2004/11/11(木)「血と骨」
昨日、見た。見た直後は頭がクラクラして考えがまとまらなかった。
主人公の金俊平(ビートたけし)が一斗缶に入った豚肉を食う場面がある。豚肉は自分でさばいたものだが、日がたっているので既にウジがわいている。俊平はウジをはらいながら口に入れる。それを見ていた息子の正雄は気持ち悪くなって吐いてしまう。あれは朝鮮料理なのかと思って、いろいろ調べてみたが分からない。脚本にも「豚の腐肉」と書かれているだけである。キネ旬を読んでみたら、崔洋一監督インタビューにこうあった。
「(釜山映画祭で)おもしろい質問をしたやつがいた。あの腐肉は日本食なのか、韓国食なのかと聞かれたんですよ。で僕の答えは、いやどちらでもない、あれは俊平食だと。食べても元気にならないから食べるのはやめなさい、と言うと、ウケてましたね」。俊平は後で2年も一緒にいるのに赤ん坊が生まれない愛人の清子(中村優子)にもこれを無理矢理食べさせる。俊平にとって、これは活力を付ける食べ物だったのだろう。
「その男、凶暴につき」を字義通りにいくような金俊平という在日コリアンの生涯を描いたこの映画、重厚な描写が2時間24分も続く力作である。金俊平という男の生き方も特異なら、映画の方も特異で見終わると、ぐったり疲れる。描かれる暴力はアクション映画のそれとはもちろん異なり、見ている方にも痛みと悲惨な感情を伴う。金俊平は自分の思うとおりにことが進まないと、暴れだし、家を壊し、家族を殴り、他人を殴り、その暴力はとどまるところを知らない。死ぬまでこの調子だったのだから恐れ入る。決して近くにはいてほしくない人物である。実際には身長183、4センチの巨漢だったというこの男をビートたけしが凄みを持って演じている。
金銭欲と性欲と支配欲の権化のような金俊平は原作者の梁石日(ヤン・ソギル)の父親がモデルで、戦前、済州島から大阪に渡ってきた。原作は未読だが、映画は原作の前半にある金俊平の青春部分を除いてあるそうだ。そこまで描くと、上映時間は4時間ぐらいになってしまうだろう(初稿は7時間半あったという)。徹底的に他人を信用しない金俊平の人格がどのように形成されていったのかも興味深いところだが、崔洋一監督が目指したのは半径200メートル以内を暴力で完全に支配した身勝手な男の生き方であり、精神分析的な部分には興味がわかなかったのかもしれない。俊平と私生児の朴武(オダギリジョー)が雨の中、延々と殴り合うシーンをはじめ、暴力シーンは多いが、映画で印象的なのは俊平の毒気に巻き込まれて不幸になっていく女たちの姿である。
蒲鉾工場で金をためた俊平は家族が住む長屋の近くに家を借り、戦争未亡人の清子を愛人にして一緒に住む。清子は相当な美人で、酒屋のおやじ(トミーズ雅)が「お姫様みたいや」とつぶやくほど。妻の李英姫(鈴木京香)とのセックスがレイプまがいなのに対して、清子とのセックスは穏やかに描かれる。間もなく、清子は脳腫瘍に倒れる。手術して髪の毛を剃り、頭の一部が陥没した清子の姿は元が美人だけに、ただ悲惨である。言葉も「アー、アー」としかしゃべれず、半身不随で寝たきりとなっている。リヤカーの荷台に乗せて清子を家に連れ帰った俊平は、タライで清子の体を洗うなどこまめに世話をするが、やがて別の愛人定子(濱田マリ)を家に連れ込み、清子の世話をさせるようになる。清子と定子は反目し合い、階下で俊平が定子と一緒にいると、二階から動けないはずの清子が転げ落ちてくる。やがて俊平は濡れた新聞紙を顔に押しつけて清子を殺す。それを見た正雄(新井浩文)に対して、俊平は「楽にしたった」とつぶやく。
娘の花子(田畑智子)は俊平から殴られて歯を数本折る。俊平の支配から逃れるため、好きでもない男(寺島進)と結婚して家を出るが、この男も暴力をふるい、花子は顔に青あざを作るようになる。暴力に耐えきれず、家を出るため正雄に金を借りようとして断られると、首を吊って自殺してしまう。DVから逃れようとした女がやはりDVを振るう男と一緒になってしまうという典型的な例。男尊女卑が徹底したコリアン社会の特色というよりも、そういう時代だったのだろう。
女が印象に残るといっても、崔洋一は今村昌平ではないのだから、女が中心テーマであるわけではない。あくまでも金俊平という男の生き方に惹かれたのだろう。この男の凄まじい生き方を突きつけられて、僕らはそれをどう受け止めればいいのか戸惑ってしまう。そうした戸惑いの一方で、こうした男はかつて確かにいたということも思い出す。映画が描く多数のエピソードのどれかに思い当たる観客は多いのではないか。かつては飲んで暴れる、俊平をスケールダウンしたような父親なんてたくさんいたし、今もいるだろう。俊平は酒が入っていなくても暴れるのだが、両者に共通するのは現状への不満が積もり積もっていることなのではないかと思う。社会の閉塞感が原因なのか、在日コリアンへの差別なのか、俊平がどこに不満を感じていたのか、そもそもそれが暴力の原因なのか、映画は分析していないので分からない。しかし、この映画がぬるま湯の現状に突きつけた過激な作品であることは間違いない。描写は平易だが、単純な分析を許さない映画であり、見終わっても長く後を引く作品である。
崔洋一はかつてハードボイルド調の作品も撮ったが、この「血と骨」もまた、主人公の内面描写を廃している点で、ハードボイルドの精神に近いものがある。行間を読むことを観客に強いる映画なのだと思う。