2000/06/15(木)「マン・オン・ザ・ムーン」

 1984年に35歳で亡くなったコメディアン、アンディ・カフマンを描いた映画。監督はミロシュ・フォアマンで手際よい演出を見せるのだが、今ひとつカフマンの真実には迫れなかったような気がする。だいたい、こちらがカフマンに関する知識を持ち合わせていないので、このコメディアンが実際にはどういう位置づけだったのか良く分からないのだ。

 カフマンは独特のコメディに関する考え方を持っていたようで仲間さえもひっかけて楽しむ。笑わせることを重視してさえいないように見える。分からないのは途中で女性相手にプロレスを展開するくだり。本気なのか、冗談なのか見分けがつかない。あれを本当にコメディと考えていたのだとしたら、ちょっと違いますね。映画ではテレビでプロレスを見ていたカフマンが不意にヒール(悪役)になることを思いつくのだが、実際にはどうだったのだろう。そのあたりがとても気になる。大学での公演で延々と「華麗なるギャツビー」を読むというのもよく分からない。

 映画自体は良くできていて、主演のジム・キャリー(カフマンよりはるかに才能あふれるコメディアンだ)も熱演している。キャリーはこの映画でゴールデングローブ主演男優賞を受賞したが、アカデミー賞にはノミネートさえされなかった。ま、それがコメディアンには冷たいアカデミーの体質というものだろう。カフマンと親しくなるリン役コートニー・ラヴも良かった。

 どうでもいいことだけど、カフマンの綴りはKAUFMAN。フィリップ・カウフマンなどと同じなのだ。なぜ、読み方がちがうんでしょうか。

2000/06/07(水)「プロポーズ」

 バスター・キートン「セブン・チャンス」のリメイク。主演は「バットマン」のロビンことクリス・オドネルだから、キートンが「セブン・チャンス」の後半で見せたような体技ができるわけがない。映画はロマンティック・スラップスティック・コメディとなる。

 脚本はアイデアを詰め込んでいるように見えるけれど、あまりうまさを感じさせない。つまり下手。2度もプロポーズに失敗した主人公が3度目の正直で行うプロポーズにも説得力がない。相手役のレニー・ゼルウィガーは悪くないが、良くもない。ゲスト出演のブルック・シールズの使い方はあまりと言えば、あまりでしょう。

 この映画、ほとんど客が入っていないという。ならば、「ああ、『プロポーズ』見逃したの。あれは拾いものだったよう」などと言いたくなるが、言えない。決してダメな映画ではないけれど、見逃してもいっこうに構わない。

2000/06/01(木)「ミッション・トゥ・マーズ」

 ブライアン・デ・パルマ初の宇宙SFである。NASAが全面協力したとかで、素晴らしくリアルな宇宙の場面を見ることができる。実際、中盤までは「2001年宇宙の旅」を思わせる傑作。いやSFXのタッチも全体のストーリーもそうで、これはデ・パルマ流「2001年」なのだろう。~

 流星塵(宇宙塵?)の宇宙船衝突→修理→故障→脱出→火星への自由落下(フリーフォール)と続く中盤はとてもいい。全然関係ないけど、僕はロバート・ワイズ「アンドロメダ…」のリアルさを思い出した。共通点は宇宙SFに関係のない監督が演出したハードSFというだけなんですけどね。それと、フリーフォールの場面はガンダムですね。こんな場面、実写では初めて見た。ここだけでも貴重です。~

 がっかりするのはラストがあまりにもありきたりの話に落ち着くこと。30年前だったら、これで良かったのかもしれないが、もはやこの決着では古すぎる。宇宙人の造型も含めて新鮮味に乏しいのである。脚本(グラハム・ヨスト)にだれかSF作家を加えた方が良かったと思う。

2000/05/24(水)「アンドリューNDR114」

 パンフレットを読んだら、アイザック・アシモフの原作はアメリカ建国200年に合わせて書かれたのだという。うーん、そんなに前ですか。僕が読んだのが20年ほど前だから、ま、計算は合う。ロバート・シルバーバーグがアシモフの中編を長編化しており、クレジットにはシルバーバーグの名前も出た。

 映画はアンドリューとポーシャの関係(いわば200年にわたる愛)に重点を置いたのが良い。アンドリューがなぜ、人間を目指すのかこれで分かり易くなった。人は(ロボットだが)愛のためならなんでもするのである。たとえそれが不死を捨てることであっても。全体的にクリス・コロンバスらしい映画になっており、原作を引きずったマニアックな部分もあるが、アンドリューとポーシャの関係で一気に大衆性を備えましたね。

 ポーシャ(リトル・ミス)を演じるのはエンベス・デイビッツ。「シンドラーのリスト」で残忍なナチスの大尉のメイドを演じた女優で、清潔な感じが大変いい。

 アシモフのロボット工学3原則が映画で描かれたのも初めてではないかと思う。ただしアンドリューは最初の方でそれを破ってしまう。子どもから命令されるまま窓から飛び降り、自分を傷つけてしまうのだ。これはちょっと気になる。アンドリューは特殊なロボットだったという設定だけれど、もともと回路に少し異常があったから飛び降りたのか、飛び降りて壊れたため特殊になったのか、判然としない。意外にこういう部分は重要なのである。おそらく、脚本のニコラス・カザン(「運命の逆転」ほか)、SFを理解していないのだろう。

2000/05/18(木)「どら平太」

 悪役の設定が弱いと思う。すごい悪役が登場しない。いや、ホントはいるのだが、極悪非道の悪役には見えない。ワルぶりが描かれず、ホントに困っている人が描かれないからだ。娯楽痛快時代劇と言って良い映画で、確かに主人公(役所広司)は豪快である。でも主人公が強すぎて、すべては予定調和の世界に見えてしまう。

 驚いたことに死人は1人だけ。しかも切腹だ。主人公は凄腕の剣の持ち主だが、すべて峰打ちで1人も斬らない。3人の親分たちもユーモラス(菅原文太も含めて)。この親分たちの行為を黙認し、裏でつるんでいる家老たちもユーモラス。主人公もユーモラス。脚本のテンポもゆったりしている。例えば、黒沢明「用心棒」と比べれば、この映画の弱さははっきりするだろう。あの中で桑畑三十郎(三船敏郎)は瀕死の重傷を負わされた。町人たちも2人の親分に苦しんでいる。そうした怒りがクライマックスに爆発し、圧倒的なアクション(チャンバラ)につながった。エモーショナルな高まりがこの映画には不足している。いわゆるロウ・ポイント(主人公が苦況に陥る場面)がないので、悪を倒してもカタルシスが少ないのである。

 だがしかし、僕はこの映画好きである。冒頭の“銀残し”から始まって、市川崑おなじみの明朝体のタイトル。そして主人公とその友人が語り合う場面で一瞬挿入されるコマ落とし。細かいカット割り。市川崑の技術は少しも衰えてはいない。それがうれしい。四騎の会で残っているのはもはや市川崑だけ。この映画にかける意気込みには相当なものがあったはずである。それが画面の端々に感じられる。

 昨年秋のあのしょうもない「梟の城」から始まった時代劇復活は少なくとも大島渚「御法度」とこの「どら平太」という見どころのある作品を残した。それだけでも価値があったと思う。