2006/04/15(土)「クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!」
シリーズ第14作。子供2人を連れて見に行く。初日だけあってけっこうな入りだった。
今回はジャック・フィニィ「盗まれた街」を思わせる侵略もの(秘密組織のお姉さんがジャクリーン・フィーニーという名前なのはそれを意識したものだろう)。カスカベの住人が次々に偽物に入れ替わるという話で、野原一家とカスカベ防衛隊の幼稚園児たちがいつものような活躍をする。
前半はこの設定に沿ったホラーっぽい描写がある。入れ替わった偽物の顔が怪物に変わる描写などもそれだが、ネタが分かってみると、こうした描写、整合性が取れない感じがする。視覚的な怖さだけでなく、心理的な怖さももっと強調すると良かったかもしれない。入れ替わる理由にも説得力が足りず、設定だけがあって話をまとめきれなかったようだ。いつものようにギャグを満載した展開はおかしいのだけれど、話の底が浅いので物足りない気分になる。これが原恵一なら、もっと話を面白くしたのだろうな、というのは無い物ねだりの感想か。
カスカベで次々に人が偽物に変わるといううわさが流れる。外見はそっくりだが、本人とは違う。しんのすけの通うふたば幼稚園の先生や園児もどこかおかしい。この偽物たち、なぜかサンバが大好きで音楽が流れると踊り出す。しんのすけたちは襲われたところを辛くも逃げ出す。しんのすけの父ヒロシの会社でも部下が偽物に変わったようだ。スーパーで襲われた野原一家をジャッキーという謎の女が助ける。ジャッキーの話によると、世界的にこうした現象が起こっているという。
ヒロシが偽物と対峙する場面はどちらが本物かを分からせるのにヒロシの足のにおいを持ってくるあたり、いつものクレしんの世界。この後に本物かと思われたしんのすけが実は偽物だったと分かるところなど面白いと思う。本物と偽物という概念はフィリップ・K・ディックが好んで用いたように、哲学的にもなるアイデアだ。子供向けなのでそこまでは行っていないが、できる監督ならこれをもっと巧妙に入れていただろう。ちょっと難しい部分を入れると、映画は深みがあるように思えてくるものなのである。ムトウユージ監督は素直にまとめすぎたきらいがある。
ムトウユージはテレビシリーズの監督で、映画は昨年の「伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃」に次いで2作目。オープニングのよしなが先生が入れ替わるシーンから手際がスマートではない。ここはもっと短くした方が良かった。しんのすけの友人である風間君とその母親の描写などは永井豪の漫画「ススムちゃん大ショック」を参考にしているのではないか(あるいは「妖怪人間ベム」とか)。ムトウ監督は1962年生まれなので、そのあたり、僕と嗜好が似ている。
2006/04/09(日)「タイフーン」
復讐の鬼と化したシンをもっと詳細に描くべきだったのだと思う。北からも南からも見捨てられ、家族を殺されたシン(チャン・ドンゴン)の恨みは一応描かれるのだけれど、それが南北朝鮮に核廃棄物を降らせるテロにまで説得力を持たせているかというと、そうはなっていない。激しいアクションを納得させる動機付けの部分が弱い。はっきり言って、前半はどんなに激しいアクションがあろうとも退屈。中盤、姉の口からシンの身の上が明らかになってエモーション的に盛り上がるのだけれども、以降はまたも激しいアクションだけで退屈。ドラマとアクションの融合がうまくいっていない。韓国の国家機関の人間から描くのではなく、これはシンの立場から描くべき話だったのだと思う。クァク・キョンテク監督はアクション場面の撮り方は合格点だけれども、ドラマの描き方に課題を残している。
アメリカ船籍の貨物船が海賊に襲われ、乗員を皆殺しにされて積み荷を奪われる。奪われたのは核ミサイル用の衛星誘導装置。日米両国は韓国に黙認を要請するが、韓国国家情報院は独自の捜査を始める。捜査に当たるのはアメリカで特殊訓練を受けたカン・セジョン(イ・ジョンジェ)。カンは海賊のリーダーがシンという男であることを突き止める。シンは誘導装置と引き替えにロシアから30トンの核廃棄物を手に入れようとしていた。シンは20年前に家族とともに北朝鮮から亡命しようとしたが、韓国政府は受け入れず、両親は北朝鮮兵士の手で殺された。シンと中国ではぐれ、今は娼婦となった姉のミョンジュン(イ・ミヨン)からその詳細を聞いたカンはミョンジュンと会わせることを条件にシンから誘導装置を取り戻そうとする。しかし、ロシアに既に誘導装置が渡ったと知った韓国政府は作戦の中止を命じ、シンを殺そうとする。
シンの意図は台風を利用して核廃棄物を積んだ多数の風船を朝鮮半島に運び、そこで爆発させることだった。クライマックスは史上最大級の台風が2個接近する中で、シンの船に乗り込み、テロ行為をやめさせようとするカンとその部隊の活躍が描かれる。アクション場面には別に何の文句もない。オリジナリティがそれほどあるわけではないけれども、日本のアクション映画に比べれば、はるかに迫力があり、よくできている。ただし、アクション映画の魅力というのは単なるアクションだけにあるのではない。登場人物の心情がいかに激しいアクションにシンクロしていくかにかかっているのだ。そこがこの映画は弱いと思う。「ブラザーフッド」の時にも思ったのだが、アクションの割に細部の作り込みが雑に感じるのだ。
カンの上司役で阪本順治「KT」のキム・ガプスが出演。相変わらず凄みのある顔つきをしていて良い感じである。チャン・ドンゴンもイ・ジョンジェも顔つきだけはアクション映画にぴったりな感じ。脚本をもっとうまく作ってさえいれば、傑作になっていたのにと思う。それにしても南北分断の悲劇が描かれるあたりで映画の雰囲気がきりっと引き締まるのは日本映画にはない長所だなと思う。こうした政治的材料がないのが日本のアクション映画の弱いところなのだろう。
2006/04/02(日)「ショーン・オブ・ザ・デッド」
イギリス製のゾンビ映画。登場人物たちがその言葉(ゾンビ)を言うなと怒ったり、ゾンビの大群から逃れるためにゾンビの動きをまねしたりのコメディタッチに好感。ちゃんと怖いシーンもあるが、まあ小学生でも我慢できる程度の怖さ(PG-12指定)。ゾンビ映画としては本家と肩を並べる面白さ、というのは褒めすぎか。面白さの質は全然違うんですけどね。
監督はエドガー・ライト。主人公のショーンを演じるのはサイモン・ペッグ。IMDBのトリビアによると、ペッグは「スター・ウォーズ」の熱烈なファンとのこと。この映画で友人役のピートを演じたピーター・セラフィノウィックは「エピソード1 ファントム・メナス」でダース・モールの声を演じたそうだ。ペッグは「M:I-3」にも出ているそうで、楽しみだ。
2006/03/28(火)「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」
「ハウルの動く城」「ティム・バートンのコープス・ブライド」を抑えてアカデミー長編アニメーション賞を受賞したクレイ(粘土)アニメ。野菜畑を荒らすウサギに対抗する発明家ウォレスと愛犬グルミットの活躍を描く。と、簡単にストーリーは要約できず、途中で狼男や「ザ・フライ」を思わせる展開になる。ウサギ吸引装置の場面などにCGも使っているが、そこもクレイ・アニメの雰囲気に似せて作ったそうだ。イギリスのスタッフらしく、細かいギャグやサスペンスタッチも取り入れて粋な仕上がりである。ただし、あくまでも子供向け。随所にある過去の映画の引用やパロディ的な描写も子供に分かる程度の内容になっている。その品の良さがアカデミーでは好まれたのかもしれない。あまのじゃくなファンとしては、長編よりも5分か10分ぐらいの短編をたくさん見た方が満足感が高いのではないかと思ってしまう。短編の方が向いている題材ではないかと思うのだ。
巨大野菜コンテストが間近に迫った町で、ウォレスとグルミットは害獣駆除隊「アンチ・ペスト」として畑を守っていた。いたずらウサギを捕まえて、被害を防ぎ、新聞の一面を飾る。それを見たコンテストの主催者レディ・トッティントンから連絡が入り、ウォレスとグルミットはトッティントンの畑にいた大量のウサギを吸引装置で駆除する。捕まえたウサギは地下室で飼っていたが、ウォレスは自分が発明した装置を使って、ウサギを野菜嫌いにしようとする。チーズ好き、野菜嫌いの自分の思考をウサギの脳に送って野菜嫌いにする計画。しかし満月の光も借りて行った実験は失敗に終わる。ある夜、巨大なウサギが畑を荒らす事件が発生。再びかり出されたウォレスとグルミットは先日の実験に使ったハッチと名付けたウサギが巨大化しているのを発見する。ここからのストーリーにはちょっとしたヒネリがある。ヒネリはあるが、ヒネった先は定跡を踏んだ展開で、想像はつく。
いたずらウサギたちの描写は「グレムリン」風で、そこから狼男や「ジキル博士とハイド氏」を思わせる展開になり、最後は「キング・コング」風になる。ウォレスとグルミットに対抗する役柄としてウサギを銃で駆除しようとするハンターのヴィクターとその愛犬フィリップが登場し、生き物を殺さないウォレスとグルミットの人のいいキャラクターを強調しているのが品の良さにつながっている。物語にヒネリはあるが、キャラクターは(少しぐうたらなところはあるけれども)品行方正なのである。そこが映画の心地よさでもあるので、否定はしない。
「ウォレスとグルミット」は時々、カートゥーン・ネットワークで放送している。あれは1分のシリーズなのか、それともアカデミー賞を受賞した短編の方なのか、じっくり見ていないので分からないが、発明家なのにちょっと抜けているウォレスとしっかりしたグルミットの関係はなんとなくチャーリー・ブラウンとスヌーピーの関係を思わせて微笑ましい。日本語吹き替え版はウォレスを萩本欽一、トッティントンを飯島直子が担当。ちょっと違うかなと思ったが、見ているうちに違和感はなくなった。飯島直子には実写映画にも出てほしいものだ。
2006/03/17(金)「シリアナ」
「トラフィック」の脚本家スティーブン・ギャガンが中東とアメリカの石油コネクションをえぐるジャーナリスティックなサスペンス。アメリカの石油資本が中東にどうかかわり、CIAがどんなことをしているかを「トラフィック」同様に多数の登場人物のさまざまな視点から描く。シリアナとはイラン、イラク、シリアからなる、アメリカの利益にかなう新しい国を指す業界用語だそうだ。話が見えない前半は決してうまくいっているとは言えないのだが、後半、話がつながり、全体が見えてくると、面白くなる。少なくとも今に通用する内容なので、「ミュンヘン」や「ジャーヘッド」に感じたジャーナリスティックな側面の欠落という不満はない。問題は題材を面白く見せる技術がギャガンにはまだ不足していることだろう。面白さにおいて同じ手法の「トラフィック」に及ばないのはスティーブン・ソダーバーグとギャガンの演出力の差と言える。
イラク戦争がアメリカの石油利権のためだったということがはっきりした現在では、映画の内容そのものに目新しい部分がそれほどあるわけではないが、こういう社会派的スタンスの映画が作れるアメリカ映画はまだ捨てたものではないと思う。少なくとも社会派映画が撮れなくなった(撮れる才能がいなくなった)日本映画よりは数倍ましだろう。ただし、これはメジャーの映画会社(ワーナー・ブラザース)が作った点で、内容が本当に米政府に差し障りのあるものではないということも分かる。マイケル・ムーア「華氏911」のようにブッシュ大統領を具体的に批判する映画だったら、メジャーではとても作れないだろう。それでもなおこうした映画には大いに価値があり、リサーチを重ねて脚本を書くギャガンの姿勢はとても好ましい。
登場人物は多いが、物語の中心となるのは4人の視点である。CIA工作員のボブ・バーンズ(ジョージ・クルーニー)、エネルギー・アナリストのブライアン・ウッドマン(マット・デイモン)、大手法律事務所の弁護士ベネット・ホリデイ(ジェフリー・ライト)、パキスタンからの出稼ぎ労働者ワシーム(マザール・ムニール)の4人。舞台となる中東の産油国はサウジアラビアがモデルという。物語はこの国が採油権をアメリカのコネックス社から中国企業に変更したことが発端。民主化を目指すナシール王子(アレクサンダー・シディグ)が行ったことで、ナシール王子の民主化路線は親米路線とは異なったことからコネックス社とCIAが動き出す。CIAはナシールの暗殺を計画。それを命令されたのが中東で長年、潜入工作を続けているバーンズだった。コネックス社は利権を求めて新興の石油会社キリーン社との合併に乗り出す。有利な条件で合併を果たすため、ベネットにキリーン社の不正を探すよう指示する。ウッドマンは国王の催したパーティーに呼ばれ、息子をプールの事故で亡くす。責任を感じたナシール王子と親しくなり、コンサルタントに取り立てられる。ワシームはコネックス社の油田で働いていたが、採油権が移ったことで解雇され、イスラムの神学校に入る。それはテロリストを養成する学校だった。
物語の骨格はナシール王子の動向にある。親米路線を続けていたなら、命を狙われることもなかっただろう。物語全体から見えてくるのは米政府が資本の言いなりであること。「華氏911」でブッシュは「富める者とさらに富める者の味方」であることを明言していたが、その内容通りの映画なわけである。物語でこうしたことが言いたかったのならば、話の構成はもっとシンプルにできたはずで、視点がたくさんあるために分かりにくいわけだから、バーンズかウッドマンにもっと比重を置いて、どちらかをしっかりした主人公にした方がすっきりしたと思う。物語のうねりや強いエモーションが加われば、この映画は最強になっていただろう。
ジョージ・クルーニーは長年、CIAのために尽くしながら、まずいことが起きると、簡単に切り捨てられる男を好演していて、アカデミー助演男優賞受賞も納得できる。ついでに言えば、授賞式で感謝の言葉を並べ立てるだけのスピーチをしなかったクルーニーのあいさつは受賞者の中では一番良かった。
イラクはごたごたしているとはいえ、何とか親米路線の政権は樹立できた。アメリカの次の標的はイランらしい。イラクにイランからの武器が流れていたというブッシュの発言を見ると、また数年以内にイランとの戦争を始めるのではないかと思えてくる。アメリカ政府は本気でシリアナを作ろうとしているのではないか。