2001/11/06(火)「アカシアの道」

 アルツハイマー病にかかった母親(渡辺美佐子)と娘(夏川結衣)の物語。痴呆の母の介護という現実的な問題を扱った映画でもあるのだが、それ以上にこれは松岡錠司監督(「バタアシ金魚」)が言っている通り、母と娘の葛藤の物語になっている。回想で描かれる娘の小学生時代の描写に心が痛む。娘を生んですぐに離婚した母親は教師をしながら一人で娘を育てるが、しつけに異常に厳しい。友達が来て騒げば、頬をぶたれる。狭い団地で「お前なんか生まなけりゃ良かった」という言葉を投げつけられる。ほとんど虐待に近いとも言えるこの環境は娘にとって地獄だっただろう(パンフを読んだら、原作の近藤よう子は児童虐待をテーマにした漫画を描いた後、その裏返しでこれを描いたそうだ。やっぱり)。逃げ場がない

環境での虐待は悲劇としか言いようがない。「お前のためを思って」という言葉とともに押しつけられる親の理想ほど、子どもにとって迷惑なものはないのだ。

 娘が高校卒業後、家に寄りつかず、編集の仕事をしながら一人で生活しているのも当然なのである。しかし娘は母の痴呆症状の連絡を受け、団地に帰って来ざるを得なくなる。母親の痴呆は徐々に進み、記憶が混乱し、必然的に以前のように罵詈雑言を浴びせられる。徘徊して家に戻れなくなる、アイロンをつけたままにする、火事になりそうになる。その一方で娘の恋人は母親がアルツハイマーと知って離れていく。介護を頼もうと思っても、公的介護は順番待ち。民間に頼めば費用がかかる。そんな風に主人公は追いつめられていく。

 娘は叔母(藤田弓子)から母親がすぐに離婚したのはその前に失恋があったかららしいと聞かされる。父親との結婚もその反動だったらしい。それと子どもに対する虐待とは次元の違う話なのだが、人間の心理はそう簡単ではないのだろう。

 結論を出しにくいテーマで、ラストの処理も難しい。「私、小さい頃、こうやってお母さんに手を握ってもらいたかったの。お母さんはしてくれなかったけど、私は握ってあげる」。母親の生き方を理解できたことで、娘は痴呆がさらに進んだ母親にそう話す。家族の再生、というよりは真の親子関係への変化を示唆して映画は終わる。松岡監督は重いドラマを緊密に演出し、ただの介護問題啓発映画などにはしなかった。渡辺美佐子は当然のことながらうまく、夏川結衣も好演している。