2006/09/03(日)「グエムル 漢江の怪物」

 「グエムル 漢江の怪物」パンフレット映画の冒頭、米軍が大量のホルムアルデヒドを下水に流す場面は韓国で2000年に実際にあった事件だそうだが、たかがホルムアルデヒドぐらいで巨大化した突然変異の怪物ができるわけはないと思う。監督のポン・ジュノはしかし、そんなことは単なる設定だよと言わんばかりに、怪物に娘をさらわれた家族の奮闘をユーモアを絡めて徹底的にエンタテインメントに描いていく。

 怪獣映画の中には怪獣の出てくる場面だけが見所で、あとは延々と退屈という作品がよくあるけれど、この映画の場合、家族を描いた部分が怪物登場シーン以上に面白い。というか、おかしい。このユーモアは登場人物のキャラクターと直結していて、主人公のソン・ガンホは小さいころ頭が良かったのに成長時にタンパク質がたりなくて今のようになってしまったとか、出てくるアメリカ人科学者がなぜか斜視であったりとか、ソン・ガンホの妹と弟も駆けつけた合同葬儀の場面のドタバタとか、怪物追跡で疲れきって寝入ってしまう場面とか、頭からウィルスを採取されようとするソン・ガンホの手術の場面とか、ほとんど冗談かと思える描写が多くて実におかしい。この面白さはポン・ジュノの前作「殺人の追憶」に共通するもので、この作り方がポン・ジュノの個性なのだなと思う。こうしたユーモアがキャラクターの分厚い肉付けとなっている。それはあらゆる映画に必要なものであるにもかかわらず、書き割りみたいな類型的キャラクターが怪獣映画には多くてうんざりするのだが、基本的に映画作りのうまい監督が撮ると、やはり映画は面白くなるのだった。怪物自体に新機軸はないものの、怪物映画の快作になり得たのはそのうまさがあるからにほかならない。

 怪物をゴジラのように巨大化しなかったのは賢明で、あれぐらいの大きさなら家族で対抗できると思う。巨大鮫や巨大熊が出てくる動物パニック映画と基本的には同じ作りなのである。惜しむらくはこの映画、軍隊が登場しない理由が明確には描かれない。あんな怪物、バズーカ砲を一発見舞ってしまえば、終わりだろう。

 漢江から謎の怪物(グエムル)が現れ、人々をむさぼり食う。漢江のそばで売店を営むパク・ヒボン(ピョン・ヒボン)は長男のカンドゥ(ソン・ガンホ)とその娘ヒョンソ(コ・アソン)と暮らしていたが、ヒョンソが怪物にさらわれ、水の中に消える。弟のナミル(パク・ヘイル)とアーチェリーの選手でもある妹のナムジュ(ペ・ドゥナ)が犠牲者の合同葬儀に駆けつけるが、怪物は謎のウィルスの宿主だったとして韓国政府は怪物に接触した人々を隔離する。その夜、カンドゥの携帯にヒョンソから電話が入る。ヒョンソは生きていたのだ。家族4人は病院を抜け出し、武器を調達して怪物が逃げ込んだ下水道を探し始める。

 グエムルが橋の欄干からゆっくりと水中に落ちる場面の動きなどは「エイリアン」を参考にしたのかと思う。同様に娘をさらわれるのも「エイリアン2」の設定を借りているのだろう。家族で怪物に対抗するのは「トレマーズ」あたりか。僕はなんとなくこれまたB級怪物映画の快作「ミミック」(1997年、ギレルモ・デル・トロ監督)も連想したが、パンフレットでポン・ジュノ、やはり「ミミック」に影響を受けていると語っていた。ペ・ドゥナの役柄はアーチェリーで銅メダルを取った選手だから、これはクライマックスにそれを利用するシーンがあるだろうと思っていたら、やはり。その使い方も工夫があって面白かった。

 怪物のデザインはWETA社が担当したそうで、魚とトカゲを組み合わせたような造型はよくできている。CGのスピーディーな動きが凶暴性を感じさせて良かった。それにしてもこの怪物、1匹だけではないだろう。続編も期待できるが、有能なポン・ジュノは同じことを2度はしないような気がする。