2006/12/03(日)「硫黄島の砂」

 太平洋戦線を戦った兵士たちの話で硫黄島が出てくるのは最後の30分。1時間50分の映画なのにそれはないよなと思うが、貴重なのは戦闘シーンに記録フィルムを使っていること。米軍がどれぐらいの弾薬を使ったか、その一端をうかがい知ることができる。

 最後は摺鉢山に星条旗を立てたところで終わる。実際の戦闘はそれから1カ月ほど続いたのだが、硫黄島の激戦から4年後の1949年に作られた映画なので、あの星条旗の意味はまだ残っていたのだろう。双葉十三郎さんの「僕の採点表」での評価は☆☆★★★と芳しくない。

 双葉さんはこう書いている。「クライマックスの硫黄島攻撃は相当な迫力で、摺鉢山のてっぺんに星条旗を立てる歴史的な場面が再現されるのだから、勝ったアメリカのお客が御機嫌になるのは当然だろうが、負けた日本の劇場が大入りとは何故でしょう。負けても戦争ごっこが好きなのか。ジョン・ウエインが珍しくも射たれてしまうのを見たいのか」

 ジョン・ウエインが映画で死ぬのはこれと「11人のカウボーイ」(1971年)「ラスト・シューティスト」(1976年)の3本だけではなかったかと思う。

 1949年の作品なので既に著作権は切れており、パブリック・ドメインとなっている。

2006/12/03(日) 生年月日から年齢を計算する

 OpenOffice.orgの場合はYEARS(A1;NOW();0)でいいことを検索して知った。Excelの場合はどうするのだろう。「Excel関数スパテク333」という本を以前買っていたので読んだら、DATEDIF(A1,TODAY(),"Y")とするそうだ(いずれもA1セルに生年月日を入れた場合)。年齢を計算する-DATEDIF関数:Excel エクセルの使い方-計算式/関数にも書いてある。

 ただしExcelの場合は1900年より前の生年月日を入れるとエラーになる。1900年1月1日を1として日付を計算しているのだそうだ。OOoの場合は1900年以前でも何ら問題ない。

 職場のパソコンにOOoしか入っていないので、いろんなファイルを作っているが、数式が入ったファイルの場合はExcelとの互換性がネックになるなあ。それにしてもDATEDIF関数、ヘルプに書いてない(書いてあるバージョンもあるとのこと)。なぜだろう。

2006/11/28(火)「火火」

 女性陶芸家の話とばかり思いこんでいたら、骨髄移植の話だった。allcinema onlineのあらすじを引用すると、「独創的な信楽自然釉を発表し、女性陶芸家として高い評価を受ける一方、長男の発病をきっかけに骨髄バンク運動を展開、公的骨髄バンク設立に大きな役割を果たした女性としても知られる神山清子の力強い生きざまを映画化した真実の物語」となる。

 これは田中裕子でなければ成立しない映画だと思う。その存在の自然さ、おかしさ、悲しさをリアルに表現して、悲しいシーンなのにユーモアがあり、おかしいのに泣かせる。血肉の通ったキャラクターであり、一筋縄ではいかない複雑さを表現している。この映画と「いつか読書する日」を見れば、主演女優賞もうなずける。うまいなあ。

 場面は少ないが、石田えりもおばさんっぷりが良く、前半で消えてしまうが、池脇千鶴もいい。池脇千鶴は田中裕子になれる女優じゃないかと思う。黒沢あすかはまだまだ勉強することが多い。

 去年見ていたら、ベストテンに入れていたかもしれない。医師役で「運命じゃない人」の探偵役・山中聡が出ている。

2006/11/26(日)「水からの伝言」を信じないでください

 作家の高千穂遥さんのページにリンクが張ってあった。水に「ありがとう」などの美しい言葉を見せると美しい結晶を作り、「死ね」などの汚い言葉を見せると汚い結晶を作るという本に対する反論。デマに対して科学者が真剣に反論するのは一見、バカらしいとも思えるのだが、そうではないのである。なんせ相手方は1冊本を書いているのだから、中には信用してしまう人もいるだろう。科学者の立場でしっかりとした反論を書いてもらった方がいい。「水からの伝言」にみるにせ科学というページもあった。

 水からの伝言ですごいのは「言葉を見せると」という部分。水は日本語を理解するのか。英語だったらどうなのだろう。あるいはスワヒリ語とかエスペラント語とか。

 だいたい、美しいなどという基準で物事を判断するのはどこかの首相と同じで、あまりレベルが高いとは言えない。裏返せば、こういう「美しい」を基準にしている人は汚いものを差別するのだろう。物事を美醜や優劣で判断する考え方がいじめの要因の根幹にもあるのではないか。

2006/11/25(土)「ヨコハマメリー」

 「ヨコハマメリー」パンフレット上映終了後のトークショーが終わった後、ロビーでパンフレットへのサイン会があったので中村高寛監督に気になっていたことを聞いてみた。

 「監督はハードボイルドが好きなんじゃないですか?」

 そんなことを聞いたのはもちろん、この映画がハードボイルドの手法で構成されているからだ。いなくなった人物のことを周辺の人物に聞いてまわることで人物の肖像を浮かび上がらせるという手法。この映画の場合、探偵役は中村監督なのだが、ハードボイルド・ミステリと異なるのは監督がメリーさんの消息だけに関心があって聞いているわけではないところにある。それがなぜなのかはラストで分かる。このラストもこの手法からすれば、必然的なものだったと思うし、予想もついた。この手法は意図的なものなのか、偶然なのか。そこが気になった。

 監督は「好きですよ。なぜですか」と答えた。

 「映画の手法が似ていると思いました」

 「次(の作品)はもっとハードボイルドな実録的なやつです」

 僕はよく映画の感想の中に「ハードボイルドタッチに似ている」と書くけれど、ハードボイルド・ミステリを読んだことがない人にはまず誤解されているだろうなと思う。トレンチコートに帽子をかぶった探偵が出てきたりとかハードなアクションがある映画を想像しているのではないか、と心配になるのだ。僕がハードボイルドタッチと書くときは常に前述したような手法を指している。間接的な描写を積み重ねて焦点の人物像を描く手法を用いた映画のこと。監督の最後の答えは意図的なものではないのでは、という疑問を持たせるものだった。

 それに中村監督は上映前のあいさつで「この映画はメリーさんを描いたものではありません」と語った。ならば、この手法は偶然のものなのだろう。いや意図的かどうかは実はあまり重要な問題ではない。この映画がその手法である程度成功していることが重要なのだ。

 「ハマのメリー」と呼ばれる白塗りに白いドレスを着た高齢の娼婦がいた。背中が曲がったその姿は写真だけで十分にインパクトのあるものだ。1995年にメリーさんは伊勢佐木町から姿を消す。街の人々は「メリーさんはもう死んだ」と確信している。というのが映画の出だし。そこから映画はメリーさんにかかわったさまざまな人物にインタビューしていく。メリーさんを世話したゲイのシャンソン歌手・永登元次郎、エイズを気にする客のためにメリーさんの来店を断った美容室、メリーさんがよく行った酒場・根岸家を知る元愚連隊、メリーさんを取り上げた作家の山崎洋子、メリーさんをモデルにした一人芝居「横浜ローザ」で主役を演じた女優の五代路子、芸者、クリーニング店などなどだ。中でも永登元次郎の在り方が胸を打つ。永登は撮影時点で末期ガンにかかっている。それでもステージに立ち続け、カメラに向かってメリーさんとの交流を語る。永登がメリーさんにシンパシーを持っているのはどちらもマイノリティの立場にあるからだろう。

 中村監督がこの映画に取りかかったのは1997年。10年近くメリーさんを追い、計150時間のビデオを撮ったそうだ。メリーさんの消息は映画のラストで分かるのだが、ついに本人へのインタビューはない。ドキュメンタリーで、ある人物のことを描きたいなら、その人物へのインタビューが分かりやすいと思う。ところが、人間はカメラに向かって嘘をつくことも多いのだ。今村昌平の傑作「人間蒸発」は虚実皮膜を意識して構成した映画だったが、それは発言の中に嘘があることを承知した上で取った手法だったのだろうと思う。この映画でも五代路子がメリーさんの格好をして町中を歩く場面があり、そこに「人間蒸発」と同じような虚実皮膜の面白さを感じた。フィクションとノンフィクションが混じった場面なのである。

 パンフレットに監督は「『メリーさん』を通した、『ヨコハマ』の一時代と、そこに生きた人たちを、ただひとつの現象として撮っただけ」と書いている。だから「ヨコハマメリー」というタイトルであっても監督が描きたかったのは横浜の街と時代とそこに住む人々だったのだろう。ただ、見ているうちにもっとメリーさんについて知りたくなってくる。初めて撮ったドキュメンタリーでこれほどの作品ができれば大したものだが、この手法をもっと焦点の人物を浮かび上がらせる方向で徹底すれば、さらに映画は面白くなると思う。根岸家に集っていた愚連隊たちを取り上げるという第2作に期待したい。

 トークショーで監督が話したことを付け加えておくと、ラストの場面は2003年1月に撮影したものであり、監督はその3年前からこの場所に通っていたそうだ。パンフレットによれば、2004年に永登は死に、メリーさんは2005年1月に亡くなった。