2000/12/25(月)「バトル・ロワイアル」
見る前に思っていたのは「中学生同士で殺し合ってどうする。そんなエネルギーがあるなら、そういう状況に追い込んだ大人に刃向かえ」ということ。これは映画を見終わった今もそう思う。本来であれば、“子どもたちの復讐”的意味合いがなければならないと思う。この映画は現在の状況を映しているわけでもないし、単なる殺し合いの映画でもない。アクション映画でさえないが、面白くてしょうがなかった。エネルギッシュで息を抜ける場面がなく、見終わると、頭がクラクラした。これは傑作の証拠である。
端的に言って深作欣二の映画としては「仁義なき戦い」に匹敵する出来と思う。深作欣二はこの映画に関して、空襲で仲間がバタバタ死んだという自分の15歳のころの原風景を語っているが、その通り、極限状況を描いた映画として戦争映画に近いものがある。クラスメートを殺さなければ、自分も死んでしまう。そんな状況に置かれた人間はどういう行動を取るのか。そういう側面を描きつつ、主人公2人には決して人を殺させず、ヒューマンに描いている。この2人と行動を共にする転校生の川田(山本太郎)が一つのキーポイントで、このキャラクターに先ほど書いた復讐の意味合いをもっと持たせた方が良かったかもしれない。
黒沢明やチャップリンのヒューマニズムが僕は嫌いだが、深作ヒューマニズムは納得できた。さまざまな欠点があるのは承知しているけれど、今年見た映画のベストと思う。
2000/12/16(土)「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」
平成ゴジラシリーズの設定をすべてなかったことにして、一から始める発想はいいのだが、肝心のメガギラスとの対決となるクライマックスが極めて退屈。工夫も何もない戦い方である。ここがダメなので映画全体もダメな感じを受けてしまう。
メガギラスは「ラドン」に出てきた古代のヤゴ怪獣メガヌロンの進化系である。ヤゴがトンボになってメガニューラになり、その中の一匹が仲間から養分をもらって巨大化したのが、メガギラスというわけ。「ガメラ2 レギオン襲来」の影響がありありで、多数のメガニューラが群舞し(ここは素晴らしい出来)、ゴジラに張り付く様はレギオンそのものだった。自衛隊の隊長役で永島敏行が出てくるのもガメラの影響だろう。永島敏行はすぐにゴジラの犠牲になり、その部下の田中美里がゴジラへの復讐を誓うというのはなかなか良い設定。この導入部分を見たときは期待通りの出来かなと思ったんですけどね。科学者役で星由里子というのは何かの冗談でしょう。
メガニューラの出来はいいのだから、これにもっと活躍させてほしかった。人間をもっと襲わないとダメでしょう。小学生のころ、「ラドン」のメガヌロンを見たときは人間を次々に襲う様子がとても怖かったが、この映画の中では犠牲になるのは2人だけ。やはり子供向けを意識したのだろうか。
2000/12/05(火)「顔」
ラストがいかにも阪本順治らしい。引きこもり状態からアクティブになった主人公の行動としてはあれしかあるまい。仲の悪い妹を発作的に殺してしまったことで、主人公の中村正子(藤山直美)はクリーニング店の2階でミシンを踏む日常から逃げ出さざるを得なくなる。その過程で正子は35歳にして初めて外の世界を本当に体験することになる。駅で降り立った時の外の世界のまばゆさはそれを象徴している。そして母親の庇護のもとでおどおどと暮らしていた正子はしだいにしたたかになっていく。
という風にストーリーを語っても阪本順治の映画の魅力は伝わらないだろう。阪本映画の良さはその表現の仕方にある。キャラクターが立っており、端役に至るまで実に人間味にあふれている。母親役の渡辺美佐子、酔っぱらいおやじの中村勘九郎、別府のスナックのママ大楠道代など実にいい味なのである。細部の描写のうまさがこれに加わるので、映画がとても豊かになる。
これぐらいの描写を邦画の水準にしたいところ。まず人間を描くことが重要なのは映画でも小説でも同じなのだろう。