2008/09/28(日)「アイアンマン」
ああ面白かった、というエンタテインメントを外していない作りに好感を持った。主人公のトニー・スターク(ロバート・ダウニー・ジュニア)は兵器産業の社長で天才的な頭脳を持つ。アフガニスタンで新兵器のデモンストレーションの後、無国籍ゲリラに拉致され、新兵器のジェリコミサイルを作るよう要求される。重傷を負っていたトニーは同じく監禁されていた医師インセン(ショーン・トーブ)から人工心臓を移植されていた。トニーは会社で開発していたアーク・リアクターを応用して、心臓の動力にし、ミサイルではなく鉄のパワードスーツを作って脱出、アメリカに帰る。
アフガニスタンで戦争の悲惨さを見たトニーは兵器作りをやめると宣言、パワードスーツの改良版を作り、アイアンマンとしてゲリラに対抗するが…。というストーリー。テロ組織を敵役に持ってきたのは現代的と思ったら、そのうちアメリカ国内にもゲリラに通じた敵がいることが分かる。テロ組織を殲滅するだけの映画に終わっていたら、ふん、アメリカもいい気なものだと思ったかもしれない。「ロボコップ」に近い題材だが、「ロボコップ」ほど残酷でないのはR指定を警戒したためだろう。俳優でもある監督のジョン・ファブローは手堅くまとめている。
ダウニー・ジュニアは好演と言って良く、過去の醜聞を払拭できただろう。秘書役のグウィネス・パルトローもひたすら良い。演技派なのに女性の魅力だけで見せるのはさすが。決して正当派の美人ではないと思うのだが、この人、魅力ありますよね。
最後に「エンドクレジットの後に続きがあります」という字幕が出るのは余計か。クレジットの途中で席を立つ人が多いので仕方ないか。というより、これは2011年に公開予定の映画の布石でもあるから、言わずもがなの字幕を付けたのだろう。こうなると、「インクレディブル・ハルク」を見逃したのが痛い。DVDで追いかけよう。
2008/09/13(土)「靖国 YASUKUNI」
喧噪と怒号が飛び交う8月15日の靖国神社の様子がめっぽう面白い。「中国に帰れ、中国に。とんでもない野郎だ。中国に帰れ、中国に。中国に帰れ、中国に。中国に帰れ、中国に。とんでもない野郎だ」。靖国参拝式典を妨害した2人の中国人に対して、男が何度も何度も繰り返す。それしか言葉を知らないのかと思えるぐらい延々と続く。そして中国人は殴られ、血を流す。あるいは「小泉首相を支持します」という紙と星条旗を持ったアメリカ人に対して、「なんだ毛唐か」「広島を忘れねえぞ」と罵詈雑言を投げつける。軍服を着て参拝する人たち、「天皇陛下バンザイ」と叫ぶ人たち。ラッパを吹き鳴らす人たち。
その一方で合祀されている兵士の名前を取り消すよう求める遺族や台湾の人たちの様子が描かれる。「母は、息子2人は天皇に殺されたと言い続けて死にました」。遺族の一人が言う。靖国神社は軍国ニッポンの縮図であり、象徴だなとあらためて思わずにはいられない。
石原慎太郎や小泉純一郎や右翼と思える人たちの言動が僕には気持ち悪くて仕方がなかった。同時に時代錯誤的なその振る舞いがおかしくて仕方がなかった。どうにもこうにも救いようのない人たちの姿である。
南京大虐殺はなかったという署名を集める人たちの様子も描かれる。百人斬り競争の記事は毎日新聞の捏造だという主張に驚かざるを得ない。鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」(1973年)を未だに参考にしているのだろう。百人斬り競争の記事は明らかに国威発揚を狙ったものであり、軍部の意向に沿った以上のものではない(だから、本多勝一「中国の旅」の中で日本軍の残虐行為を示す一例として書かれていることにも僕は疑問を持つ)。BC級戦犯として処刑された2人の将校が実際に百人斬り競争をやったかどうかは分からないが、これを否定すれば南京大虐殺全体の否定につながるという短絡的な考え方が根本的におかしいことに気付いていないのか、この人たち。
そうした喧噪と怒号と同時に映画は靖国刀を作り続ける刀鍛冶の姿を静かに描く。この部分があまり深くないのが映画の弱さだが、李纓(リ・イン)監督が日本刀に日本軍の残虐行為を重ね合わせていることは明らかだ。ラスト、戦争中のニュースフィルムが流れ、その中で斬首される中国人たちの写真が何枚も映し出される。切り取った首を誇らしげに手に持つ日本兵。目隠しで座らされ、今にも斬首されそうな中国人。
「靖国神社のご神体は刀であり、昭和8年から敗戦までの12年間、 靖国神社の境内において8100振りの日本刀が作られていた」のだという。刀は戦場に送られたものもあるそうで、将校が中国人斬首に使ったものもあったかもしれない。ニュースフィルムの中には軍服を着た昭和天皇の姿も映し出される。旧日本軍は天皇の軍隊だったのだから、当たり前の姿ではあるが、昭和天皇のこういう姿も久しぶりに見た。
ニュースフィルムが日本軍の残虐行為を映した後で原爆投下のシーンを入れる構成は東南アジアの映画では普通のことらしい。もちろん、悪はこうして成敗されましたというニュアンスである。だからといってこの映画は反日でも反戦でもないが、靖国神社の位置と意味を明確に見せる映画であることは間違いない。