2012/12/15(土)お宝保険は本当に得か
生命保険の見直しをすることにした。加入しているのはJA共済の終身型で、保険料は年間32万円ほどの一括払いである。去年までは何も考えずに支払ってきたが、今年から投資を始めたので、費用対効果が気になり始めた。で、JA共済の担当者に来てもらい、話を聞いた。
これまでに支払った保険料の総額は18年間で600万円を超えているそうだ。保険金は病気死亡の場合4200万円、災害死亡時6200万円、入院特約1日1万円(ただし10日以上の入院の場合しか出ない)といった内容。子どもが小さかったころはともかく、今は4200万円もいらない。子どもが大学を卒業するまでの費用を上回る蓄えもある。おまけに全労済にも入ってる。計算してみると、今のまま支払いを続けた場合、65歳の満了時までに1000万円を超える保険料を払うことになる。なのに、66歳以降の死亡保障は700万円。これでは見直すしかない、という気にもなるでしょう。
担当者が提示したのは死亡保障を2000万円に落とす内容。保険料は年間14万5000円程度に下がる。これに医療保障を加えると、82000円程度が加算される。合計額は今より10万円ほど安いが、それでもまだ高く感じる。医療保障は本当に必要なのか?
新しい医療保障では入院1日目から日額1万円が出るそうだ。最近の病院は長い入院は認めてくれないのでせいぜい1カ月だろう。30万円ぐらいなら不要だ。先進医療を受けられる契約にもなっていて、例えば、「固形がんに対する重粒子線治療」295万3000円にも対応している。これはかなり迷うが、払えない金額ではない。だいたい県内にはこういう治療をしてくれる病院はない。JA共済の指定病院は筑波大学附属病院など全国5カ所だけだ。医療保障の82000円は66歳以降も支払う必要がある。こうしたことを考えると、医療保障の部分はすっぱり切り捨ててもかまわないのではないかと思う。
予定利率について聞いてみた。加入した平成6年12月の予定利率は検索して調べたら、一般的に3.75%だった。JA共済の場合は4.75%だという。20年以上前の利率5%を超える保険は「お宝保険」と言うらしいが、そこまではなくてもかなり有利な利率であることは間違いない。お宝保険は解約しない方がいいというのが大方の意見だ。今の利率は1.5%しかないからだ。
ところが、よくよく聞いてみると、4.75%で運用しているのは保険料32万円のうち、わずか6万円余りなのだそうだ。最初に一時金として約72万円(それまで入っていた他社の保険の解約返戻金をあてた)を払っているので、これに毎年6万円を加えて18年間4.75%で運用すると、330万円ぐらいになっている計算。今後も6万円を毎年積み立てにあてた場合、65歳で670万円ぐらいになる。66歳からはいかに計算上増えようが、解約返戻金は700万円に届かないという。ちなみに今、解約すると、返戻金は300-400万円程度らしい。
投資信託の場合、3%の手数料でも高いと感じる(だからネット証券のノーロードの投資信託をやっている)が、保険の場合は3%なんてもんじゃない。80%ぐらいの手数料(じゃないんだけど)を取っている計算だ。これならば、即刻解約して自分で運用した方がお得じゃないかと思う。返戻金を400万円として、保険料を払ったつもりで毎年22万円積み立て、利回り2%の投資信託で運用すると、65歳までに800万円近くなる。66歳以降は医療保障分の8万円を積み立てて運用すると、80歳の時には1200万円ほどになる計算なのだ(その頃まで生きてるかどうかは分からない)。
払い済み契約についても聞いてみた。これまでに払った保険料で残りの保障をまかなうやり方。払い済みにすると、今後の保険料支払いはなくなるかわりに、医療特約などは付かず、死亡保障額も1000万円以下になる。JA共済はこれに抵抗する場合が多いと、検索したページには出てきたが、担当者はいやな顔もせず、「保障額を試算してみます」と答えた。担当者によると、最近、払い済みにする人が増えてきたそうだ。保険相談でのアドバイスらしい。
いろいろ検討した結果、今の段階では解約して自分で運用するのがベストのように思えてきた。お宝保険と言うけれど、「とんでもなく手数料が高い投資信託」と思った方が良いのではないか。投資に詳しい人は継続か解約か検討してみた方がいい。もちろん自分で運用する場合、元本割れの危険が常につきまとう。投資について知らない人はやってはいけない。
それと、蓄えの少ない20代、30代の頃は家族のためにも保険に入っていた方が安心だ。投資に詳しい人でも、解約した途端に交通事故死なんていうことが十分考えられるので、家族が生活に困らないぐらいの蓄えがない場合は解約しない方がいいだろう。JA共済のホームページには必要保障額のシミュレーションがある。シミュレーション結果がマイナスにならない限り、保険には入っていた方が良いということになる。
2012/12/13(木)「007 スカイフォール」
映画の最後の方で、ある人物がシリーズでおなじみのキャラクターであることが分かってニヤリとさせられる。「ダークナイト ライジング」の時は最後に明らかになるあの人物に関して、開巻間もなく分かったが、これは分からなかった。というか、まず想像の範囲外にある。ああ、そう言えば、最近出ていなかったよな、この人、という感じ。007シリーズファンへの目配せなのだろう。
IMDbで調べてみると、このキャラクター、ボンド役がダニエル・クレイグに代わった「カジノ・ロワイヤル」以降、出ていなかった。この人物も含めて「スカイフォール」はいろいろな意味でシリーズをリブートさせる役割を持つ映画だ。評価の高い映画だが、僕はそれほどとは思わなかった。ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)がアストンマーチンDB5(おお、懐かしい)に乗り換えたところで、ボンドのテーマが鳴り響き、後半への期待が高まるのだが、当てが外れた。クライマックスのスケールが小さいのだ。サム・メンデス監督だけに映画の出来は悪くはないのだが、後半は007でなくても成立する話だと思う。
2012/12/10(月)SSD換装
2年前に買ったデスクトップパソコンのハードディスクをSSDに変えた。やはりSSDの効果は絶大でソフトウェアの起動がかなり速くなった。
買ったのはSamsung SSD840オールインワンキット500GB。Cドライブの使用量は140GB程度だったので、250GBのSSDでも良かったのだが、とりあえず余裕を持たせた方が良いだろう。
SSDを付属のUSBケーブルで接続し、CD-ROMからSamsung SSD Magicianをインストール。起動してSite Linkのタブをクリックすると、Softwareダウンロードのリンクがある。ところが、このページにあるノートンゴースト用のシリアルナンバーがどこにもない。これではディスクの複製機能が使えない。これでしばらく悩んだ。サポートページを見てみたら、新しいページがリンクされていた。SSD840シリーズからはディスクの複製にノートンゴーストではなく、Samsung Data Migration Softwareを使うらしい。これ、はまる人がけっこういるのではないか。なぜ古いリンクのままにしておくのか、理解不能だ。説明書ぐらい入れておいてはどうか、日本サムスン。
ディスクの複製には2、3時間はかかる(途中で外出したので正確な所要時間は分からない)。あとは交換するだけ。ここでまた問題発生。付属キットの固定用金具の背面にねじ穴がないのだ(側面にはある)。いや、あるのだが、4個あるねじ穴はSSDの固定に使っていて、ほかにない。SSDと金具をパソコン内部のねじ穴に一緒に固定すればいいのだが、面倒なのでやめておいた。Cドライブは一番下にあるし、SSDは振動もしないので、固定しなくても構わないと言えば、かまわないのだった。それにこれはDELLのパソコンの方にも問題がある。先日、USB3.0の拡張ボードを設置した時にも内部が狭くて作業がしにくかった。どうもDELLのパソコン、拡張性には難がある。
CrystalDiskMarkで計測してみると、シーケンシャルリードは今までのHDDの2.5倍程度、4Kのリードに関しては21倍も速くなった。Windowsのエクスペリエンスインデックスでもディスク転送速度のスコアが5.9から7.8に上がった。これほど効果があるならノートパソコンの方も交換したいのだが、分解にかなりの手間がかかるようで尻込みしている。HDDが壊れてどうしようもなくなったら、交換しよう。
2012/12/02(日)「桐島、部活やめるってよ」
金曜日、金曜日、金曜日、金曜日と繰り返される序盤で、映画は一つの事象を視点を変えて描いていく。その事象とはバレーボール部キャプテンの桐島が部活を辞めたという噂。桐島は県選抜にも選ばれるほどの実力を持ち、瞬く間に噂は校内を駆け巡る。この過程で描かれるのは多くの登場人物の視線だ。視線の行方によって登場人物の思いが分かり、その置かれた境遇も分かってくる。
これほど多くの視線で構成された映画も珍しいだろう。登場人物が見つめる先は例外なく異性であり、思いを素直に伝えられないから切なさが募る。なぜ思いが伝えられないのか。それは拒絶されることの恐れもあるだろうが、住む世界が違う(と認識している)からだ。同じ教室にいながら、世界は違う。映画は学校における上下関係を描きだし、そこで蠢く生徒たちの姿を浮き彫りにする。だからこの映画はリアルな青春映画になり得ている。映画にはモノローグもなく、説明的なセリフもない。視線と描写だけでこうした状況を明らかにしていく。吉田大八監督、久々の会心作となったのではないか。
Wikipediaによれば、学校の階層構造(スクールカースト)でオタク系は下の方に位置する。オタクの集まりである映画部の面々は他の生徒の嘲笑の対象で、下位にいる者の常として鬱屈をかかえている。ゾンビ映画を撮影しようとした校舎の屋上に吹奏楽部の部長がいた場面で、映画部の面々は「吹部だから大丈夫だ」と話し、移動してくれるように頼む。たぶん、相手が運動部だったら何も言わずに諦めて帰ったのだろう。スクールカーストの根幹をなすのは十代特有の価値観で、美男美女や恋愛経験の豊富な者、文化部よりも運動部が上位に来る。大人になれば、差別の根幹は経済力にほぼ集約されるので単純だ(単純だから良いわけではない)。
と、ここまで書いたところで、朝井リョウの原作を読んだ。そして驚いた。これほど原作を徹底的に解体しながら、原作のエッセンスをまったく失っていない映画は極めてまれだ。映画には原作のセリフと同じものはほとんどない。人間関係やエピソードも変更し、付け加えられたものが多い。
原作は菊池宏樹(元野球部)、小泉風助(バレー部)、沢島亜矢(吹奏楽部)、前田涼也(映画部)、宮部実果(ソフトボール部=映画ではバドミントン部)、そして再び菊池宏樹の物語が描かれて終わる(文庫ではこれに東原かすみの14歳のころのエピソードが加わる)。メインとなるのは前田と菊池のエピソード。両者は同じクラスにいながら、話したこともないが、終盤のある出来事で一瞬、交錯する。そして菊池は前田の姿からある啓示を受け、サボっていた野球部の練習に参加してみようかという気になる。原作者はここが物語の核だという。映画はここもうまくアレンジし、前田(神木隆之介)の「この世界で生きていかなければならないんだ」というセリフ(撮影中の「生徒会オブ・ザ・デッド」のセリフ)を取り入れている。見事な映画化と言うほかない。脚本(吉田大八、喜安浩平)が素晴らしすぎる。
付け加えておけば、朝井リョウはかなり映画を見ているようで、前田涼也のパートには「ジョゼと虎と魚たち」や「リリイ・シュシュのすべて」など邦画の青春映画のタイトルがたくさん出てくる。映画部が撮っているのも青春映画だ。映画ではこれが「鉄男」や「遊星からの物体X」などSFに変わっている。SFの方がオタクにふさわしいという判断があったのだろう。いずれにしても自分の原作から邦画の青春映画のトップクラスの作品が生まれたことは原作者冥利に尽きるに違いない。
2012/11/26(月)「魔法少女まどか☆マギカ 前・後編」
「ハッ、君は本当に神になるつもりかい?」
「神さまでもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる、変えてみせる。これが私の祈り、私の願い。さあ、叶えてよっ」。
悪魔はひそかに忍び寄る。決して悪魔の姿をしたままで近寄ってはこない。猫に似たキュゥべえという謎の生物は少女たちに契約を持ちかける。「君の願いを一つだけ叶えてあげる。その代わり、魔女と戦わなくてはいけないよ」と。魔女は人に絶望をもたらす存在で、人の死や不幸や災厄にはすべて魔女がかかわっている。前編の序盤を見ながら、「異界からの侵略者と戦う少女戦士たちの話」と思ってしまったのだが、その後はこちらの想像をはるかに上回る展開だった。
日本のアニメーションで「魔法使いサリー」あたりから始まり、綿々と作られてきた魔法少女という枠組みを逆手にとって、作者たちは緻密にそしてダイナミックに物語を構築している。キュゥべえのショッキングなセリフで締めくくられる前編は情報量が多く、上映時間も2時間10分と長いため見終わるとグッタリするが、話はとても面白く、引き込まれる。元がテレビアニメなので、各回のクライマックスを次々に見せられる感じがあるのだ。引き込まれて集中しすぎたたために起こる疲労感なのである。後編は物語のネタ晴らしと解決だ。絶望的で逃げ場のない状況に閉じ込められた少女たちを救う手立てはあるのか。作者たちはあらゆる可能性を否定してみせ、主人公のまどかは最後にこれしかないという解決策にたどり着く。
希望、願い、祈り。幸せを願う人の気持ちを否定するような世界は間違っている。希望を絶望に変えてはいけない。この作品のメッセージはそれに尽きる。魔女の結界の抽象的な描写など技術的に賞賛すべき点は多々あるが、何よりもシンプルで当たり前のメッセージを訴えるからこそ、この作品はとても力強く人の心を動かすのだ。
元のテレビアニメ全12話は2011年1月から東日本大震災による休止期間を経て4月まで放送された。深夜枠だったので、子ども向けではない。震災の時期に祈りというメッセージほど似合うものはないが、震災に合わせたわけではもちろんなく、元から備えていたものである。
究極のセカイ系アニメであり、過去の数々のジャパニメーションの傑作群の上に築かれた記念碑的な作品と言える。希望を信じる人、信じたい人は急いで劇場に駆けつけなければならない。