2006/08/13(日)「ハチミツとクローバー」
羽海野チカの原作コミックをCMディレクターの高田雅博監督が映画化。美大に通う5人の男女のそれぞれの片思いを描く。といっても切ないだけではなく、意外にクスクス笑える場面が多くて面白かった。篠原哲雄監督の傑作「深呼吸の必要」によく似た爽やかさを感じたが、それは恋が成就しないことと無関係ではないだろう。登場人物たちにとっての事件は一様に失恋であり、それ以外のことはほとんど描かれない。淡い人間関係、淡い物語の映画である。この淡さが良くも悪くもこの映画の特徴になっている。原作もアニメも見たことがないが、心地よさを感じさせる映画に仕上げた高田雅博は監督デビュー作を無難にまとめたと思う。大学生の飲み会など日常を描いた場面や芸術に打ち込む場面になんだか懐かしさを覚えた。
浜美大の5人が主要キャラクター。絵の天才少女はぐみ(蒼井優)、彼女を見た途端に恋に落ちる主人公の竹本(櫻井翔)、友人の真山(加瀬亮)、真山を好きな山田(関めぐみ)、大学に何年も通っている森田(伊勢谷友介)の5人である。蒼井優は天才少女を無理なく演じており、主人公の竹本のいかにも青春映画風のキャラクターも悪くないけれど、個人的には真山と山田の関係が良かった。真山はバイト先の建築事務所の理花(西田尚美)に思いを寄せている。同時に山田が自分に好意を持っていることも知っている。その山田に「俺を見るのはやめてくれ。俺、たぶん、変わらないから」と言う。「わたし、今、ふられた?」と呆然とする山田。しかし、その後で、真山は理花に事務所を辞めてくれと言われる。「狭い事務所でそういう関係は良くないから」。ほぼ同時に失恋した2人はそれでも相手への思いをあきらめない。終盤、奈良漬けみたいに酔っぱらった山田が背負ってもらった真山の耳元で「好きだよ」とつぶやくシーンがいい。関めぐみはこのほか、再び事務所に勤めることになった真山と別れた後で、歩きながら泣き顔を見せるシーンも良く、昨年の「8月のクリスマス」よりもうまくなったと思う。
少女漫画によくある狭い人間関係そのまんまの映画だが、それでも映画らしい雰囲気を備えたのは高田雅博監督の演出に破綻がないからだろう。悪意を持つ人間が一人も出てこないのも心地よさの要因だが、登場人物を魅力的に撮ることに高田監督は力を尽くしているように思える。難を言えば、語り手が統一していないのが惜しい。もう単純に主人公の見た物語として構築した方が良かったのではないか。そうすると、はぐみに一目惚れするシーンの処理を考えなくてはいけないが、「人が恋に落ちる瞬間を初めて見た」という真山のナレーションはなくてもかまわなかったし、むしろ、人が恋に落ちる瞬間を描写として描いた方が良かったと思う。
分からないのは時々登場する黒猫(エンドクレジットにも出てくる)。体がぼけて、はっきりとは見えないこの黒猫に、監督はどういう意味を持たせたかったのだろう。
2006/08/12(土)「吸血鬼ゴケミドロ」
1968年の松竹映画。小学生のころ、この映画の看板が凄く怖かった。額が割れた人間の大きな顔だったのである。車で映画館の前を通る時は目を閉じた。もちろん、今となってはまったく怖くない。
飛行機が赤く光る物体に遭遇して不時着する。飛行機には時限爆弾を持った男と外国の要人を暗殺した狙撃犯が乗り合わせていた。乗客9人が助かるが、水も食糧もなく、極限状況となる。という設定は「マタンゴ」みたいだが、別に島に不時着したわけでもないので、どうとでもなりそうな感じはある。狙撃犯はスチュワーデスを人質にして外へ逃げ、そこで円盤に遭遇。額がぱっくり割れてアメーバ状の宇宙生物ゴケミドロが中に入り込み、血を吸うために他の人間を襲い始める。
たしか、これ「黒蜥蜴」(深作欣二監督)と2本立てだったと思う。上映時間が1時間24分と短いのはそのためだろう。昔の日本映画はこれぐらいの長さでちょうど良かった。VFXは当時としてはよくできている方で、ペシミスティックなラストも悪くない。カルト的な映画で、タランティーノはこの映画のファンなのだそうだ。脚本は高久進と作家の小林久三。監督は佐藤肇(なんと、映画用に再編集した「未来少年コナン」の監督だ)。出演は吉田輝雄、佐藤友美、高英男、高橋昌也、金子信雄など。
ゴケミドロが「われわれは地球を征服に来た」なんてメッセージを出すのが、いかにもB級SF。SF感覚が少し狂っているのは仕方がないか。これに比べれば、「マタンゴ」は良くできていたなと思う。
2006/08/09(水)「スキャナーズ2」
クローネンバーグの傑作の設定を凡庸な監督が引き継ぐと、これぐらいの映画にしかならないのか。といっても、GyaOなので腹は立たない。GyaOはB、C級映画を見るにはいいと思う。ついでに「スキャナーズ3」も見始めたが、IMDBによると、これは「2」以上に評判が悪い。監督はどちらもクリスチャン・デゲイ。
クローネンバーグの「スキャナーズ」はフィリップ・K・ディック「暗闇のスキャナー」の影響を受けていると言われる(といってもタイトルだけだろう)。この原作は学生時代に読んだが、もはやすっかり忘れている。これをリチャード・リンクレイター(「恋人たちの距離」「スクール・オブ・ロック」)が映画化した「スキャナー・ダークリー」は評判がいい。キアヌ・リーブス主演。
原作はかつてサンリオSF文庫から出ていて、その後、創元推理文庫に移り、去年、早川書房が改訳版を再刊した。そんなに出版社を変えて何度も出すほどの作品ではないと思うが、映画の公開前にもう一度、読んでみようかと思っている。
2006/07/30(日)「M:i:III」
「ミッション・インポッシブル」シリーズ第3弾。最近のアクション映画の中では屈指の出来だと思う。その理由は凝った脚本と切れ目のないアクションにある。主人公のイーサン・ハント(トム・クルーズ)がIMFの教え子を殺される前半、結婚したばかりの妻が敵に捕らわれの身となる後半ともエモーションを高める工夫がある。007シリーズと同じようなエージェント物でありながら、007シリーズよりも面白くなったのはそのためだ。アクション場面の質の高さはその007シリーズでアクション監督を務めるヴィク・アームストロングが第2班監督とスタント・コーディネーターを務めたことと無関係ではないだろう。
アームストロングはスタントマンとして1966年から活躍を始め、1979年以降はスタント・コーディネーター、アクション監督、第2班監督として活動の場を広げた。僕が名前を意識したのは「トゥモロー・ネバー・ダイ」(1997年)からだが、その後「チャーリーズ・エンジェル」「サハラに舞う羽」「ダイ・アナザー・デイ」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「ブレイド3」「宇宙戦争」などに関わっている。この映画ではCGも多用されているけれども、クルーズが高層ビルからジャンプする場面や斜面を転げ落ちる場面、上海の家の屋根を走り回る場面など至る所に見せるアクションが散りばめられている。クルーズは走りに走っており、その走りは短いショットの積み重ねとともに画面に躍動感とテンポの速さを生む要因となっている。
問題はこの映画がやはり「ミッション・インポッシブル」の枠組みの中で語られていることにある。監督のJ・J・エイブラムスは「人物に焦点を当てた映画」を撮りたかったのだという(前作のジョン・ウーも同じようなことを言っていた)。それがクルーズのエモーション、ひいては観客のエモーションを高める工夫にあるのだけれども、どうしてもイーサン・ハントはスーパー・ヒーローであらねばならず、どんなに危機に陥っても死ぬことはない。だから緊張感のある設定が緊張感として作用しないことになる。いや、この映画でイーサン・ハントは一度死ぬのだけれど、当然のことながら生き返る。そしてその場面の描き方などは妻に医師の役を割り当てた脚本の細かさに感心する一方で、どうもドタバタコメディに近い感覚が生じてしまうのだ。映画を見て感じたのはどれもこれも記号的なキャラクターだなということ。エモーションを高める設定が設定以上にはうまく働かず、キャラクターが記号にしか見えないのはエージェント物の枠組みがあるからにほかならない。どうせ現実にはあり得ない絵空事。そんな思いが頭をもたげてくる。そうなると、リアルなアクション映画としては機能していかない。この映画の脚本は「ミッション・インポッシブル」のシリーズから離れて1本の別の映画として主人公のキャラクターを詳細に描き込んだ方が面白くなったに違いないと思う。
あるいはエイブラムスの演出にも問題はあるだろう。この映画のテンポの速さは驚嘆すべきものではあるが、ノンストップの映画は一方で描写が少なくなるという弱点を抱え込まざるを得なくなる。足を止めてじっくり主人公の感情の高まりを描写する場面を入れれば、テンポの速さとともに映画は厚みを増していただろう。緩急自在の演出とはそういうものだ。
2006/07/24(月)「ブレイド3」
1作目も2作目も劇場で見たが、これは見逃していた。といってもこのシリーズが特に好きなわけではない。バンパイアたちがブレイドに対抗するためドラキュラを復活させるという話。復活させてもこれまでの話とそんなに大きく変わるわけではないのがつらいところか。
完結編と思わなければ、そこそこのアクション映画になっている。少なくともグロテスクなだけだった「2」よりは面白い。ウェズリー・スナイプスは1作目ほどの切れ味はないが、悪くない。軟弱かと思っていたジェシカ・ビールのアクションがさまになっているのに感心。
監督は1作目と2作目の脚本を担当したデヴィッド・S・ゴイヤー。ゴイヤーは「バットマン ビギンズ」の原案・脚本を担当したほか、傑作「ダークシティ」の脚本も書いているが、今回はSF的なものはほとんどない。今となっては「ダークシティ」の方がゴイヤー脚本としては異質に見える。