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2001年11月06日の記事

2001/11/06(火)「ソードフィッシュ」

 最初の方に出てくるトーバルズという人物のモデルはリーナス・トーバルズ(言うまでもなく、Linuxの創始者)じゃないかというスレッドが2ちゃんねるにできていた。北欧出身という設定でこの名前であれば、脚本家も当然それを意識したのだろう。この映画に出てくるハッカーの描写は、ま、映画だから仕方がないのだが、GUIであれこれするというのはあまりリアルではない。トロイの木馬にしたって、しこしこプログラミングしなきゃダメでしょう。ま、出来合いのもの(あるのか?)を使えばいいが、それじゃあ一流ハッカーとは言えない。

 そんな些末なことを抜きにすれば、映画はまず面白い。冒頭のスローモーションを使った爆発シーンからカッコイイ。それから4日前に飛ぶ構成もなかなか(「ファイト・クラブ」みたいだが)。そしてなによりもテーマが今の世相にあまりにもピッタリしすぎている。この映画、アメリカでは今夏、「パール・ハーバー」を抜いて1位になったそうで、製作者も監督もその時点では、同時テロのことなど知らなかったのだから、なかなか先見の明がある。もう少し公開時期が遅れていたら、アメリカでは公開が延期されていたのではないか。最後にビンハザード(!)というテロリストの名前まで出てくる。

 世界一のハッカー、スタンリー(ヒュー・ジャックマン)が謎の組織からスカウトされる。スタンリーは過去にFBIのサーバーをクラックして逮捕され、コンピューターに触ることを禁止されていたが、別れた妻から娘を取り返す金を得るため、仕方なく協力することになる。組織のボス、ガブリエル(ジョン・トラボルタ)は謎に包まれ、天才的頭脳と冷静な判断、冷酷な審判を下すカリスマ的人物。ガブリエルはスタンリーに政府の闇資金95億ドルをコンピューターで盗むよう仕向ける。組織内にはこれまた謎の美女ジンジャー(ハル・ベリー)がおり、敵なのか味方なのかはっきりしない。ガブリエルの動きをつかんだFBIのロバーツ(ドン・チードル)は組織を追跡する。

 映画は冒頭、「狼たちの午後」(1975年のアル・パチーノ主演映画。アカデミー脚本賞受賞)について延々と話すジョン・トラボルタで幕を開ける。なんだこれはと思っていると、組織は既に銀行に人質をとって立てこもり、金を奪おうとしているところだった。人質には高性能爆弾が仕掛けられ、銀行から離れると爆発する仕掛け。1人が警察に救助されるが、銀行から離れた途端、大爆発を起こす。パトカーや警官がスローモーションで宙を飛ぶこの場面は秀逸だ。途中、テンポが落ちる場面もあるが、ドミニク・セナ監督(「60セカンズ」)の演出はアクション場面の切れ味がいい。

 ヒュー・ジャックマンとハル・ベリーの「X-メン」コンビもいいが、それ以上にトラボルタがはまり役と言える好演。映画全体にどこかB級の雰囲気が抜けきれていないところにかえって好感が持てる。

2001/11/06(火)「アカシアの道」

 アルツハイマー病にかかった母親(渡辺美佐子)と娘(夏川結衣)の物語。痴呆の母の介護という現実的な問題を扱った映画でもあるのだが、それ以上にこれは松岡錠司監督(「バタアシ金魚」)が言っている通り、母と娘の葛藤の物語になっている。回想で描かれる娘の小学生時代の描写に心が痛む。娘を生んですぐに離婚した母親は教師をしながら一人で娘を育てるが、しつけに異常に厳しい。友達が来て騒げば、頬をぶたれる。狭い団地で「お前なんか生まなけりゃ良かった」という言葉を投げつけられる。ほとんど虐待に近いとも言えるこの環境は娘にとって地獄だっただろう(パンフを読んだら、原作の近藤よう子は児童虐待をテーマにした漫画を描いた後、その裏返しでこれを描いたそうだ。やっぱり)。逃げ場がない

環境での虐待は悲劇としか言いようがない。「お前のためを思って」という言葉とともに押しつけられる親の理想ほど、子どもにとって迷惑なものはないのだ。

 娘が高校卒業後、家に寄りつかず、編集の仕事をしながら一人で生活しているのも当然なのである。しかし娘は母の痴呆症状の連絡を受け、団地に帰って来ざるを得なくなる。母親の痴呆は徐々に進み、記憶が混乱し、必然的に以前のように罵詈雑言を浴びせられる。徘徊して家に戻れなくなる、アイロンをつけたままにする、火事になりそうになる。その一方で娘の恋人は母親がアルツハイマーと知って離れていく。介護を頼もうと思っても、公的介護は順番待ち。民間に頼めば費用がかかる。そんな風に主人公は追いつめられていく。

 娘は叔母(藤田弓子)から母親がすぐに離婚したのはその前に失恋があったかららしいと聞かされる。父親との結婚もその反動だったらしい。それと子どもに対する虐待とは次元の違う話なのだが、人間の心理はそう簡単ではないのだろう。

 結論を出しにくいテーマで、ラストの処理も難しい。「私、小さい頃、こうやってお母さんに手を握ってもらいたかったの。お母さんはしてくれなかったけど、私は握ってあげる」。母親の生き方を理解できたことで、娘は痴呆がさらに進んだ母親にそう話す。家族の再生、というよりは真の親子関係への変化を示唆して映画は終わる。松岡監督は重いドラマを緊密に演出し、ただの介護問題啓発映画などにはしなかった。渡辺美佐子は当然のことながらうまく、夏川結衣も好演している。