2007/04/19(木)「クジラの島の少女」
2002年の映画で監督は「スタンドアップ」のニキ・カーロ。「スタンドアップ」同様にフェミニズムの映画と言えるが、真正直で構成にやや難があった「スタンドアップ」より、こちらの方が出来はいい。
ニュージーランドのマオリ族の島が舞台。この島には祖先の英雄パイケアがクジラに乗ってたどり着いたという伝説がある。族長の息子ポロランギに双子が生まれるが、男の子と妻が出産時に死亡。双子の片方の女の子はパイケアと名付けられる。ポロランギは絶望して島を出て行き、パイケアは祖父母に育てられる。
当初、パイケアを嫌っていた祖父は成長するに従ってパイケアをかわいがるようになるが、ある出来事をきっかけに男の後継者を育てようと、村の少年たちを集めて訓練をする。訓練に参加を許されなかったパイケアは叔父に訓練を受けるが…。
原作はマオリ族出身の作家ウィティ・イヒマエラ。クライマックスの奇跡はそうなると分かっていても感動的だ。「スタンドアップ」に足りなかったのはこうしたファンタスティックな場面で、もっともな主張を声高に言うだけでは映画は面白くならないのだ。
主演のケイシャ・キャッスル=ヒューズはこの映画でアカデミー主演女優賞に最年少でノミネートされた。「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」にも出ていたとのこと。
2007/04/15(日)「ブラッド・ダイヤモンド」
内戦のシエラレオネ共和国を舞台にした血塗られたダイヤモンドの物語。元傭兵で今はダイヤの密輸を行っている主人公(レオナルド・ディカプリオ)と息子を革命統一戦線(RUF)にさらわれた漁師(ジャイモン・フンスー)、アメリカのジャーナリスト(ジェニファー・コネリー)が絡んだ物語が展開される。シエラレオネの内戦は2002年に終結したそうだが、普通の人たちが「給料の3カ月分」を払って買っているダイヤの裏にこうした悲惨な状況があったことを知らしめることには意味があり、こういう映画を作ることを無意味だとも思わない。
それを認めた上で書くと、エドワード・ズウィック監督の演出はエンタテインメントに振りすぎているところが気になった。それは元傭兵で修羅場をくぐり抜けてきた強い主人公という設定や市街戦の迫力ある描写、終盤の主人公とジャーナリストの電話での会話などに感じてしまう。少し長すぎるものの、ズウィックの演出は娯楽映画としては真っ当にうまく、ディカプリオ、フンスーも好演しているのだが、こういう映画の場合、ドラマが邪魔に感じられることもある。ドラマの部分で感動していいのか、という気分が残る。娯楽映画の側面が強いと、この映画もまた悲劇をネタにして儲けているだけではないのかという根源的問題が浮上してくるのだ。
物語は漁師のソロモン・バンディー(フンスー)の村がRUFに襲撃される場面で始まる。政府が行おうとしている選挙を行かせないため手を切断される場面や簡単に村人たちが虐殺されるこのシーンはショッキングだ。ソロモンは体格を見込まれて危うく難を逃れ、ダイヤの採掘場で働かされる。そこでピンクの大きなダイヤを見つけ、地中に埋めたところで政府軍が襲撃。ソロモンは刑務所に入れられる。そこへダイヤの密輸を発見され拘束された主人公のダニー・アーチャー(ディカプリオ)が来て、ピンクのダイヤの存在を知る。アーチャーは行方不明となった家族を探すことを条件にソロモンにピンクのダイヤの場所を教えるように頼み、行動をともにさせる。海辺のバーでアーチャーはアメリカ人ジャーナリストのマディー・ボウエン(コネリー)に出会う。マディーはダイヤモンドの真相を取材していた。アーチャーは立ち入り禁止区域に入るため、取材に応じることを条件に他のジャーナリストと同行する。こうして3人はそれぞれの目的でRUFの採掘場に向かうことになる。
アーチャーのキャラクターをアメリカ人ではなく、ローデシア(現在のジンバブエ)生まれとしたのがうまい設定。南アフリカに逃れたアーチャーは傭兵となり、コッツィー大佐(アーノルド・ボスロー)に見込まれた。今も大佐の下で密輸を行っている。生い立ちの悲劇的側面も終盤に明らかになる。ただ、残念なことに冒険小説を思わせるようなこうした脚本のうまさは前記したようなアンビバレンツな感情を生むことにもつながっている。難しいところだ。
童顔を脱したディカプリオは「ディパーテッド」に続いて好演で、元傭兵という設定にも無理はない。この役でアカデミー主演男優賞にノミネートされたが、「ディパーテッド」と合わせ技という感じもする。
2007/04/14(土)「セレニティー」
最後まで見た。面白く見たが、見終わってもB級スペースオペラという印象は変わらない。なぜこの映画が支持を集めたのかというのは特典映像を見ると、よく分かる。
元々、この映画、テレビシリーズ「Firefly」が途中で打ち切られたことに端を発する。監督のジョス・ウェドンにとってはショックな出来事で、この続きを撮りたいという思いがあった。それを後押ししたのが熱狂的なファンの存在で、ファンサイトもできて盛り上がっていたのだ。だからDVDの中でもっとも感動的なのはコミコン(コミック・コンベンション?)で監督が5000人のファンからスタンディングオーベイションで迎えられるシーンだったりする。「スター・トレック」のような位置づけと思うといいのかもしれない。
簡単に物語の設定を説明しておくと、西暦2500年、地球の人口が多くなりすぎた未来、人類は宇宙に出て、惑星をテラフォーミング(地球化)することで、さまざまな惑星に移住していた。宇宙を統括するのはアメリカと中国の同盟。だから米中が入り交じった文明となっている。しかし文明に反発する野蛮な食人族リーヴァーズとの間で戦争が起こり、泥沼化している。物語は辺境の惑星を舞台に同盟とリーヴァーズと宇宙船セレニティーで海賊稼業を行っているマル(ネイサン・フィリオン)が絡んだ展開となる。
マルは未知の超能力を秘めた少女リバー(サマー・グレー)、その兄サイモン(ショーン・メイハー)と出会う。予知能力とともにとんでもない破壊力を持つリバーは「ミランダ」という言葉を口にする。その惑星ミランダでマルとセレニティーの乗組員たちは同盟のある秘密を知る。それを全宇宙に知らせようと、宇宙中継を行っているミスター・ユニバースの元へ向かおうとする。阻止しようとする同盟にリーヴァーズも加わり、三つどもえの戦いが展開される。
監督自身が説明しているように低予算だったためか、VFXも劇場用映画のクオリティには届かない。テレビシリーズの延長だから仕方がないのだが、スターが出ていれば、もっと面白くなっていたかも知れないと思う。まあそれでも、とりあえず見ておく価値はあるだろう。できれば、打ち切りになったテレビシリーズのDVDも出して欲しいものだ。
2007/03/31(土)「リトル・ミス・サンシャイン」
負け組家族がカリフォルニアへの旅を通して再生する物語。ゴールは「夢のカリフォルニア」かと思わせておいて、クライマックスの美少女コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」に出てくる女の子たちは醜悪だ。変に大人ぶっていて、子供らしさがない。気味が悪いほど。こうしたコンテストに対して監督のジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリスの夫婦監督は批判を込め、勝ち組、負け組の二分法のバカバカしさを批判する。一家は結局、この虚飾に満ちたコンテストをぶち壊すことになる。クラッチが壊れたバスを走らせるために家族が一緒にバスを押し、走りながらバスに飛び乗る。バラバラだった家族はこの共同作業を何度も繰り返すことで一つになるのだ。絆を取り戻した家族が笑いものになろうとしていた娘を助けるためにコンテストを壊すのはそうした共同作業の帰結にほかならない。この映画、図式が分かりやすすぎて物足りない部分も残るけれど、笑いを散りばめた中にあるその真っ当さがいい。アカデミー助演男優賞(アラン・アーキン)とオリジナル脚本賞を受賞した。
アリゾナ州に住む少女オリーブ(アビゲイル・ブレスリン)の家族の壊れ方は多分にデフォルメされている。祖父(アラン・アーキン)はヘロイン吸引で老人ホームを追い出され、叔父フランク(スティーブ・カレル)は同性愛者で恋人に去られて自殺未遂、父親リチャード(グレッグ・キニア)は勝ち組に入ることしか興味がなく、ハウツー本の出版をエージェントに働きかけている。兄ドウェーン(ポール・ダノ)はパイロットの夢がかなうまで誰とも話さないと決めている。まともなのはいつも夕食にチキンを出す母親シェリル(トニ・コレット)ぐらいだ。オリーブは「リトル・ミス・サンシャイン」の地区予選で繰り上がって全国大会出場が決まる。1位の子がダイエット薬を使用していたためだ。金のない一家はオンボロのミニバスでコンテストのある1000キロ以上離れたカリフォルニアを目指す。旅の途中でミニバスが壊れるなど、さまざまな問題が巻き起こるのはこうしたロードムービーの常套的な手法だ。
家族の壊れ方がマイク・リー「人生は、時々晴れ」ほど深刻に描かれないのはエンタテインメントに描写が振ってあるからで、アメリカ映画らしい作りである。冗談とも思える描写の中で「本当の負け犬は負けることを怖がって挑戦しない人間のことだ」という祖父のセリフが光ってくる。本の出版ができずに意気消沈する息子を励ます場面などアラン・アーキンは好演だけれど、早々にいなくなるので助演賞受賞に値するかには疑問もある。
これが脚本第1作のマイケル・アーントはアーノルド・シュワルツェネッガーの負け犬を否定する発言からこのストーリーを書き上げたという。勝ち負けで分類すれば、勝ち組はほんの一握り、世の中の多くは負け組なので、こうした姿勢は共感を得られやすい。ただ、脚本自体はそれほど際だって優れているわけではないと思う。それでもメジャー配給の作品にはこうした身近な家族の問題を取り上げた作品は少ないので、相対的に評価が上がったのだろう。作品賞にノミネートされたものの受賞を逸したのはそういう部分があるからかもしれない。
2007/03/26(月)「氷の微笑2」
14年ぶりの続編。といっても何も話はつながっていない。何しろラジー賞作品賞と主演女優賞など4部門受賞なので、つまらないだろうなあと思いつつ見始めてやはりつまらなかった。監督はマイケル・ケイトン・ジョーンズ(「メンフィス・ベル」)なのに、この脚本ではどうしようもなかったのだろう。
シャロン・ストーンは前作の翌年ぐらいにこの映画を撮るべきだった。14年の年月は残酷で、いくら色っぽい格好をしても前作には到底及ばない。スタイルがそれほど崩れていない(というか、同年代の女性に比べれば素晴らしいスタイル)なのだが、48歳(撮影当時)ではこの役柄には無理がある。それ以上に主人公の精神分析医(デヴィッド・モリセイ)がバカにしか見えないのが致命的か。
シャーロット・ランプリング(60歳)を出したのはストーンを引き立てるためなのかと勘ぐりたくなってくる。ランプリングに比べれば、ストーンははるかに若く見える。
ストーンが本当にきれいだったのは「氷の微笑」の前後の時期だった。この頃にアカデミー賞の授賞式でプレゼンターとして登場した時、「光り輝いてるな」と思ったものだ。その後、良い作品がなかったのは作品選択を誤ったのだろう。最初にストーンを見たのは「キング・ソロモンの秘宝2」でこの時は人形みたいな女優だなと思った。これは褒め言葉ではなく、演技が全然できていないということ。それがポール・バーホーベン「トータル・リコール」でシュワルツェネッガーの妻役を演じて、その悪女ぶりにクラクラした。バーホーベンは女優を撮るのがうまいなと思う。