2015/01/05(月)「寄生獣」
人の顔が割れて怪物が正体を現すVFXが「遊星からの物体X」に似ている。どちらも人間に寄生する生物の話なので似てくるのは仕方がない。そう言えば、20年ほど前に原作を読んだ時にも同じことを感じたのだった。ただし、「寄生獣」は誰が寄生されているか分からないサスペンスを盛り上げた「遊星からの物体X」とはまったく違うテーマを持つ作品だった。原作を再読してみたら、「物体X」に似ているのは犬が寄生されるエピソードだけだった。
2部作の第一部に当たる映画「寄生獣」は全10巻の原作のうち、5巻ぐらいまでのエピソードを手際よくまとめている。原作には出てくる父親は不在、母親が寄生されるエピソードにも改変を加えるなど、古沢良太と山崎貴の脚本は他の登場人物も減らして原作のエッセンスをうまくつかんでいる。原作よりも明瞭になったのは母と子の関係だ。主人公の泉新一(染谷将太)が幼いころ、母(余貴美子)が右手に負ったやけどのエピソードは原作にもあるが、これは映画の方が情感を高めて描いている。主人公の父親を登場させなかったのは母子の絆を強調するためだろう。そしてこの母子の関係は田宮良子(深津絵里)とその子供の関係にも受け継がれ、完結編のポイントになっていくのではないか。
2014/12/27(土)「サカサマのパテマ」
重力が逆の世界というのなら珍しくないが、抱きしめていないと、人が空に落ちてしまうという光景は目新しい。ただし、重力が人によって選択的に作用する合理的な説明がない。それをどう評価するかが分かれ目。単なるファンタジーならそれでいいか。
2014/12/23(火)「アバウト・タイム 愛おしい時間について」
「ラブ・アクチュアリー」のリチャード・カーティス監督作品。タイムトラベルの能力を持つ主人公を描くハートウォーミングなコメディだ。SFのアイデアを突き詰めているわけではなく、何度でもやり直せる人生の否定と、一度きりの愛おしい時間、日々を大切に生きることの重要さを訴えるドラマを用意している。アイデアよりもユーモアをちりばめたセリフのうまさに感心させられた。俳優の演技も含めて好感度の高い映画である。
主人公のティム(ドーナル・グリーソン)は21歳の誕生日に父親(ビル・ナイ)から「うちの家系の男には代々、タイムトラベルの能力が備わっている」と聞かされる。その方法は暗い所で両手を握りしめ、過去のある場面を思い浮かべるだけ。最初は疑ったティムだったが、あっけなくタイムトラベルできてしまう。
ロンドンの法律事務所に勤めるようになったティムはある日、ブラインデデートでメアリー(レイチェル・マクアダムス)と出会い、意気投合して携帯の電話番号も教えてもらう。下宿に帰ると、主人で舞台演出家のハリー(トム・ホランダー)が意気消沈していた。主演俳優がセリフを忘れて舞台が台無しになってしまったのだ。ティムは過去に戻って俳優を助ける。しかし、ブラインドデートに参加できなかったため、メアリーの電話番号が消えてしまっていた。
ティムがタイムトラベル能力を使って、恋を成就させるのは予想通りの展開。この映画が良いのはさらにその先、結婚と子供の誕生、妹の不幸などのエピソードを描き、人生の愛おしさについて語っていることだ。リチャード・カーティスの感心がSFにあるはずはないから、これは当然の展開だろう。主人公は何度でも同じことを繰り返し、自分の思う通りの結果を手に入れられるが、タイムトラベルにはある制限があり、重要な選択を迫られることになる。そして主人公自身、繰り返すことの意味を再考するようになる。
見終わってハッピーな気分になる映画。タイトル通り、この映画を見ている間も愛おしい時間だ。
2014/12/07(日)「ショート・ターム」
「実名レビュー評価サイトRotten Tomatoes(ロッテン・トマト)で満足度99%、2013年No. 1の実績を記録」と、映画のパンフレットや公式サイト、キネ旬の記事にまで書いてある。ロッテン・トマトをよく利用している人には説明するまでもないが、99%は満足度ではない。肯定的な評価をしたレビュワーの割合だ。そうしたレビュワーの採点を平均すると8.4で、これは2013年の映画では「ゼロ・グラビティ」「それでも夜は明ける」「ビフォア・ミッドナイト」に次いで4番目となる。高く評価されたことは事実だが、ナンバーワンではない。間違った認識に基づくPRの仕方は少し気になった。
ショート・ターム12は18歳以下の少年少女のための短期保護施設。親からの虐待など家庭に事情がある子供たちのシェルターの役割を果たしている。ここにある日、ジェイデン(ケイトリン・デヴァー)という少女がやって来る。「父がすぐに迎えに来る」と言って周囲になじもうとしないジェイデンだが、ケアマネージャーのグレイス(ブリー・ラーソン)はジェイデンが創作したタコとサメの物語を読んで、ジェイデンが父親から虐待を受けていることに気づく。グレイスは施設で一緒に働くメイソン(ジョン・ギャラガーJr)と同棲しており、妊娠していることが分かるが、メイソンには内緒で病院に中絶の予約をしてしまう。グレイスが妊娠するのは二度目だった。
施設の子供たちが描かれるのかと思ったら、グレイスの話がメインになっていく。グレイスもまた施設の子供たちと同じような過去を持っていたのだ。グレイスは自傷行為によって傷だらけになった足首をジェイデンに見せ、「血が流れている間はいやなことを忘れていられる」と話す。「くしゃみをして足の腱を切りそうになってしまったの」。グレイスにとってジェイデンを助けることは自分を助けることでもあるのだろう。
児童虐待が許せないのは子供にとって逃げ場がないからだ。本来は守ってくれるはずの家庭が地獄のような状態になってしまった子供の境遇は想像を絶する。友達になる代わりにタコの足をすべて食べてしまうサメの物語、ジェイデンが考えた物語はこうした状態を悲痛に表現している。
主演のブリー・ラーソンがいいし、良い映画なのだが、どうも食い足りない思いが残るのは1時間37分という上映時間のためではなく、問題への切り込み方、深化のさせ方が今一つ足りないからだろう。もっと話に奥行きがほしいところだ。監督・脚本のデスティン・ダニエル・クレットンはこれが2作目。この映画はグループホームで働いた経験を基にしたという。
2014/11/24(月)「紙の月」
いくらなんでもこのラストは吉田大八監督のアレンジだろうと思った。まるでリドリー・スコット監督の「テルマ&ルイーズ」を思わせる弾け方なのだ。ついでにもう一つ、映画で気になったことがあったので、確認のために、見終わってすぐに角田光代の原作を読んだ。ハルキ文庫版には吉田監督が解説を書いている。
意外なことに原作のプロローグは映画のラストに当たる場面だ。しかし、映画で感じた主人公・梨花(宮沢りえ)の開き直った能動的な変化はここにはない。吉田監督は当初の映画化の構想について解説にこう書いている。
梨花の「ほんとう」が再起動するのは全てを捨て、渡ったタイ・チェンマイに於いてだろうとまず考えた。
だから日本の話は三分の一、残りはタイで逃げ続ける梨花を撮る。イミグレーションを越え、国境地帯をさまよい、最後は武装警察あるいは軍隊による包囲網を突破して走り続ける。立ち止まらないことで不可能を可能にする梨花、映画にするとしたらそれしか考えられないと僕は二回目の打合せでプロデューサーに訴えた。僕と初めて仕事をするプロデューサーはただ微笑んでいた。
「テルマ&ルイーズ」を想起させられたのも間違っていたわけではなかったようだ。そういう風にしたいという思いを監督は演出でこの終盤に表現したのだろう。
原作は日常の小さな違和感や不満が積もる様子を梨花だけでなく、その友人についても描いていく。映画ではこの違和感や不満を腕時計のエピソードで象徴している。梨花が夫(田辺誠一)のために買った安いペアウォッチを夫は仕事にしていこうとしないばかりか、経済的優位性を示すかのように梨花にカルチェの時計をプレゼントするのだ。そうした中、梨花は平林光太(池松壮亮)と出会う。銀行の顧客である光太の祖父(石橋蓮司)の自宅で会った後、駅のホームで光太とすれ違い、短い言葉を交わす。そして3度目、駅の反対側のホームで光太を見つけた梨花は光太のいるホームへ向かう。映画はこの後、ホテルに行く2人の場面に移るのだが、ここの梨花の心理が僕には分からなかった。
原作ではこうなっている。祖父の家で出会った後の帰り道、梨花と光太は世間話をする。その後、銀行の飲み会の帰りに梨花は光太と遭遇し、飲みに誘われる。「よく気づいたわね」と尋ねた梨花に光太は「最初に会ったとき、いいなって思ったから」と答えるのだ。そして光太は銀行に電話をかけて梨花を呼び出し、自主製作映画に出るように頼む。こういう風に原作は梨花の中で光太の存在が大きくなっていく過程を丹念に積み重ねていく。これなら納得できる。
大急ぎで映画を擁護しておくと、物足りなかったのはこの梨花の光太への思いに関する部分だけで、それ以外はとても納得できた。銀行の支店に勤務するお局様のような小林聡美と若い大島優子は映画のオリジナルのキャラクター。近藤芳正が演じる次長も含めて支店内の人間関係とその業務の描写が実に面白い。そして若い男に貢ぐために1億円を横領した女の転落の話という観客の予想を超えて、映画は最初に書いたような一種の爽快さを感じさせるラストへ到達するのだ。
梨花の変化のきっかけは光太であったにしても、元々、梨花の内面にあったものが発現したのだという風に、吉田監督は描きたかったらしい。だから梨花と光太の関係の始まりをくどくどと描くことをやめたのだろう。ラスト近く、「一緒に行きますか?」と小林聡美に問いかける梨花のセリフは、一緒に煩わしい日常のしがらみを捨てませんか、と言っているに等しい。吉田監督、うまいなと思う。