2004/06/08(火)「デイ・アフター・トゥモロー」

 SPFXという懐かしい表記もあったが、映画のクレジットに流れるビジュアル・エフェクトスタッフの数の多さに驚く。これだけのスタッフを動員して、リアルな竜巻や津波、吹雪、氷の世界を描き出したわけであり、ビジュアルだけが眼目としか思えないほどストーリーは恐ろしく簡単なものである。

 地球温暖化の影響で極地の氷が溶け、海水に流入したことで、海流の流れが変わり、それが異常気象を引き起こして、結果的に氷河期が訪れる。ローランド・エメリッヒ監督はこのプロットに、事態を予見した古代気象学者の主人公(デニス・クエイド)がニューヨークの氷の世界に閉じこめられた息子(ジェイク・ギレンホール)を救出しようとする姿を加えて、映画を構成している。ちょうど昨年の今ごろ公開された「ザ・コア」では科学者たちが止まってしまった地球の核の流れを動かそうとする姿を描いて失笑するしかない内容に終わっていたが、さすがにエメリッヒはそんなバカではない。もう最初から最後までビジュアルに徹している。

 水を使ったVFXが難しいと言われたのは昔の話のようで、この映画で描かれるニューヨークを襲う巨大な津波のシーンは見事なものである。氷の世界となったニューヨークの風景も面白い。しかし、そうしたビジュアル面に感心しながらも、やはりこんなにストーリーが簡単では、映画としての深みには欠けてくると思わざるを得ない。大統領が最後に取って付けたように温暖化問題啓発の演説をするけれども、京都議定書の批准さえしなかった国であるから説得力を著しく欠く。人に言う前にまず自分で実行しろ、と思えてくるのだ。

 そう、本来ならば登場するはずの悪役がこの映画に一人も見あたらないのは温暖化問題の真の悪役がアメリカ政府であり、企業であるからにほかならないだろう。メジャーの映画であるため、最初から批判の姿勢は封じ込められており、なんとなく映画に勢いが感じられないのはそのためでもある。技術的には一流、話は三流なのである。

 今年24歳のジェイク・ギレンホールが高校生の役を演じるには少し無理がある。そのガールフレンド役エミー・ロッサムにちょっと注目。

2004/06/07(月)「星願 あなたにもういちど」

 「星に願いを。」の元ネタとなった香港映画(1999年製作)。というか、ストーリーもそのまま。僕は評判ほど良いとは思わなかった。いや、もちろんセシリア・チャン(「少林サッカー」に出ていた)の初々しさには参りましたが、リッチー・レンの演技に問題あり。交通事故に遭う前のぴょんぴょん跳びはねる演技とか、何をやっておるのかと思う。

 クライマックスの盛り上がり方などは「星に願いを。」より上だが、部分的に負けているところもある。監督はジングル・マ。やはり、こういうストーリーだと、傑作「天国から来たチャンピオン」と比較してしまいますね。

2004/06/04(金)「ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン」

 「ハムナプトラ2 黄金のピラミッド」のスコーピオン・キングことザ・ロック主演のアクション。アマゾンの奥地へ秘宝探しに行ったまま帰らない息子を連れ戻すよう頼まれた賞金稼ぎの主人公が、ジャングルの鉱山で人々を奴隷のように扱う悪玉(クリストファー・ウォーケン)と戦う。よくある設定だが、ザ・ロックのアクションは切れ味がよくて楽しめる。中盤にあるゲリラの小柄な兵隊たちとのアクションは肉弾相打つといった様相と同時にワイヤーも駆使して軽やかだ。こんなに身のこなしがいいとは思わなかった。やはりプロレスラーだから空中戦も得意なのだ。その相手となるゲリラのリーダー・マニート役のアーニー・レイズ・ジュニアは元格闘技チャンピオンという。アクション指導をしたのはスタントマン出身のアンディー・チェン。

 冒頭、ゲスト出演のアーノルド・シュワルツェネッガーとすれ違うシーンがあり、アクション俳優の世代交代を感じさせた。今のところ、この映画がシュワルツェネッガーの最終出演作となるのか?

 主人公のベック(ザ・ロック)は暗黒街の賞金稼ぎ。賭けの5万ドルを支払わないNFL選手の元に押しかけ、ボディガード数人を簡単に倒す。ベックにはレストラン経営の夢があり、借金を帳消しにすることを条件に暗黒街のボスの息子トラビス(ショーン・ウィリアム・スコット)を探しにジャングルの奥地に行く。そこはハッチャー(クリストファー・ウォーケン)という男が支配しており、鉱山で膨大な人々を安い賃金で働かせていた。ベックはマリアナ(ロザリオ・ドーソン)が経営する酒場でトラビスを見つけるが、トラビスが秘宝のありかを探し当てたことを知ったハッチャーが酒場に手下を連れてやってくる。ベックとトラビスはジャングルに逃げ、ハッチャーが執拗に後を追う。最初は反目していた2人が次第にうち解けるバディ・ムービーのような調子で映画は進む。これにハッチャーの支配を脱しようとするゲリラが絡み、映画は終盤のアクションへとなだれ込んでいく。

 CGも使ってあるが、全体的にユーモアを盛り込んだB級アクションとしてそつなくまとまっている。ザ・ロックの現代劇デビュー作としてはまず無難な作品と思う。監督はピーター・バーグ。俳優としての出演作も多いが、劇場用映画は「ベリー・バッド・ウェディング」(1998年)に続いて2作目の監督作品となる。3作目はビリー・ボブ・ソーントン主演の「フライデイ・ナイト・ライツ」。近くアメリカで公開されるらしい。

2004/06/01(火)「下妻物語」

 茨城県下妻市を舞台に、ロココ時代のフランスに憧れてフリルひらひらの洋服を着る桃子(深田恭子)とヤンキーのイチゴ(土屋アンナ)のおかしな友情を描く。監督の中島哲也はCMディレクター出身のためか、編集に冴えがあり、アニメも取り入れた人工的でポップな映像と速いテンポの佳作に仕上がった。

 ジャージ世界の大阪からジャスコファッションの下妻に来ることになった桃子とテキヤの父親(宮迫博之)のこれまでを描く冒頭から快調である。桃子の母親(篠原涼子)は桃子を生んだ病院の医師と不倫して、桃子が小学生の時に両親は離婚。父親はヤクザの下でバッタものの洋服を売って儲けていたが、ブランド側からイチャモンを付けられそうになり、桃子と一緒に下妻の実家に逃げてくる。ロリータなファッションに目覚めた桃子は洋服を買うため、父親のバッタ製品を売りに出す。そこに平仮名だらけの手紙を送ってきたイチコ(本名はイチゴ)が洋服を買いに訪れる。対照的な2人だが、桃子のパチンコの才能と刺繍の才能が2人を結びつけ、何だか変な友情関係が出来上がる。

 と、ストーリーを書いてもあまり面白くない。映画の面白さはそのデフォルメされてぶっ飛んだキャラクターと類型的なセリフを笑い飛ばす演出にある。イチゴの頭突きで桃子がぴょんと跳ばされる場面とか、ジャスコに関するセリフとか、狂騒的でゲラゲラ笑える場面が多い。しかも桃子のキャラクターが「人は人、自分は自分」という徹底的な個人主義であるのが面白い。酸いも甘いもじゃなくて、甘い物ばかり食べていきたい女の子なのに、芯は硬派なのである。

 この設定が成功の大きな理由だろう。ロリータファッションをしていても、バカじゃない。しかも、その個人主義の桃子が終盤、イチゴを助けるために奔走することで、観客の共感も十分に得られることになっている。桃子にはテキヤの父親の血がしっかりと流れているようで、クライマックス、けじめを付けられそうになったイチゴを助けるためヤンキー集団を相手に啖呵を切る場面などピタリと決まる。桃子以外のキャラクター、祖母の樹木希林や八百屋の荒川良々、ヤクザの本田博太郎、一角獣の龍二役の阿部サダヲ、ロリータファッション会社の社長・岡田義徳などまともなキャラクターが1人もいないのが素晴らしすぎる。しかし、そのキャラクターが綴る話には共感できるのである。中島監督の演出の計算はなかなか正確だと思う。

 深田恭子は演技がうまいというレベルではないが、少なくとも桃子役にはピッタリ。「女はな、人前で涙を見せちゃいけないんだよ」という土屋アンナは失恋して涙をこらえるシーンが良かった。同じ女の子の友情を描いた岩井俊二「花とアリス」の上品さとは対照的にハチャメチャな映画だが、そのパワーは侮れない。ただ、少しぜいたくを言うなら、クライマックスの盛り上げ方にはもっと工夫が必要とは思う。

2004/05/24(月)「トロイ」

 ウォルフガング・ペーターゼン監督が3200年前を舞台にトロイとギリシャの戦いを描いたアクション大作。ホメロスの「イリアス」の映画化で、ちゃんと「トロイの木馬」も登場する。数万の軍隊が激突するシーンは「ハムナプトラ」や「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズですっかりおなじみになったため、あまり新鮮さはない。ストーリーも女1人のために戦争を起こすというもので、これに勇者アキレス(ブラッド・ピット)など複数の登場人物の個人的恨みが重なる。本来なら2時間43分を持ちこたえる話ではないと思うのだが、それでも力作となったのはペーターゼンの演出がしっかりしているからか。

 デヴィッド・ベニオフの脚本はトロイとギリシャを単純に善悪に分けず、双方のキャラクターを掘り下げて描いている。単純な悪役はスパルタの王メネラオス(ブレンダン・グリーソン)ぐらいだ。しかし、この描写の仕方では、どちらにも感情移入しにくいという欠点が残る。主人公はアキレスだが、いとこを殺された恨みからトロイの王子ヘクトル(エリック・バナ)を殺し、馬車で引きずるシーンなど、いくら恨みが大きくても主人公としてはふさわしくない。スパルタ王から王妃ヘレン(ダイアン・クルーガー)を奪った弟パリス(オーランド・ブルーム)をかばうヘクトルは、理想的なキャラクターとして描かれ、途中まではこちらが主人公なのではないかと思うほどだ。

 アキレスはアガメムノン王(ブライアン・コックス)に忠誠を誓わない自由なキャラクターとして登場する。生まれながらの殺し屋で、戦いに参加するのは後世に名前を残すためである。普通、こういうキャラクターは主人公たり得ないので、脚本はアガメムノン王との確執からトロイ攻撃には否定的な人物として描いている(途中で部下に帰れと命令する)。だから個人的恨みを果たした後、木馬に潜んでトロイ攻撃に参加する理由が見あたらなくなるのである。

 王妃を奪った王子パリスのいるトロイが本来なら、悪のキャラクターになるところだが、ヘレンはパリスと本当の愛に目覚めたという設定。奪われた方のメネラオスは最低の人物として描かれる。これがどうも脚本の間違いの発端だったようで、こういう設定なら最後はトロイの方に勝利が導かれるのが普通である。高い城壁に守られているとはいっても、トロイはギリシャに比べれば、兵士の数も少ない。そこへ大量の軍隊が攻撃を仕掛けるのだから、「ロード・オブ・ザ・リング」の例を持ち出すまでもなく、これは守る側に守りきってほしいところだ。これがそうならないのは原作を尊重したためだろう。ああいう神話伝説は常に勝者の視点で描かれるから、こんな展開になるのも仕方ないのかもしれない。

 だから、脚本はアキレスのキャラクターに工夫をして、ギリシャ、トロイ、アキレスの3つの立場を描いている。こうした組み立てで何を描いたかというと、実のところ、何も描いてはいない。上が始めた戦争で一般の民衆や兵士がバタバタと死ぬ戦いの虚しさとかを浮かび上がらせたりしない。見ていてどうもすっきりしないのはこんな風にキャラクターの設定にぶれがあったり、脚本の詰めが甘いからだと思う。アキレスがアキレス腱を傷めるシーンなど、必要だったかどうか。

 オーランド・ブルームはレゴラスのように最後に弓を引くシーンがある。ピットやバナなど男優陣が好演しているのに対して、戦争の原因となるヘレンを演じるダイアン・クルーガーをはじめ、女優陣には今ひとつ華やかさがなかった。女優といえば、アキレスの母親役ジュリー・クリスティーがあまりにも普通のおばあさんなのでがっかり。かつてはクルーガーなどよりよほど美人だったんですがね。