2003/10/11(土)「インファナル・アフェア」
香港で大ヒットして、ハリウッドが史上最高額でリメイク権を買ったという話題作。麻薬組織に潜入した捜査官(トニー・レオン)と組織に内通した警察官(アンディ・ラウ)をサスペンスフルに描く。レオンとラウはどちらも好演しているが、それよりも脚本の出来が良く、オリジナリティーに富んでいることが映画の完成度を高めている。演出に稚拙な部分が一部あり、脚本にもご都合主義的な部分はあるのだが、独自のアイデアをたくさん詰め込んだ姿勢には好感が持てる。映画はやはりスジだなという思いを新たにする。
冒頭、警察学校での2人の描写は音楽があまりにも画面とマッチしていなくて、不安を覚えるのだが、10年後の麻薬取引の場面から好調である。ヤン(トニー・レオン)は黒社会に潜入して10年。潜入捜査官であることを知っているのは警察の上司で組織犯罪課のウォン警視(アンソニー・ウォン)だけとなっている。マフィアに深く関わったため、アイデンティティーを見失い精神カウンセリングに通うようになった。今、潜入しているのはサム(エリック・ツァン)の組織。この組織が近く大規模な麻薬取引をすることが分かり、ウォンに連絡。しかし、組織犯罪課にはサムの内通者であるラウ(アンディ・ラウ)がいた。モールス信号でウォンに連絡を取るヤンとサムの携帯電話に情報を流すラウを描くこの場面のサスペンスが秀逸だ。取引は失敗に終わるが、間一髪でドラッグを廃棄されたことから証拠もなくなり、警察はサムを逮捕することはできない。同時に双方の組織に内通者がいることが表面化し、どちらでもスパイ捜しが始まる。
ご都合主義と思えたのはラウがこの後、都合良く内部調査課に異動し、マフィアのスパイ捜しを担当することだ。おまけにヤンの方も警察のスパイ捜しをサムから命じられる。ここを除けば、慎重に伏線を張った脚本は満足いくもので、物語の決着の付け方も意外性があって納得できるものである。ヤンが通う精神分析医役のケリー・チャン、ラウの婚約者役サミー・チェンなどの女優陣が良く、ウォン役のアンソニー・ウォンも渋い演技でいい。
原題の「無間道」は善と悪の間で揺れ動き、無間地獄のように終わらない責め苦が続くヤンとラウの境遇を表しているようだ。監督はアンドリュー・ラウとアラン・マックの共同。香港では既に2人の過去を描く第2作が公開され、年内にはこの映画の続きとなる第3作も公開予定という。
2003/10/06(月)「陰陽師II」
同じスタッフ、キャストで作った2年ぶりの続編。前作は野村萬斎のセリフ回しと存在感が強烈だった。映画の出来はそれほどでもなかったが、野村萬斎だけで満足できた。今回は逆である。いや、セリフ回しや横目でにらむ野村萬斎の存在感は今回も健在なのだが、クライマックスの踊りのシーンでがっかりさせられる。原作者で脚本にも加わっている夢枕獏はこの2作目について「萬斎さんにたっぷり踊ってもらいたい。それだけだったんです」とパンフレットで語っている。前作のクレジットで流れた野村萬斎の踊りが気に入ったのだという。僕は前作のクレジットの部分だけ何とかならないのかと思ったので、これとは正反対の意見である。
そのクライマックスは天岩戸に隠れた(死んだ)日美子(深田恭子)を甦らせるために安倍晴明(野村萬斎)が女装して舞うというもの。天岩戸神話をなぞった展開なのだが、いくらなんでもアメノウズメの舞を女装した晴明にさせることはないだろう。巫女の姿をして紅を塗る晴明はちょっと勘弁してほしい。加えて、この踊りがどう影響して日美子が姿を現すのか、その理由が説明されない。ただ単に神話をなぞっただけである。今回は話自体が神話を基にしたものではあるけれど、神話そのものではないのだから、ここはちゃんとした説明が必要だろう。神話ではこうなるからこうなるのだではお話にならない。
京の町では夜な夜な鬼が現れて貴族たちを襲い、その体の一部を食う事件が起こっていた。藤原安麻呂(伊武雅刀)の家で鬼封じの儀式に列席した源博雅(伊藤英明)は安麻呂の娘で男勝りの日美子(深田恭子)に目を奪われる。日美子は夜になると、夢遊病のようにさまよい歩くが、本人はそのことを憶えていない。鬼の事件に日美子がかかわっているのではないかと恐れた安麻呂は安倍晴明(野村萬斎)に調査を依頼する。鬼はこれまでに6人を犠牲にして、体の違う部分を食らっていた。晴明は封印されたヤマタノオロチの力を解き放つために何者かが天岩戸神話にかかわる子孫を襲っていることを突き止める。鬼の正体は博雅と最近知り合った少年・須佐(市原隼人)だった。須佐の腕には日美子と同じ謎の印があった。須佐は、不思議な力を持ち庶民から神と敬われている幻角(中井貴一)に操られていた。
話としては悪くないが、映画を見ると、何だか簡単なものだなと思えてしまう。前作は第1作だけに色々な小さなエピソードが描かれたが、今回はこの話だけである。広がりがないのはそのためか。VFXは取り立てて優れているわけではないし、語り口も普通。要するに凡作なのである。
個人的には安倍晴明はスーパーヒーローであってほしいと思う。しかし、夢枕獏も監督の滝田洋二郎も晴明をそうは描いていないし、描くつもりもなかったようだ。博雅の笛の音が今回も大きな役割を果たし、晴明の危機を助ける場面がある。前作でもちょっと不満だったクライマックスにVFXの炸裂がない。晴明の踊りはクライマックスを支えるだけの見せ場になっていない。敵の設定は考えてみると、かわいそうな被害者であり、凶悪な存在ではないから、何だか同情してしまう(これが一番の敗因かもしれない。凶悪で強力な敵がほしいところなのである)。と、不満ばかりが出てきてしまう。パッケージングは面白そうに思えるのに、物語の詰めが足りなかったようだ。