2015/05/17(日)「映画 ビリギャル」

 大学受験の成功例を描いて文部省特選にしたいぐらいの感動作だが、高校の先生が主人公をクズ呼ばわりするのに比べて、生徒を褒め、良いところを伸ばそうとする塾の先生の方がどう見ても優れているので文部省が勧めるわけにはいかないだろう。

 ベストセラーとなった実話「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」を土井裕泰監督で映画化した。主演の有村架純が素直に好演し、土井監督が得意のホームドラマを絡めて笑わせて泣かせる話に仕上げている。夢を持つこと、それをあきらめないことの大切さを訴え、土井監督としては「いま、会いにゆきます」以来のクリーンヒットになったと思う。

2015/04/11(土)「ソロモンの偽証 後篇・裁判」

 「口先だけの偽善者」。藤野涼子(藤野涼子)は柏木卓也(望月歩)からそう言われたことの負い目から学校内裁判を行うことになる。これは原作にはない設定で、涼子だけでなく、弁護士を務める神原和彦(板垣瑞生)もこの言葉に影響されており、映画を貫く1本の軸となっている。

 「前篇・事件」は三宅樹里(石井杏奈)と浅井松子(富田望生)に対する大出俊次(清水尋也)たちの暴力など描写の迫真性に優れ、永作博美や田畑智子、黒木華、市川実日子ら女優陣の踏ん張りが目立ち、中学生たちの演技のまっすぐさに心を動かされた。疑いようのない傑作だと思う。それを受けた「後篇・裁判」はいよいよ柏木卓也の死の真相が裁判によって明らかになる。映画の出来としては残念ながら前篇には及ばなかったというのが正直な感想だ。しかし、文庫で3000ページに及ぶ長大な原作の映画化として極端なダイジェストにはなっていず、異例にうまくいったのではないかと思う。藤野涼子をはじめとする中学生たちが良いためだろう。

 3000ページもありながら、原作はツルツル読める面白さだが、普通なら長くても上下2巻で終わりそうな物語展開だ。こんなに長くなったのはこれが詳細な描写とキャラクターの豊富なエピソードで成り立った物語だからだろう。キャラクターは端役に至るまで書き込まれている。特に第1部はスティーブン・キングとの類似を感じずにはいられなかった。宮部みゆきにはキングの「ファイアスターター」にインスパイアされた「クロスファイア」のような作品があるが、「ソロモンの偽証」は題材ではなくキングの手法を取り入れている。

 当然のことながら、映画は詳細な書き込みとエピソードを大幅に省略している。柏木卓也の死体の発見者である野田健一(前田航基)の家庭の事情をばっさりと切り、いくつかのエピソードを原作とは違うキャラクターにまとめている。しかし、骨格は原作から逸脱せず、テーマもそのままだ。うまい脚本だと思う。加えてオーディションで選んだ中学生たちの演技が実に良い。藤野涼子はまっすぐな視線と姿勢に好感が持て、初主演とは思えない堂々とした演技を見せる。板垣瑞生は裁判でのセリフ棒読みが少し気になるが、まあ裁判だから演技的な部分は残ってもおかしくはない、と好意的にとらえることはできる。リハーサルを繰り返し、演技を引き出した成島出監督に拍手を送りたい。

 後篇が前篇に比べて落ちるのは事件の真相に説得力を欠く部分があるからで、これは原作でも同様だ。原作では真相(犯人の動機)を詳細に描き込んであるのだけれど、それでも十分な説得力はないのだから、映画でできるわけがない。それでも原作と同様に満足感が残るのは出演者たちの好演によるところが大きいだろう。出番は少ないが、浅井松子の父親を演じる塚地武雅が温かい印象を残す。

2015/03/08(日)「ソロモンの偽証 前篇・事件」

 雪のクリスマス。学校内で男子生徒の死体が見つかる。いったんは事故死と断定されたが、関係者に事件を目撃したとの告発状が届く。生徒を殺したのは同じ学校の男子生徒3人だという。

 宮部みゆきの原作は「事件」「決意」「法廷」の3冊(文庫は6冊)だが、映画は「事件」「裁判」の2作。原作は未読だが、長大な原作の映画化作品がダイジェストになるのは仕方ないだろう。映画を見て感心したのは俳優たちの演技で、黒木華、永作博美、田畑智子らが生徒役の子供たちをしっかりと支えている。主演の藤野涼子は役名でデビューした新人(役名でデビューと言えば、「若者たち」の佐藤オリエあたりが最初だろうが、僕らの年代では「愛と誠」の早乙女愛なども思い出す)だが、これまで通行人しかやってなかったとは思えないぐらい好演している。

 成島出監督の演出は緊密でリアルな暴力描写などに重たい質感がある。しかし当然のこととは言え、事件が解決しないのでフラストレーションはたまる。1カ月後の後篇を楽しみに待ちたい。

2015/03/07(土)「幕が上がる」

 主人公の高橋さおり(百田夏菜子)が燃やしている台本のタイトルが「ウインタータイムマシン・ブルース」なのを見てクスッと笑った。言うまでもなく、本広克行監督の旧作「サマータイムマシン・ブルース」にかけてある。「サマータイムマシン・ブルース」は劇団「ヨーロッパ企画」の芝居を映画化したものだったから、高校演劇部を描いたこの映画にふさわしいだろう。

 台本を燃やしたのはさおりたちの学校が高校総合文化祭の地区予選で優良賞だったから。優良賞は最優秀賞、優秀賞の計3校以外の学校に与えられる参加賞に過ぎない。さおりは全国大会を目指していたわけではないが、やはり悔しい思いがあったのだ。ここから映画は毎年、地区予選で落ちていた富士ヶ丘高校演劇部が全国大会を目指して奮闘する1年間を描いていく。

 キネ旬3月上旬号の本広監督と大林宣彦監督の対談で、大林監督はこの映画を絶賛し、アイドル映画を撮るには「虚構で仕組んでドキュメンタリーで撮る」ことが大事だと言っている。この映画はストーリーに沿って順撮りで撮影したそうで、だから演劇部の上達とももいろクローバーZの5人の演技の上達が重なって、ドキュメンタリーのような効果を上げている。

 しかし、何よりも心を動かされたのは演劇部が取り上げる「銀河鉄道の夜」のセリフにある「どこまででも行ける切符」を持った高校生たちのきらめきを描いている点だ。十代が持つ無限の可能性を積極的に肯定的に描いて、この映画とても心地よい。

 元学生演劇の女王と言われた新任の吉岡先生を演じる黒木華が自在の演技を披露して、ももクロの5人をしっかりと支えている。映画を見た後に平田オリザの原作を読んだが、黒木華が「自分の肖像画」を演じる場面は原作ではさらりと触れられているだけだった。生徒たちに演技の奥深さを教えるこの場面の説得力は映画ならではのものである。序盤で吉岡先生は生徒たちに「私は行きたいです。君たちと、全国に。行こうよ、全国!」と呼びかける。これがあるから、演劇部にとってショッキングな出来事を乗り越えて、さおりが「行こう、全国へ」と部員たちに話す場面が感動的なのだ。

 原作も評価は高いけれど、映画は一直線に何かに打ち込む青春を描いて充実している。最近よくある恋愛青春映画よりもずっと硬派な映画だ。脚本の喜安浩平(「桐島、部活やめるってよ」)は原作のエッセンスを上手にすくい上げ、それを超える作品にしている。加えて忙しいアイドルたちに十分な時間をかけて演技を上達させた本広克行監督の手腕に拍手を送りたい。

2015/02/08(日)「映画 深夜食堂」

 「ナポリタン」「とろろご飯」「カレーライス」の3編からなるオムニバス、というより短編連作の趣だ。素朴な料理と素朴な人情が実にマッチしていて心地よい。都会の片隅の深夜食堂こと「めしや」に常連が集うのは素朴な家庭料理があるからだろうし、そこには素朴な人情が生まれる。店のたたずまいと出てくる料理の素朴さのためか、時代は東日本大震災後の今なのに1960年代あたりの雰囲気が感じられる。一種ノスタルジックな味わいがあるのだ。そこがこのドラマの魅力であり、人情長屋を舞台にした落語の世界に通じるものを感じた。時代は変わっても、人と人とのかかわりはそんなに変わらないのだと、松岡錠司監督は控えめに主張しているのかもしれない。

 3つのエピソードをつなぐのは店に忘れられた骨壺のエピソードだが、これはそれほど太い幹ではない。食堂主人の小林薫のように、控えめに各エピソードをつないでいる。ただし、このエピソードを締める田中裕子の演技は絶妙のおかしみが漂っていて良い。

 映画だからといって気を張らず、テレビドラマの雰囲気を壊さずに無理なく映画化している点に好感が持てた。同じシーンには出てこないが、高岡早紀と筒井道隆の「バタ足金魚」コンビが出ているのもうれしい。「とろろご飯」編をしっかり支える多部未華子が良くてうまくて感心した。