2006/08/12(土)「吸血鬼ゴケミドロ」

 1968年の松竹映画。小学生のころ、この映画の看板が凄く怖かった。額が割れた人間の大きな顔だったのである。車で映画館の前を通る時は目を閉じた。もちろん、今となってはまったく怖くない。

 飛行機が赤く光る物体に遭遇して不時着する。飛行機には時限爆弾を持った男と外国の要人を暗殺した狙撃犯が乗り合わせていた。乗客9人が助かるが、水も食糧もなく、極限状況となる。という設定は「マタンゴ」みたいだが、別に島に不時着したわけでもないので、どうとでもなりそうな感じはある。狙撃犯はスチュワーデスを人質にして外へ逃げ、そこで円盤に遭遇。額がぱっくり割れてアメーバ状の宇宙生物ゴケミドロが中に入り込み、血を吸うために他の人間を襲い始める。

 たしか、これ「黒蜥蜴」(深作欣二監督)と2本立てだったと思う。上映時間が1時間24分と短いのはそのためだろう。昔の日本映画はこれぐらいの長さでちょうど良かった。VFXは当時としてはよくできている方で、ペシミスティックなラストも悪くない。カルト的な映画で、タランティーノはこの映画のファンなのだそうだ。脚本は高久進と作家の小林久三。監督は佐藤肇(なんと、映画用に再編集した「未来少年コナン」の監督だ)。出演は吉田輝雄、佐藤友美、高英男、高橋昌也、金子信雄など。

 ゴケミドロが「われわれは地球を征服に来た」なんてメッセージを出すのが、いかにもB級SF。SF感覚が少し狂っているのは仕方がないか。これに比べれば、「マタンゴ」は良くできていたなと思う。

2006/08/09(水)「スキャナーズ2」

 クローネンバーグの傑作の設定を凡庸な監督が引き継ぐと、これぐらいの映画にしかならないのか。といっても、GyaOなので腹は立たない。GyaOはB、C級映画を見るにはいいと思う。ついでに「スキャナーズ3」も見始めたが、IMDBによると、これは「2」以上に評判が悪い。監督はどちらもクリスチャン・デゲイ。

 クローネンバーグの「スキャナーズ」はフィリップ・K・ディック「暗闇のスキャナー」の影響を受けていると言われる(といってもタイトルだけだろう)。この原作は学生時代に読んだが、もはやすっかり忘れている。これをリチャード・リンクレイター(「恋人たちの距離」「スクール・オブ・ロック」)が映画化した「スキャナー・ダークリー」は評判がいい。キアヌ・リーブス主演。

 原作はかつてサンリオSF文庫から出ていて、その後、創元推理文庫に移り、去年、早川書房が改訳版を再刊した。そんなに出版社を変えて何度も出すほどの作品ではないと思うが、映画の公開前にもう一度、読んでみようかと思っている。

2006/08/06(日)キネ旬8月下旬号

 キネ旬8月下旬号表紙「紙屋悦子の青春」公開に合わせた黒木和雄監督の追悼特集がある。作品特集と合わせて27ページ。これだけのページを割かれるということは一流監督だった証だろう。

 昨年11月のインタビューが掲載されていて、最後の言葉は「この作品が終わったら、何とか、山中貞雄(を映画化する企画)を実現させたいんですがね」で終わっている。無念だっただろうと思う。ぜひ見たかった作品だった。

 特集記事の中では佐藤忠男の評論「挫折にこだわり続けた映画作家」が読ませる。最後の3本「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」「紙屋悦子の青春」の脚本家・松田正隆は黒木監督の「TOMORROW 明日」を見て劇作家を志したのだという。その松田正隆に黒木監督が「キリシマ」の脚本を依頼したのは「紙屋悦子の青春」の舞台を見て感動したから。必然的な出会いだったのではないか。

 原田芳雄のインタビューも面白かった。「浪人街」から「スリ」まで10年間のブランクの間に黒木和雄は大病をするが、そのことで「自分には時間がない」と思い始めたのではないか、という推測はなるほどと思う。自伝的な「キリシマ」を撮った後に脚本が完成している戯曲の「父と暮せば」「紙屋悦子の青春」を選んだのはそのためだろうと、原田芳雄は語っている。

2006/07/30(日)「M:i:III」

 「M:i:III」パンフレット「ミッション・インポッシブル」シリーズ第3弾。最近のアクション映画の中では屈指の出来だと思う。その理由は凝った脚本と切れ目のないアクションにある。主人公のイーサン・ハント(トム・クルーズ)がIMFの教え子を殺される前半、結婚したばかりの妻が敵に捕らわれの身となる後半ともエモーションを高める工夫がある。007シリーズと同じようなエージェント物でありながら、007シリーズよりも面白くなったのはそのためだ。アクション場面の質の高さはその007シリーズでアクション監督を務めるヴィク・アームストロングが第2班監督とスタント・コーディネーターを務めたことと無関係ではないだろう。

 アームストロングはスタントマンとして1966年から活躍を始め、1979年以降はスタント・コーディネーター、アクション監督、第2班監督として活動の場を広げた。僕が名前を意識したのは「トゥモロー・ネバー・ダイ」(1997年)からだが、その後「チャーリーズ・エンジェル」「サハラに舞う羽」「ダイ・アナザー・デイ」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「ブレイド3」「宇宙戦争」などに関わっている。この映画ではCGも多用されているけれども、クルーズが高層ビルからジャンプする場面や斜面を転げ落ちる場面、上海の家の屋根を走り回る場面など至る所に見せるアクションが散りばめられている。クルーズは走りに走っており、その走りは短いショットの積み重ねとともに画面に躍動感とテンポの速さを生む要因となっている。

 問題はこの映画がやはり「ミッション・インポッシブル」の枠組みの中で語られていることにある。監督のJ・J・エイブラムスは「人物に焦点を当てた映画」を撮りたかったのだという(前作のジョン・ウーも同じようなことを言っていた)。それがクルーズのエモーション、ひいては観客のエモーションを高める工夫にあるのだけれども、どうしてもイーサン・ハントはスーパー・ヒーローであらねばならず、どんなに危機に陥っても死ぬことはない。だから緊張感のある設定が緊張感として作用しないことになる。いや、この映画でイーサン・ハントは一度死ぬのだけれど、当然のことながら生き返る。そしてその場面の描き方などは妻に医師の役を割り当てた脚本の細かさに感心する一方で、どうもドタバタコメディに近い感覚が生じてしまうのだ。映画を見て感じたのはどれもこれも記号的なキャラクターだなということ。エモーションを高める設定が設定以上にはうまく働かず、キャラクターが記号にしか見えないのはエージェント物の枠組みがあるからにほかならない。どうせ現実にはあり得ない絵空事。そんな思いが頭をもたげてくる。そうなると、リアルなアクション映画としては機能していかない。この映画の脚本は「ミッション・インポッシブル」のシリーズから離れて1本の別の映画として主人公のキャラクターを詳細に描き込んだ方が面白くなったに違いないと思う。

 あるいはエイブラムスの演出にも問題はあるだろう。この映画のテンポの速さは驚嘆すべきものではあるが、ノンストップの映画は一方で描写が少なくなるという弱点を抱え込まざるを得なくなる。足を止めてじっくり主人公の感情の高まりを描写する場面を入れれば、テンポの速さとともに映画は厚みを増していただろう。緩急自在の演出とはそういうものだ。

2006/07/24(月)「ブレイド3」

 1作目も2作目も劇場で見たが、これは見逃していた。といってもこのシリーズが特に好きなわけではない。バンパイアたちがブレイドに対抗するためドラキュラを復活させるという話。復活させてもこれまでの話とそんなに大きく変わるわけではないのがつらいところか。

 完結編と思わなければ、そこそこのアクション映画になっている。少なくともグロテスクなだけだった「2」よりは面白い。ウェズリー・スナイプスは1作目ほどの切れ味はないが、悪くない。軟弱かと思っていたジェシカ・ビールのアクションがさまになっているのに感心。

 監督は1作目と2作目の脚本を担当したデヴィッド・S・ゴイヤー。ゴイヤーは「バットマン ビギンズ」の原案・脚本を担当したほか、傑作「ダークシティ」の脚本も書いているが、今回はSF的なものはほとんどない。今となっては「ダークシティ」の方がゴイヤー脚本としては異質に見える。