2005/10/06(木) 金は出すが口も出す

 キネ旬10月下旬号の山根貞男「日本映画時評」でなみおか映画祭の終結を知った。経緯については中世の里 なみおか映画祭に詳しいが、要するに神代辰巳の特集(当然、にっかつロマンポルノも含む)を上映しようとしたら、合併したばかりの青森市教育委員会が文句を付けてきたという話である。「住民の理解が得られない」というのが公式の理由。つまり市が補助金を出し、会場を貸す映画祭にロマンポルノはふさわしくないという判断である。

 「住民の理解が得られない」とは、住民からの「市の補助金でロマンポルノを上映するとは何事か」という批判が怖いにすぎないのだろう。よくよく目の(頭の)不自由な哀しい教育委員会なのだと思う。まあ、一部のバカな市民の批判が怖いのは理解できなくもないけれど、そうした姿勢で教育を担当しているようでは程度が知れる。

 ただ、これに類した話は僕も個人的に10年ほど前に身近に聞いた。それは映画祭ではなかったけれど、「金は出すが口も出す」行政のわずらわしさは同じだった。とりあえず、大過なくすませることを第一義的に考える教育委員会が教育を担当しているのはおこがましいと思う。体面だけを気にした姿勢からどんな教育が生まれるというのか。真実が見えない、うわべだけを取り繕った人間を生むだけではないのか。

2005/09/30(金) どぜうなべ

 午前7時前に起床。激しい二日酔い状態。昨夜は知人のIさんに連れられて浅草の駒形どぜうへ。僕はもちろん初めてだが、Iさんも20数年ぶりだそうである。その前に浅草寺にも寄る。夜なので観光客は少ない。参道の店の多くも閉まっていたが、ライトアップされた浅草寺はそれなりに風情があっていい。

 どぜうなべをつつきながら、ビール、日本酒、焼酎。焼酎は甲類と乙類があったので、両方飲んでみた。乙類の方はカストリだそうで、なんだか泡盛みたいな味がした。調子に乗って飲み過ぎたようだ。

2005/09/29(木) 携帯と航空券

 空港の改札で航空券を通したらエラー。「磁気が弱くなっているようです」と言われる。マイルの登録時にもエラーが出ていたので、予想はしていた。先日、航空券を携帯と一緒にバッグに入れていたのが原因らしい。バッグに入れたまま、飲みに行き、7、8時間そのままだったものなあ。これも携帯の電磁波のせいか?

 先月行った沖縄では家内と子供の航空券が同じ状態になった。けっこう、あることのようだ。というわけで、明日まで東京出張。といっても、あまり見るべき映画はないな。

2005/09/28(水) Quicktime 7 Pro購入

 iTunesをアップデートしたら、Quicktime7をインストールするかどうか聞いてきたので、まあいいやと思い、インストール。途中で古いQuicktimeのライセンスキーは使用できませんと出る。はいはい。Quicktimeを起動して設定から登録ボタンを押し、Apple Storeへ行って購入手続き(消費税込み3400円)。以前のIDとパスワードが使えた。ついでにメールアドレスを@niftyからさくらに変更しておいた。

 Quicktimeをインストールすると、秀丸マクロファイルのアイコンがQuicktimeのものに変わる。もう慣れたので、フォルダオプションから、まずアイコンを変更(hidemaru.exeを選ぶと、マクロファイルのアイコンも出てくる)し、その後に関連づけるアプリケーションを秀丸に設定。これでOK。

2005/09/27(火) 「リバーヘッド」

 「リバーヘッド」チラシ24日の日記を読んだ家内が「ふるさときゃらばんの公演、行く?」と聞いてきた。なんと、きょう公演があるというのだ。ああいうことを書いた手前、見ておかないとまずいだろう。家族5人で県立芸術劇場演劇ホールへ行く。ふるさときゃらばんの公演を見るのは「瓶ヶ森の河童(かめがもりのしばてん)」(2002年10月26日の日記参照)以来、ほぼ3年ぶり。

 ホームページの解説には「上流と下流の心をつなぐ新しいMUSICAL 森と川と水源地のものがたり」とある。対象は小学生以上。なるほど、子どもでもよく分かるように作られている。というか、この作りは子どもを意識したものだと思う。

 第一幕は狩猟で暮らしていた人間が農耕へと移る過程を描く。人間たちに米作りを教えるのは中国から海を渡ってきた河童(この河童、「瓶ヶ森の河童」に出てきた河童と同じである)。山奥の村で暮らしていた人々は豊かな暮らしを求めて川下に下りてくる。田んぼを作り、橋を架け、都会との交易で豊かな暮らしをするが、やがて暴風雨が来て、橋は流れ、田んぼも畑も泥に埋まる。山へ帰ろうという人もいるが、もう一度橋を架けようという声が大きくなり、「橋を架けよう、橋を架けよう」という合唱で一幕は終わる。

 第二幕はいきなり現代の話。雨が2カ月も降らず、渇水に見舞われた都会は断水する。ある家族が「水はどこから来るんだろう」と山奥の村へ出かける。そこにはダムがあり、かつての村はダムに沈んでいた。一度は村を捨て、都会に出た人々が帰っており、一人の老人が「川下へ行った孫娘のためにダムの建設に判を押した」と話す。都会の暮らしは便利だが、パチンコなどの遊びにはすぐに飽きる。などという場面を描いた後、地球の水がどこから来たかという説明になり、最後は「地球は水の惑星」という合唱となる。

 子ども向けの作りと感じたのはこうした水の説明があるからだ。ドラマとしても総論で終わった観がある。最初にテーマありきの作りなのだ。だからあまり心に響かない。こういうドラマは各論の方が面白くなる。孫娘の幸せのために判を押したじいさんの話を取っかかりに話を作っていけば、具体性が出たのではないかと思う。

 「戦後最大の台風14号の被害に遭われた皆さんにお見舞い申し上げます」。舞台終了後、団員の一人が言った。洪水があったり、断水があったりでタイミング的にはぴったりというか何というか。しかし、そうしたことを言うふるさときゃらばんの姿勢も団員の熱意も好ましいと思う。ホームページを見ると、子ども向けの作品が多いようだ(「走れ!ケッタマシン」は違うのか?)。家族そろって楽しめるミュージカルが方針の一つなのかもしれないが、次は大人向けのミュージカルを見せて欲しい。