2016/11/23(水)松山ケンイチがすごい「聖の青春」

 村山聖が初めて羽織袴で対局に臨んだのは谷川浩司との王将戦のはずで、4連敗して汗と涙でボロボロになった村山の姿をテレビ中継で見たのを覚えている。映画では羽生善治との対局に変えてある。同世代のライバルだった村山と羽生を中心に据えて話を構成するために映画にはいくらかのフィクションが交えてあって、エンドクレジットにもそう断り書きが出る。

「聖の青春」パンフレット

 中盤、対局後に村山が羽生を誘って大衆食堂に飲みに行くシーンもフィクションだ。クライマックスの対局につながる重要な場面だが、困ったことにここでの2人のセリフに説得力がない。趣味での共通点がない2人は将棋の勝負に関しては共通の思いを持っており、心を通わせることになるのだが、「羽生さんは僕らとは違った海を見ている」「一度でいいから女の人を抱いてみたい」というセリフなど、いかにも作り物なのだ。向井康介の脚本は健闘しているのだけれど、映画が松山ケンイチの大変な好演をもってしても、胸を張って傑作と言えるまでになっていないのは脚本に説得力を欠く部分があるからだ。

 「体調悪いんか?」と荒崎学(柄本時生)に聞かれた村山は「体調いい時なんかないんですよ」と答える。村山は幼い頃から腎ネフローゼと闘ってきた。念願のプロ棋士になっても、フラフラになりながら将棋会館に向かい、将棋を指すことになる。役のために体重を20キロ増やした松山ケンイチはそんな村山をリアルに演じきっている。風貌を似せるだけでなく、たたずまいだけで村山そのものになっているのは精神的なアプローチが成功しているからだろう。憑依型、なりきり型の演技であり、村山の将棋への思いと「僕には時間がないんや」という切実な生き方まで取り込んで、キャラクターに厚みを持たせている。羽生を演じる東出昌大が羽生の外見と仕草をいくら似せても、表面だけの薄っぺらな感じにしかならず、生きたキャラクターになっていないのとは対照的だ。松山ケンイチ、凄すぎる。

 この2人の演技を見ていると、モデルの人物に外見を似せることが演技の決定的な要素ではないことがよく分かる。観客にモデルとなった人物との違和感を持たせないために、そして役者自身がモデルの人物にアプローチするために外見を似せることはある程度必要ではあるのだろうが、本当に求められるのはそこから先の部分だ。東出昌大を擁護しておくと、この映画の羽生の役柄には演技のしどころがない。名人を含めて7冠を達成し、女優の奥さんと結婚までしている羽生は何も持たない村山にとって完璧な人物だ。普通の映画であれば、こうした完璧な人物の性格的な欠点であるとか、主人公に対するなんらかの負の部分を設定するところだが、実在の人物なのでそれができない。だからここでの羽生は完璧という記号の存在でしかない。

 師匠の森信雄(リリー・フランキー)との強い絆を中心に据えた大崎善生の原作とは変えて、村山と羽生の2人を中心に描く構成が成功しているとは言えないのだが、それでも村山聖の描き方に不満はない。「終盤は村山に聞け」と言われた村山を象徴するエピソードがある。控え室で対局の検討をしている棋士たちが村山に「どうやったら詰むの?」と聞いたのに対して村山は「どうやったら詰まないの」と返すのだ(原作にあったのかどうか忘れたが、村山の答えは「どうやったら詰まないんですかっ」だったと思う)。

 病気がなかったら、村山は「名人になりたい」という願いを達成したかもしれない。しかし病気がなければ、入院中に将棋に出合うこともなかった。こうしたジレンマよくあるし、深刻なものでなくても人は何らかのハンディやコンプレックスを抱えているものだ。志半ばで29歳で亡くなった村山に強い共感の念を覚えるのは村山がそうした弱さを抱えているからであり、「敗れざる者たち」というフレーズを思い浮かべずにはいられない。

 WOWOWの「映画工房」にゲスト出演した森義隆監督によると、クライマックスの対局で村山が締めているネクタイと羽生が掛けている眼鏡はどちらも本物だそうだ。この場面、2人に全部の棋譜を覚えてもらい、2時間半かけて実際に指して対局を再現したのだという。

 原作の感想は1999年にReading Diary, Maybeに書いた。

2016/11/20(日)「白鯨との闘い」の本筋

 なぜ今ごろ、「白鯨」のような話を映画化するのか疑問で、劇場公開時には見逃した。Netflixで見て後半の展開に驚いた。なるほど、こちらが本筋なのか。

 ナサニエル・フィルブリックのノンフィクション「復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇」をロン・ハワード監督が映画化。2003年に邦訳された原作は映画公開に合わせて昨年、「白鯨との闘い」のタイトルで集英社文庫に入った。映画はハーマン・メルヴィルが新作を書くためにかつての捕鯨船乗組員に話を聞くという設定で始まる。新作とはもちろん「白鯨」のことだが、フィルブリックの原作はマッコウクジラによって船を壊された乗組員の漂流がメインのようで、白いクジラを出したのは映画の脚色らしい。原題はIn the Heart of The Sea。

 前半は邦題通りに、“海の悪魔”と言われる白鯨との闘いが描かれるが、後半は一転、乗組員たちの過酷な漂流の話になる。「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」が比喩的に描いたカニバリズムの話も出てくる。飢えと渇きと疲労で衰弱しきった乗組員たちがくじ引きで誰を食料にするかを決める場面があるのだ。しかし、さすがロン・ハワード、キワモノにはしていない。ハワードは古き良きハリウッド映画の伝統を守り抜いている監督なので、感動的な決着を用意している。夫の悲惨な漂流の実際を初めて知った妻が「それを知っていても私はあなたのそばにいたわ」と話す場面など、ハワードらしい在り方だ。

 僕はハワードの直球ど真ん中という演出が好きなのだが、この映画、アメリカでは評価が高くない。ロッテン・トマトで肯定的評価は43%、IMDbの採点は6.9。後半のダークな部分が受けなかったのかもしれない。主演はハワードの前作「ラッシュ プライドと友情」に続いてクリス・ヘムズワース。

2016/11/13(日)「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 主張備えたエンタテインメント

 ダルトン・トランボの名前を知ったのは監督作の「ジョニーは戦場へ行った」(1971年)が公開された時。当時はドルトン・トランボという表記だった。赤狩りによって投獄された“ハリウッド・テン”の一人であり、「ローマの休日」を匿名で書いた脚本家であることはその頃、既に知られていた。終戦後、脚本家として活躍していたトランボ(ブライアン・クランストン)は非米活動委員会に召還され、証言を拒否したために投獄される。映画はそこから復権までの道のりを仲間や家族の描写を織り込みながら描いていく。監督のジェイ・ローチはこれまでコメディの多かった人。それが功を奏したのか、ガチガチの社会派映画にはせず、きっちりと主張を備えたエンタテインメントに仕上げた。

「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」パンフレット

 刑務所から出たものの、トランボに以前のような仕事はない。「ローマの休日」は友人のイアン・マクラレン・ハンター(アラン・テュディック)の名義で映画会社に売り込み、アカデミー原案賞を受賞するが、当然のことながら仕事の依頼が来るわけではなかった。トランボはB級映画を量産しているフランク・キング(ジョン・グッドマン)の会社から安いギャラで仕事を請け負う。偽名で脚本を書いたほか、請け負った仕事は脚本家仲間に回し、それをキングが気に入らなかった場合はトランボが書き直す契約。トランボが優れた脚本を書けた理由は映画からは分からないのだが、仕事に追いまくられてバスタブにタイプライターを持ち込み、3日で1本の脚本を仕上げる姿からは一流の職人のような人だったのだなとうかがえる。そうやって書いたロバート・リッチ名義の「黒い牡牛」(1956年)もアカデミー原案賞を得た。

 映画が唾棄すべき人物として描いているのは元女優でコラムニストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)。ホッパーは非米活動委員会の手先のような言動と振る舞いをしてトランボたちを苦しめる。一方でトランボの実力を認めて「スパルタカス」の仕事を依頼するカーク・ダグラス(ディーン・オゴーマン)や「栄光への脱出」監督のオットー・プレミンジャー(クリスチャン・ベルケル)がいるし、ラジオからは非米活動委員会の活動に疑問を呈するグレゴリー・ペックやルシル・ボールの声も聞こえてくる。「アメリカの理想を守るための映画同盟」に所属していたジョン・ウェイン(デヴィッド・ジェームズ・エリオット)もホッパーに比べれば悪い男としては描かれていない。

 トランボたちを支援していた俳優のエドワード・G・ロビンソン(マイケル・スタールバーグ)は仕事を干され、非米活動委員会で証言してしまう。かつて支援してもらった金を返しに来たトランボとロビンソンが対峙する場面が印象的だ。匿名でも仕事ができる脚本家と違って、俳優は顔を隠して仕事はできない。ロビンソンは苦渋に満ちた表情でそう話すのだ。

 見ていて思うのは寛容と非寛容ということだ。自分とは異なる他人の思想・信条を全面否定し、平気で踏みにじる。赤狩りで行われたのはそういうことだった。一方的な攻撃・弾圧がまかり通る社会は間違っている。トランボは確かに共産党に所属していたが、重視したのは言論の自由を守ることであり、合衆国憲法修正第一条に明記されている言論の自由が封殺される状況に強く反発していた。映画が描いたことはハリウッドの異常な一時期、過去の話に終わるものではなく、今に通じる。

 トランボを支える妻クレオ役をダイアン・レイン、長女のニコラをエル・ファニングが好演している。ニコラが公民権運動に参加する描写などはしっかり父親の血を受け継いでいるのだなと思わずにはいられない。庭に池がある大きな家を売って、小さな家に引っ越す一家のホームドラマとしての側面が映画の幅を広げている。

2016/11/12(土)NetflixとHulu

 映画「続・深夜食堂」を見て、Netflix版の「深夜食堂 Tokyo Stories」も見たくなったのでNetflixに加入した。比較するためにHuluにも加入した。どちらも無料期間中で、いずれどちらかに絞りたいと思う。

 Netflixはネットの評価を見ると、映画の本数が少ないという意見が多い。僕もざっと見てそう感じた。Huluの方が圧倒的に多く感じる。気になったのでdTVとamazon Primeビデオも含めて映画の本数を数えてみた。dTVとamazonは本数が表示されるが、NetflixとHuluは表示されないので実際に数えるしかない。Huluは洋画と邦画の分け方ではなく、日本、米国、中国、韓国などと分けてある上に区別の仕方も怪しく、邦画の中に「ドラキュラZERO」が入っていたりするので年代別に数えた。多少の数え間違いはあるかもしれないが、結果は以下の通り。

▼dTV(見放題のみ)
洋画1316
邦画 659
計 1975本

▼Hulu
2010年代 615
2000年代 446
1990年代 178
1980年代 103
1970年代  55
1960年代  76
1950年代  40
   計1513本

▼amazon Primeビデオ
洋画1328
邦画 702
計 2030本

▼Netflix
洋画1490
邦画 700
 計2190本

 意外なことにNetflixが一番多く、Huluが一番少なかった。2番目はamazonだが、ここは洋画の字幕版と吹き替え版を別に数えているので2、3割少ないと思った方が良い。しかし、コストパフォーマンスを考えると、amazonが一番。年間3900円で、送料無料とPrimeミュージックまで付いてくるので圧倒的だ。

 収録作品に関して言うと、どこも似たり寄ったりの作品が並んでいる。見たい作品がなかったら、TSUTAYAで借りたり、amazonビデオで見たりすればいいのだから、どこに加入しても大差ない。それに映画マニアならば、収録作品の9割以上(ほとんど全部?)は見ているだろう。そう考えると、こういう動画配信サービスを選ぶ場合、映画の本数は選択基準にはなりにくいのではないか。むしろTVドラマの方が選択基準になる。シーズン全話借りると高くなりますからね。定額で一気に見た方が安くつくのだ。その意味で大人気の「ウォーキング・デッド」の最新版が見られるdTVとHuluは強いなと思う。

 Hulu以外の3つのサービスはオリジナルドラマを作っている(間違いでした。Huluもオリジナルドラマ作ってました)。同じことはWOWOWもやっている。差別化のためには有効なのだろう。僕も「深夜食堂」がなかったら、Netflix加入は考えなかったですからね。

 ケータイWatchが有料動画トップは「プライム・ビデオ」、45%が利用という記事を書いていた。ユーザーが最も多いのはやっぱりamazonで次がHuluだそうだ。Netflixはわずか9%。Gyao!や楽天SHOWTIMEにも負けているというのが意外な結果だ。でも、これ見放題だけじゃなくて有料配信の調査だから、こうなるのでしょう。

2016/10/25(火)「ウォーキング・デッド」シーズン7第1話

 「惨き鉄槌」(原題: The Day Will Come When You Won't Be)」のタイトルが付いている。今年3月放送のシーズン6のラスト、主要メンバーの誰かがバットで殴り殺されたが、殺される人間の視点で描かれたので誰が死んだのか分からなかった(殴られて画面の上から血がドロッと流れた後にもう一度バットが振り下ろされ、画面がブラックアウトする)。それがようやく明らかになった。

 僕はリアルタイムでは見られなかった。代わりにTwitterのタイムラインを見ていたら、リアルタイムで見ている人の阿鼻叫喚のつぶやきが並んだ。ネタバレも書いてあった。というわけで録画したのを見たら、それほどでもなかった(当たり前です)。

 有刺鉄線を巻いたバットで頭を叩き潰すという描写は正視に耐えない。アメリカの地上波は暴力描写の規制が厳しいが、AMCのようなケーブルテレビに関してそれはないらしい。地上波でもケーブルでも家庭で子どもが見る可能性は同じなのだから、これは少しおかしい気もする。

 それはともかく、このドラマを知らない人が見てもこの描写は正視に耐えないだろうが、数年間、このキャラクターを見続けてきた人のショックは計り知れない。特に日本では人気のあったキャラクターだから(うちの次女もファンだった)、「ウォーキング・デッドはもう見ない」という人がいるのも分かる。

 これはアメリカでも賛否あるだろうと思って。IMDbの評価を見ると、17955人が投票した段階で9.3と恐ろしく高い。10点満点が66.1%、9点が16.6%と9点以上が8割を占める。少なくともシリーズのファンはこの内容を支持しているということになる。僕は6点を投票した。ロッテン・トマトでは69%が肯定的評価。平均点は7.2となっている。