2006/10/22(日)「ブラック・ダリア」
ジェームズ・エルロイの原作をブライアン・デ・パルマ監督が映画化。原作は本棚を探したら、11年前に買った文庫本があったが、読んでいない。映画はブラック・ダリアことエリザベス・ショートの切断死体が発見される場面の長いワンカットとか、刑事の一人が階段から落ちて死ぬ場面の撮り方とか、突然一人称になるカメラとかデ・パルマらしい場面があるが、全体としてはそうした撮り方が浮き上がって見えないのが大きな利点。場面のアクセントにはなっても、そこだけを取り上げてどうこう言う映画ではない(しかし、言いたくなる。あの違うエピソードに連なるワンカット! あのヒッチコックを思わせる転落場面!)。全体として1940年代のロサンゼルスを描いて、面白い映画になったと思う。
不満は事件が解決してしまうこと。ブラック・ダリア事件はもちろん、迷宮入りした有名な事件だが、それがこういうロス・マクドナルドを思わせるような解決の仕方をされると、なんだかがっかりした気分になるのだ。それはエルロイの原作に沿っているのだから当然の措置なのだけれど、終盤に明らかにされる真相や主人公の刑事がミッキー・スピレーン的な決着をつけることがちょっと残念なのである。1940年代の時代風俗と暗黒社会と善悪に揺れる人間たちを活写して魅力的な映画であり、所々に引き込まれる描写はあるのだけれど、少し話が入り組みすぎたきらいもあり、同じエルロイのLA4部作の映画化ならカーティス・ハンソン「L.A.コンフィデンシャル」の方が単純に面白かったと思う。
映画のパンフレットを読むと、実際のブラック・ダリア事件でエリザベス・ショートは3日間にわたって拷問を受け、胃の中には排泄物があったという。つまり拷問の過程で排泄物を食わされたらしい。映画はそこまでではなく、同じ切断死体でも殺され方は少し異なる。原作は事件にかかわる人間の暗い情念を描くことが狙いのようなので、映画もまず、主人公の刑事バッキー・ブライカート(ジョシュ・ハートネット)と同僚のリー・ブランチャード(アーロン・エッカート)とのボクシングでの対決で幕を開ける。火と氷と称される2人は警察予算獲得をアピールするための試合を行う。バッキーは年老いた父親をホームに入れるための金欲しさに八百長で負けるが、警察では特捜課に迎えられ、リーと組んで事件を担当する。リーには美しい恋人のケイ・レイク(スカーレット・ヨハンソン)がおり、3人は毎週、夕食をともにするようになる。
バッキーにとっては最高に幸福な時間だったが、それも長くは続かない。凶悪犯レイモンド・ナッシュを追う過程で、2人は銃撃戦に巻き込まれ、リーはタレ込み屋のフィッチを銃殺。その直後、というか、カメラはこの前にエリザベス・ショート(ミア・カーシュナー)の死体が発見される場面を遠景でとらえ、そのまま大きく移動して女と通りを歩いているフィッチをとらえる。ここが絶妙のワンカットである。そして銃撃戦が終わった後で、ブラック・ダリア事件が始まるのだ。リーはなぜか、ナッシュの事件に目もくれず、ブラック・ダリア事件に夢中になる。ケイは間もなく出所してくる銀行強盗犯ボビー・デウィト(リチャード・ブレイク)に脅える。ケイはかつてデウィトの女だった。バッキーはブラック・ダリア事件を捜査するうちに富豪の娘マデリン・リンスコット(ヒラリー・スワンク)が関係していることを突き止める。
暗黒社会と富豪とブラック・ダリアと刑事たち。それが複雑に交錯していくが、そうした多数の登場人物たちの群像がロスの暗黒を強烈に浮かび上がらせるまでには至っていない。主人公のバッキーに重点を置いた作劇のためか(ジョシュ・ハートネットの陰のないキャラクターも影響しているだろう)、事件の真相でスケールダウンした気分になってくる。エリザベス・ショートの殺され方は明らかに快楽殺人のそれだが、この事件の犯人はそれに合致しないタイプなのも気になった。