからで、これは脚本のミスだろう。良い話なのに脚本の細部で失敗したという感じの作品である。物語はパリ空港に16年間暮らしている実在のイラン人を基にアンドリュー・ニコル(「ガタカ」「シモーヌ」)とサーシャ・ガバシが原案を書き、ガバシとジェフ・ナサンソン(「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」)が脚本化している。題材を詰め込みすぎたことも、今ひとつ充実感のないものになった原因ではないかと思う。

2005/01/05(水)「ティアーズ・オブ・ザ・サン」

 反乱軍が異教徒の民族を虐殺しているナイジェリアから米人女医リーナ(モニカ・ベルッチ)を救出するために米軍特殊部隊が派遣される。当初は女医1人を助ける予定だったが、虐殺現場を見たために部隊の隊長であるウォーターズ大尉(ブルース・ウィリス)は命令に逆らって、避難民を連れてカメルーン国境まで徒歩で向かうことにする。それを反乱軍が執拗に追撃してくる。

 1人の民間人の救出のために米軍が部隊を派遣するだろうか、というのが大きな疑問で、ここはやはり女医に何らかの秘密(どうしても救出しなければならない理由)を設定しておきたいところだ。映画は中盤、反乱軍が執拗に追いかけてくる理由を明らかにする。これは定石に沿った展開なのだが、クライマックス、騎兵隊よろしく駆けつけた戦闘機が敵の部隊を殲滅するところなどにご都合主義が感じられる。それならもっと早く救出のヘリを出せよ、と思えてくるのだ。ウィリスの上官の大佐(トム・スケリット)は「危険空域だから」と理由を説明するのだけれど、著しく説得力を欠く。

 監督は「トレーニング デイ」「キング・アーサー」のアントワン・フークア。脚本の詰めが甘いと思う。

2005/01/03(月)「カンフーハッスル」

 「カンフーハッスル」パンフレット傑作「少林サッカー」以来2年ぶりの周星馳(チャウ・シンチー)の新作。序盤に、「大いなる力には責任が伴う」という「スパイダーマン」のようなセリフがある。カンフーの達人3人がナンバー2の殺し屋に負けて瀕死の重傷を負った際、大家夫婦に言うセリフ。この大家夫婦(ユン・ワーとユン・チウ)は世俗的な外見とは裏腹に凄腕のカンフーの達人であり、殺し屋2人を超人的な技で簡単にやっつけてしまう。そして主人公シン(チャウ・シンチー)にはどんな傷からも回復する力があり、やがて自分の本当の能力に覚醒していく。これを見ると、この映画がカンフー映画であると同時に超人映画であることが分かる(シンチーは「ドラゴンボール」のファンでもあるらしい)。序盤から徐々にエスカレーションし、デフォルメされていくアクション描写には快感があり、ドラマよりもカンフーアクションを見せることに徹した映画になっている。「少林サッカー」にあった泣きや浪花節的な場面はないけれど、この映画もしっかりと大衆に軸足を置いた作りであり、シンチーは今回も期待を裏切らなかった。ブラックで乾いた笑いと大がかりなアクションが融合したエンタテインメントの快作だと思う。

 時代は文化大革命前の中国。警察も手を出せない悪がはびこり、斧を武器にした斧頭会(ふとうかい)が凶暴さでのし上がってくる。斧頭会は貧困地区には目もくれなかったが、豚小屋砦と呼ばれる集合住宅にチンピラ2人が訪れたことで豚小屋砦は斧頭会に目を付けられることになる。チンピラ2人はシンと相棒(ラム・ジーチョン)。シンが放った花火で頭を火傷した斧頭会のメンバーの怒りを買い、豚小屋砦に攻撃を仕掛けるのだ。しかし、砦には3人のカンフーの達人がいた。手下をボコボコにされた斧頭会の組長サム(チャン・クォックワン)は怒り、殺し屋ナンバー2を砦に差し向ける。

 映画は善よりも悪の方が儲かるとして、斧頭会に入った主人公がやがて自分の力に目覚めていくという展開をたどる。中盤、シンが大家夫婦を倒そうとしてナイフを投げると、壁にぶつかって跳ね返ったナイフがシンの肩に突き刺さる。後を引き継いだ相棒がナイフを投げると、それがシンのもう片方の肩に突き刺さり、さらにもう1本投げようとして振りかぶると、それもシンに刺さってしまう(これは北野武「座頭市」の影響か)。このブラックなユーモアがとてもおかしい。さらにここにはだめ押しのギャグがあるのだが、この場面を見て思うのはシンチーの笑いがとても乾いているということ。キートンやロイドやマルクス兄弟の乾いた笑いよりも、チャップリンのペーソスの方が日本では人気があるけれど、ペーソスなどとは無縁のシンチーのギャグの才能は貴重だと思う。幼いころに助けた少女との交流も映画は描いているけれど、ここが物語の主軸に絡む場面なのにあまり効果を上げていないのは、シンチー、こういう描写が得意ではないからなのかもしれない。いや、それ以上にこの映画ではカンフーアクションそのものを描きたかったからなのだろう。

 チャウ・シンチー映画の良さは貧しい庶民と正義に軸足を置いていることで、それを笑いにくるめながらも本気なのがよく分かる。「少林サッカー」でさえ渡ったCGはここでも存分に発揮され、クライマックスの悪の集団およびナンバーワンの殺し屋(ブルース・リャン)と主人公の対決は、「マトリックス」を凌駕していると言っていい(アクション監督は最初、サモ・ハンで途中から「マトリックス」のユエン・ウーピンに代わった)。シンチーは卑屈でいい加減なチンピラの役もよく似合うが、飛び切り強いカンフーの達人の役にも違和感がない。ジェット・リーともジャッキー・チェンとも違った庶民的なカンフースターなのだなと思う。

2005/01/03(月)「白いカラス」US公開版

 日本公開版は見ていないが、こちらには「日本公開版では観られない、ニコールのセクシー・シーンを収録」とのことなので見てみた。どこがセクシー・シーンなんですかね。そのあたりを期待すると肩すかしを食いますね。

 それはともかく、映画は退屈せずに見られた。賛否があるようだが、要するに題材を詰め込みすぎて失敗した感じがありあり。主人公アンソニー・ホプキンスの嘘で固めた人生の苦悩だけに絞れば良かったのだと思う。ホプキンスの人生最後の恋の相手役ニコール・キッドマンもホプキンスに劣らない苦悩を抱えているので焦点が分散してしまう。なにせ、継父からの性的虐待、夫からの暴力、子供の事故死という不幸の三点セットを抱えているのだ。しかし、それでもキッドマンはいつものようにすごく魅力的なのだから、キッドマンが悪いとも言えない。これに対してホプキンスはミスキャストに近いと思う。

 原作はフィリップ・ロス。脚本を「スター・トレック カーンの逆襲」の監督ニコラス・メイヤーが書き、ロバート・ベントンが監督している。ゲイリー・シニーズが語り手の作家役で、エド・ハリスがキッドマンの夫役で出演。こういう一流スタッフ、キャストが携わりながら、映画がそれほど芳しくない出来に終わることもあるのだ。

 ついでに書いておくと、邦題「白いカラス」は内容に合っているようで合っていない。白いカラスと言えば、アルビノだろうが、主人公はアルビノではないからだ。