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2008年03月08日の記事

2008/03/08(土)小説「君のためなら千回でも」

「君のためなら千回でも」表紙

 同名映画の原作。2006年に出たカーレド・ホッセイニ「カイト・ランナー」を改題してハヤカワepi文庫から出ている。読み終わった印象としては上巻100点満点、下巻70点といったところ。下巻、タリバンが支配するアフガニスタンに入るくだりの展開が冒険小説的なのが惜しい。いや、冒険小説は好きなのだが、文芸作品として読んでいたので、通俗小説のような展開に違和感があった。それに話のつじつまが合いすぎるのも難に思えてくる。エピソードに符合するエピソードが余計に感じるのである。これは処女小説であるがゆえの瑕疵と言うべきか。ただし、普遍性のある話である。罪と贖罪、父と息子、家族の物語。主人公を取り巻く人物たちが圧倒的に素晴らしく、胸を揺さぶる。

 まだ平和だったころのアフガニスタン。主人公のアミールは裕福な家庭に生まれる。母親は出産時に死亡。父親のババは男気のある実業家で周囲の尊敬を集めている。アミールは父親と正反対の物静かな性格で、父親の愛を得ようとして得られない「エデンの東」のジェームズ・ディーンのような親子関係にある。アミールの家にはハザラ人で召使いのアリとその子どもハッサンが土の小屋で暮らしている。ババとアリは幼いころから一緒に育った。アリは3歳のころに小児麻痺にかかり右足が不自由だが、2人の結びつきは強い。ハッサンは口唇裂で、身持ちの悪かった母親はハッサンを生んだ後、家を出てしまう。母親がいない同じ境遇の下、アミールとハッサンもまたババとアリのような絆に結ばれている。しかし、アミールの心の中にはハッサンを見下した部分があった。

 こうした設定の下、物語は「わたしが今のわたしになった」1975年12月の出来事を描く。臆病なアミールはある事件でハッサンを見捨てて逃げてしまう。しかもすべてを知られたと思ったアミールはハッサンにつらく当たり、決定的に卑劣なことをしてアリとハッサンを家から追い出す。ソ連のアフガニスタン侵攻でアメリカに渡ったアミールのもとへ、20数年後、ババの仕事上のパートナーでアミールのよき理解者だったラヒムから電話がかかってくる。「来るんだ。もう一度やり直す道がある」。ラヒムもまたすべてを知っていたのだ。そしてアミールは封じ込めていた過去と向き合うことになる。

 原題の「The Kite Runner」(凧追い)は凧揚げ競争で糸の切れた凧を手に入れようと追いかける子供のこと。言うまでもなく凧追いが抜群にうまかったハッサンを指している。不幸な境遇にあるアリとハッサンのまっすぐに生きる姿、曲がったことが嫌いなババの描写が胸を打つ。それに比べれば、主人公のアミールは全然立派ではないのだが、一般的な人はこういう存在だろう。それでもアミールは命がけでアフガニスタンに帰り、過去の罪を清算するためにある任務を果たすことになる。

 上巻のアミールは単なる語り手にすぎないが、後半は本当の主人公になるわけだ。本の帯にある「全世界を感動で包み込み800万人が涙に濡れた」という言葉に全面的に賛成はしないけれども、読んで損はない小説だと思う。全体の構成に難は感じるが、少なくとも、僕も涙に濡れた描写があったのは間違いない。