2008/08/30(土) CCCD

 明日、SPEEDが復活するので懐かしさもあって、TSUTAYAでSPEEDのCDを借りた。「BEST HITS LIVE」。2004年に出たCDらしい。よく見たら、CCCDでパソコンでの複製はできないと書いてある。試しにやってみたら、難なくできてしまった。アプリケーションの推奨環境を見ると、XPまでなので、Vistaではできるのか。というか、カーナビのHDDにも録音できた。CCCDなんてそんなものだろう。

 CCCDはエイベックスをはじめ多くのレコード会社が事実上撤退している。考えてみれば、新しいOSが出た途端にCCCDに収録されている音楽プレイヤーには意味がなくなるだろう。期間限定でしか使えない音楽メディアなんて意味がない。同様のことはDRMのかかったダウンロード音源についても言える。パソコンやHDDが壊れたら終わりという現状ではダウンロードをあまりしたくない。やはりCDを買ったり借りたりしてパソコンや携帯電話や携帯音楽プレイヤーで聞きたい。よく言われることだが、地デジのコピー制限は消費者のニーズにはまったく応えていないと思う。

2008/08/24(日)「幻影師アイゼンハイム」

 ほとんど中身を知らずに見て、ラストでああ、そういう映画だったのかと思った(この鮮やかなラストには感心した)。僕はSF方面に発展していく映画なのかなと思っていた。死んだ恋人をマジックで生き返らせようとする男の話と紹介されていたからだ。恋人は確かによみがえるが、それはマジックの舞台の上で霊として登場するのであり、自分を殺した犯人が「この劇場の中にいる」と指摘する。

 「アフタースクール」同様にこれもまた何も知らずに見た方がいい映画。監督のニール・バーガーはこれが2作目で、作品は日本初公開。元CMディレクターらしいが、要注目の監督だと思う。次作「The Lucky Ones」が近くアメリカで公開される。

 19世紀末のウィーンが舞台。アイゼンハイムは少年時代に道ばたで奇術師と会い、不思議なマジックを見せられて奇術を志す。貴族の娘ソフィと親しくなるが、身分の違いから引き裂かれる。奇術を学ぶために世界を放浪したアイゼンハイム(エドワード・ノートン)は15年後、ウィーンに戻り、驚愕のマジックを見せる奇術師になっていた。ある日、アイゼンハイムの舞台を皇太子が見に来る。ソフィ(ジェシカ・ビール)が同行しており、2人は久しぶりに再会を果たす。アイゼンハイムのマジックは評判を呼ぶが、人心を惑わすとして皇太子は警部(ポール・ジアマッティ)に命じてアイゼンハイムの周辺を探らせ、逮捕させようとする。再会したアイゼンハイムとソフィの間には恋心が再燃する。しかし、ソフィは近く皇太子と結婚することになっていた。ソフィの心変わりを知って、皇太子は怒る。そんな折りにソフィが死体で見つかる。

 回想シーンはアイリスを使用したクラシカルな作り。それが19世紀を感じさせて良い。原作はスティーブン・ミルハウザーの短編。それをバーガー自身が脚色している。原作は知らないが、この脚色は見事だと思う。マジックを扱っただけでなく、映画自体にもマジックがあるのだ。

 SF方面の話と思ったのは劇中に驚愕のオレンジの木のマジックが登場するからでもある。こんなことがマジックでできるはずはなく、アイゼンハイムは超能力者だろうと思ったのだ。しかしこれは19世紀から実際にあるマジックだそうで、YouTubeでも見ることができる(http://jp.youtube.com/watch?v=-Ht_afydffk)。ただし、オレンジの木がいかにも作り物。映画のような幻想的な雰囲気には欠ける。

2008/08/19(火) dh-media-lists.rdf

 タスクマネジャーを見ていたら、XPのFirefoxが起動時に700MBほどを消費する。これはいくら何でもおかしい。メモリ使いすぎである。安定すると、100MB余りに減るが、これでも多すぎる。他のパソコンのメモリ消費量を見ると、だいたい50MB~70MB程度なのだ。アドオンを入れすぎているのが良くないのかと思い、いくつか削除してみたが、変わらない。

 しかも起動時にたまに「…のスクリプトの処理に時間がかかっています」とのダイアログが出る。それをコピーしておけば、良かったのだが、ダイアログはさっさと消してしまって覚えていなかった。

 いずれにしてもFirefoxのプロファイルフォルダ(XPの場合はC:\Documents and Settings\ユーザー名\Application Data\Mozilla\Firefox\Profiles\×××××.defaultフォルダ。×の中には任意の文字が入る)の中のファイルが原因であることは間違いないようだ。見てみたら、dh-media-lists.rdfというファイルが102MBもあった。こんな重たいファイルを起動時に読み込んでいたら、処理が遅くなるのも当たり前だ。このファイルを削除したら、起動が随分速くなった。メモリ使用量も60MB程になった。やはり、このファイルが原因だったようだ。

 Googleで検索してみると、A suggestionというページが出てきた。アドオンのVideo DownloadHelperのサポート掲示板のページ。書いた人はイタリア人でこのファイルが140MBになり、アドオンを追加したら起動しなくなったとのこと。これはDownloadHelperのファイルなのか。ファイル名のdhはその頭文字を表しているのだろう。ファイルのタイムスタンプを見ると、今年の6月18日。Firefox3をダウンロードした日だ。この日にDownloadHelperを入れたのかどうかはもう覚えていないが、確かにそのころからメモリ消費量が格段に増えたような気がする。

 dh-media-lists.rdfは削除してもDownloadHelperを使えば、また生成される。時々、フォルダの中をのぞいてみた方がいいようだ。

2008/08/16(土)「アフタースクール」

 ミステリで言うところの叙述トリックの映画。それまで見ていた話が突然、別の話になっていくのが快感で、アクロバティックな脚本に感心する。簡単にストーリーを書こうとすると、嘘が含まれてしまう。映画のパンフレットにあるストーリー紹介にも嘘がある。これはどうしようもないのだろう。つまり観客の思い込みで成り立ったストーリーだからだ。

 かつて作家の都筑道夫はキネ旬の連載でビリー・ワイルダー「悲愁」のストーリーを紹介した際にわざとミスディレクション的な書き方をした。その方が観客の楽しみを奪わないからで、小林信彦はそれを評価していた。ミステリに精通した人じゃないとこういう書き方はできない。

 映画にはもちろん、嘘はない。ある男が失踪して、それを男の会社と親友が探し始める。という発端はハードボイルド・ミステリによくある設定。だから探偵が出てくるのにもうなずける。失踪にはなにやら女とヤクザの影がちらついている。親友役の大泉洋のキャラクターがおかしいので、まあ退屈せずに見られるが、前半は取り立てて良くできているわけではない。終盤の大技がピタリと決まった後、映画はキャラの性格をそれまでとはがらりと変更し、ちょっぴりホロリとさせ、心温まるハッピーな結末を迎えることになる。

 この部分があるから映画は好評なのだろう。ここがなければ、単なるパズル的な映画で終わっていた。個人的には大技に比べて、終盤の展開はややドラマ的に弱く、少しバランスが取れていない感じを受けた。ドラマ的な弱さは構成と関係してくるので難しいのだが、ここをもっと強化すれば、映画は完璧になっただろう。ただし、内田けんじ監督の良さはこういう軽いほのぼの感にあるのだと思う。

 こうした凝った脚本は海外にもあまりない。そこは大いに評価すべきところだ。はったりだけの監督に成り下がったM・ナイト・シャマランにはこの映画を見て顔を洗って出直してきてほしい。

 出演者の中ではナイーブさとほのぼのさを体現した堺雅人が良かった。今年、ブレイクというにふさわしい活躍だと思う。助演男優賞の筆頭候補じゃないかな。

2008/08/09(土)「ダークナイト」

 なんと香港の場面で一瞬、エディソン・チャンが出てくる。ちょっと顔が見えるだけ。セリフもなし。ホントはもっと大きな役だったのかもしれないが、ああいう事件がありましたからね。仕方がないだろう。これ、ヒース・レジャーの遺作なだけではなく、芸能界引退前のエディソン・チャン最後の作品ということになるのだろうか。

 さて、さんざん期待して見たこの作品、十分に傑作だと思う。バットマンの身代わりになった地方検事ハービー・デント(アーロン・エッカート)の護送車にジョーカーが襲撃を仕掛ける中盤から延々とクライマックスが続く感じ。まさかそんなというドラマティックなストーリーに加えて、悪の化身であり狂気のジョーカーがゴッサム・シティも画面も支配し、おまけにトゥーフェイスまで出てくるのだ。映画2本分の内容とスペクタクルなシーンが満載だ。バットモービルは壊れるが、バットポッドがまたまたカッコイイ。2時間32分、飽きるところがなかった。

 ただし、十分な傑作ではあってもそれ以上ではなかった。僕が期待したのは仮面を付けたヒーローの二面性で、ティム・バートン「バットマン

 リターンズ」で描かれたようなヒーローであるがゆえの苦悩だった。もちろん、この映画でもジョーカーがバットマンに同じフリークスであることを指摘する場面があるし、バットマンの行動はゴッサム・シティの市民に理解されないという設定もある。ダークナイト(暗黒の騎士)とはそんなバットマンの悲しい姿を警部から市警本部長に昇格したジム・ゴードン(ゲイリー・オールドマン)が指す言葉だ。

 だが、そうした設定がどうもエモーショナルなものにまで十分に高まっていかないもどかしさが残る。「リターンズ」においてバートンはペンギンとキャットウーマンの不幸な身の上を描き、それが世間への復讐へと向かう姿に説得力を持たせていた。そしてバットマンとキャットウーマンはお互いに素の自分と仮面を付けた自分の二重人格を持つ身として心を通わせた。この映画に足りないのは悪のジョーカーの精神構造で、こういう存在になった背景が詳しく描かれないことだろう。ヒース・レジャーの鬼気迫る演技に押し切られそうになるけれども、ジョーカーの精神の深奥にまで踏み込めば、さらに映画は深みを増したのではないか。

 ウェインの幼なじみで刑事のレイチェル・ドーズ役は前作のケイティ・ホームズからマギー・ギレンホールに代わった。好みの問題ではあるけれど、ジョーカーがレイチェルに向かって「威勢の良い美人だ」と言う場面で「そうかあ?」と思ってしまった。もう少し美人の女優をキャスティングしていれば、ドラマティックさはもっと増したような気がする。

 ついでに書いておくと、民衆に理解されない孤高のヒーローという存在は珍しくはない。「デビルマン」や「超人ハルク」「スポーン」もそうだし、「スパイダーマン」にもそんなところがある。単純な正義のヒーローよりもドラマ的に面白くなるのだが、もはやこれもパターン化しており、相当に工夫がないとつらいものがあるのだ。