2006/01/17(火)「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」パンフレット数々の賞に輝くデヴィッド・オーバーンの戯曲「プルーフ/証明」をジョン・マッデン監督とグウィネス・パルトロウの「恋におちたシェイクスピア」コンビで映画化。マッデンとパルトロウは2002年のロンドンの舞台でも演出・主演を務め、高い評価を受けたという。手慣れた題材のはずだが、なかなか話が見えてこない映画の前半が思わしくない出来なのは映画化にあたって付け加えたという葬儀とパーティーのシーンがやや精彩を欠くためか。舞台劇らしく会話が多いことも映画的なノリにブレーキをかけているようだ。

 しかし、後半、世紀の数学の証明に関する話になって映画は輝き始める。天才的な数学者でありながら精神を病んだまま死んだ父親から、その負の側面までも受け継いだと思いこみ、精神的に不安定な娘の再生への光を映画はくっきりと浮かび上がらせるのだ。この父と娘はロン・ハワード「ビューティフル・マインド」のラッセル・クロウのように精神を病んでいるけれども、天才的なひらめきを持っていて、そこがとても興味深い。化粧気のないパルトロウの演技は繊細で、ある意味、エキセントリックで感情移入しにくいヒロインに複雑な陰影を与えている。知的な女優だなと思う。

 映画は27歳の誕生日に一人でシャンパンを飲むキャサリン(グウィネス・パルトロウ)と父親ロバート(アンソニー・ホプキンス)の会話で始まる。話しているうちに父親は1週間前に死んだことが分かる。黒木和雄「父と暮せば」を思わせるシチュエーションだが、それはここだけ。3年前、精神を病んだ父親が1年間だけまともだったころの思い出から始まって過去と現在を行き来しながら、映画は父娘の関係とキャサリンの苦悩、ロバートのかつての教え子ハロルド(ジェイク・ギレンホール)やキャサリンとは対照的な姉クレア(ホープ・デイビス)との関係を描いていく。ロバートは20代のころ、数学の世界で次々に偉大な功績を残し、天才と言われたが、その後、精神を病んだ。ハロルドと親しくなったキャサリンが1冊のノートに書かれた世紀の数学の証明を書いたのは自分だと話す場面からがこの映画のメインで、筆跡がロバートのものだとして信じないクレアとハロルドにキャサリンは絶望する。通貨アナリストとして成功しているクレアは現実的なタイプで、キャサリンが父親の病気を受け継いでいると思っており、自分の住むニューヨークに連れて行こうとする。

 人生の証明などと分かった風な意味を付け加えたこの邦題は直截すぎるばかりか意味を限定して良くないと思うが、確かに映画が描くのは数学の証明の秘密とそれを通して自分の人生の証明を果たしていくキャサリンの姿である。脚本はデヴィッド・オーバーン自身と劇作家アーサー・ミラーの娘レベッカ・ミラーの共同。映画的に際だった手法はないけれども、オーソドックスな作りではあり、舞台を楽しむように見る映画なのだと思う。

 劇中、ロバートが口にする「人間の頭脳の頂点は23歳」という言葉は、それをとうに過ぎた年代のものとしては悲しいが、これは天才だからこそ感じる不安なのかもしれない。そしてその不安こそが精神を病む引き金になったのかもしれないと思う。99%のパースピレーションと1%のインスピレーションからなる天才はインスピレーションを生むためにもがき苦しんでいるのだ。