2012/02/26(日)「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
タイトルはアスペルガー症候群や自閉症の人が感じる感覚なのだという。原作はジャナサン・サフラン・フォアの同名小説。スティーブン・ダルドリー監督は「めぐりあう時間たち」「愛を読むひと」と同じように文学的なアプローチで映像化している。描写の仕方が格調高いのだ。
テーマは喪失と再生。アスペルガーの疑いがある少年オスカーが9.11で死んだ父親が残した鍵の秘密を探っていく。秘密を解く鍵は封筒に書かれていたブラックという文字。オスカーはニューヨークに住むブラックさんを一人一人訪ねて歩く。地下鉄が怖い。人に会うのも苦手。不安を抑えるタンバリンを鳴らしながら、オスカーが苦手なものを少しずつ克服していく様子が情感をこめて描かれる。
父親の死のショックを乗り越える少年の姿はもちろん、アメリカの9.11からの再生も意味しているだろう。現実がとてもそうとは思えないのだが、オスカーを励ますニューヨークの人々の温かさ(何度も何度もハグをするブラックさん!)が胸にしみる。
両親を演じるトム・ハンクスとサンドラ・ブロックも良い。名優マックス・フォン・シドーもさすが。ただ、シドーの役柄は過去のある出来事で話せなくなった男なのだが、この人物の焦点深度が意外に浅い。描写が不足気味なのだ。アカデミー作品賞と助演男優賞にノミネートされたが、無冠に終わったのはそんなところが影響しているのかもしれない。
2012/02/25(土)「エンディングノート」
ドキュメンタリーは対象が魅力的じゃないと、面白くならない。死の直前までユーモアと周囲への気配りを忘れない砂田知昭という人は十分に魅力的だ。パンフレットのプロフィールに特技は「段取り」と「空気を読むこと」とある。末期ガンの宣告を受けた2009年5月からエンディングノートを書き、自分の死に備える。死への段取りが終わらないと、おちおち死んでいられない気持ちになる人なのだろう。父親の段取り好きは長男にも受け継がれていて、死の床に伏せた父親に長男は葬儀の段取りを確認する。「お父さんのね、エンディングノートを見るためにパソコンを調べたんだけど、ファイルがなくなってる」。パソコンのファイルというのは必要な時になかったり、探しにくかったりするものなのだ。準備万端な父親は平然と答える。「そんなこともあるだろうと思って、コピーが取ってある」。
家は仏教なのに、「費用がリーズナブル」という理由で主人公は教会葬を選ぶ。ケチだからではなく、家族に負担をかけさせたくないという気持ちが根底にあるからだろう。葬儀は近親者のみの密葬でという選択も迷惑をかけたくないという気配りから来る理由だと思う。そんな主人公の姿を見ていると、微笑ましい気持ちになり、それが映画の好感度を高める結果となっている。
映画は次女の砂田麻美監督が父親の死ぬまでの7カ月間を記録したものだ。これに若い頃の写真や営業マンとして活躍した時代の映像を挟み込むことで、砂田知昭という人の泣き笑いの人生と人柄を浮き彫りにしている。妻と一男二女の子供とかわいくてたまらない3人の孫。94歳で元気な母親。認知症が進んで、来ない患者のために病院を開ける生前の父親の姿もある。撮りためてきた映像が効果を挙げている。近づきすぎず離れすぎずの対象への距離感も絶妙でプライベートフィルムにとどまらず、普遍性を備えた作品に仕上がった。
映画は事実を記録したものであっても、監督がエピソードを取捨選択して構成する以上、フィクションの要素が必ず入ってくる。ストーリーに合わないエピソードは捨てられ、監督が考えたストーリーで構成されるものだ。だから、砂田知昭という人の人生も別の監督が撮ったら、別のものになっただろう。しかし、娘の愛情を込めた視点で語られる砂田知昭の人生は幸せなものだったなと思う。69歳の死は少し早いけれども、孤独死や悲惨な死が多い中、家族に見守られて死ぬことができたのは幸せだったと思う。
2012/02/22(水)「月に囚われた男」
WOWOWで放映したので見る。確かにこれは「2001年宇宙の旅」やダグラス・トランブル「サイレント・ランニング」、そして「惑星ソラリス」など宇宙での孤独な作業に従事する男というシチュエーションが共通している。端正で正統的なSF映画たりえているのはダンカン・ジョーンズにSFの資質があるからだろう。
月の裏側でエネルギー源となる鉱石が発見される。主人公のサム・ベル(サム・ロックウェル)はその鉱石を採掘するルナ産業の社員。たった一人で月に勤務し、機械による採掘と搬送を管理している。相棒はコンピューターのガーティ(声はケヴィン・スペイシー)だけ。勤務は3年。あと2週間で終わる。サムは地球に残してきた妻と幼い娘に再会することを楽しみにしている。しかし、ある日、サムは月面での作業中に事故に遭ってしまう。
ストーリーを書けるのはここまでだ。これを見ると、「ミッション:8ミニッツ」がこの映画の変奏曲であったことがよく分かる。「ミッション…」の主人公もまた「囚われた男」だったし、命の継承、非人道的な任務、それを打開しようとする主人公という展開もよく似ている。サスペンスタッチのうまさも、ハッピーエンドへの希求も同じである。
IMDBの評価は8.0とかなり高い。VFXだけが派手で、中身に何のオリジナリティーもない映画に比べると、アイデア勝負のこの映画の得点が高くなるのも納得できる。ダンカン・ジョーンズの3作目も楽しみだが、今度は別パターンの話も見せて欲しいところだ。
2012/02/18(土)「ドラゴン・タトゥーの女」
タイトルバックがとんでもなく格好良い。007シリーズを思わせる凝りようだ。スティーグ・ラーソンの原作を読み、スウェーデン版の映画(ニールス・アルデン・オプレヴ監督)を見ているので今回が3度目の「ミレニアム」体験。もはやストーリーは全部分かっている。興味はデビッド・フィンチャーがどう映像化しているかだ。
スウェーデン版でリスベット・サランデルを演じたノオミ・ラパスは僕にはまったくリスベットとは思えなかった。今回のルーニー・マーラはノオミ・ラパスより若い分、リスベットに近いし、ラパスより美人だ(マーラはこの映画でアカデミー主演女優賞にノミネートされた)。アクションを封じたダニエル・クレイグのミカエルも悪くない。ミレニアム誌の編集長エリカ役のロビン・ライトも悪くない。映画の雰囲気も悪くない。なのに今ひとつの感がつきまとうのは物語に新鮮みを感じられないためもあるのだろう。フィンチャーの映像感覚は面白く、シリアルキラーが主人公に迫る場面などは真骨頂という感じがするが、それでも原作のダイジェストの感は免れていない。
ミステリマガジン3月号のインタビューでフィンチャーはこう語っている。
「(原作で)もっとも僕が魅力を感じたのは中年ジャーナリスト、ミカエルと、若いパンクなハッカー、リスベットの関係性なんだ。ふたりは年齢も違えば性格も生活環境もまったく違う。ミカエルはさまざまな問題を抱えているが、自分でもそれが何なのか、判らない部分がある。リスベットもたくさんの問題と対峙しなくてはいけないが、諦めて直面しないようにしている。そういうふたりが出会って理解し合えたとき、それぞれの人生が転がり始める。僕にとっては彼らの関係性が変化していくのも面白かった」
原作の描き方に近い映画のラストはそういう二人の関係性を描くために当然必要だった。フィンチャーの理解は正しく、ミレニアムシリーズはリスベットを描かないと意味がないのである。マーラのリスベットがラパスのそれよりも原作のイメージに近くなったのはフィンチャーが原作を正しく理解しているからだと思う。
さて、2作目と3作目は作られるのだろうか。金髪の巨人が登場し、アクションに振った2作目の「火と戯れる女」が僕は原作の3部作で一番好きなので、ぜひ映画化してほしい。この2作は上下巻という感じなので、2作目を作ったら、3作目も作ってくれないと困るのだけれど。
2012/01/26(木)「ALWAYS 三丁目の夕日'64」
「人には身の程というものがあるんです」。鈴木オートの六ちゃん(堀北真希)が東北弁で言う。「私と菊池先生とじゃ、釣り合いが取れません」。仕事中にやけどをした六ちゃんは病院に行き、そこで治療してくれた菊池先生(森山未來)に恋をしてしまった。身分違いの恋と分かってはいても、思いは抑えられない。だから六ちゃんは毎朝、着飾って、通りで菊池先生とどきどきしながらすれ違うことに小さな幸福を感じている。しかし、たばこ屋のおばちゃん(もたいまさこ)が病院で聞いた菊池先生の悪い噂を聞かされて、六ちゃんの心は揺れ動く。
映画はこの六ちゃんの純情な恋と鈴木オートの隣に住む小説家茶川竜之介一家の話を描く。これも父親と息子を描いて良い出来だ。東京オリンピックが開催され、夢と希望にあふれた昭和39年を舞台に思い切り笑わせて、ほろりとさせる場面をちりばめた作劇に拍手を送りたい。1作目よりも2作目よりも今回が最も充実した仕上がりになっている。
話自体にまったく新鮮さはないのに、いくつもの場面で泣かされたり、胸が熱くなったりする。これはいったいなぜなのか。それは明らかに作り物の古い時代(監督の言う「記憶の中の昭和」)を背景に人の理想を描いているからだろう。リアルな背景で「幸福は金じゃない」ということを大まじめに真正面に描かれるとしらけてしまうが、この映画は人工的に古い時代を構築し、オブラートにくるむことでそれをクリアしている。リアルさから離れることで、オーソドックスな物語を堂々と成立させているのだ。
宅間先生(三浦友和)がクライマックスに言うセリフもそのど真ん中の言葉だ。「幸せとは何でしょうなあ。今はみんなが上を目指している時代です。医者だってそうだ。なりふり構わず出世したいと思っている。しかし、彼はそれとは違う生き方をしている」。
観客が見たい物語、自分もそうありたいと願う姿をこの映画は描いているのだ。寅さんやサザエさんや松竹新喜劇のように大衆性を備えた映画と言えるだろう。直情型の堤真一が相変わらずおかしい。堀北真希はこれまでの作品の中でベストの演技。ちょっぴり冗長な部分はあるにしても、山崎貴監督、「SPACE BATTLESHIPヤマト」の汚名を返上して余りある会心作ではないか。